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コンサドーレと石水さんと私

コンサドーレとの出会いは1996年。東芝サッカー部が札幌に移転し、初めての試合がテレビで生中継されたのを自宅で観てから。当時はJリーグがあることは知っていたけれど、サッカーに興味があるわけでもなく、ただなんとなく「札幌のチームだし・・・」という程度でした。それがハマったのは、1997年の厚別競技場での川崎フロンターレ戦を生観戦から。1-3から後半ロスタイムに3-3に追いつき、延長戦で4-3の逆転勝ちをした展開に、とにかく興奮したことを今も覚えています。

この時期はインターネットの普及も進んでいました。そこから、とあるコンサドーレサポーターが運営するサイトに出入りすることになり、運営者のサポーターの男性や、同じようにサイトに出入りするサポーターと実際にお会いして、一緒に応援したり、試合後に食事したり、ボーリング大会をやったりと、運営者のサポーターの男性にはすっかり懇意になっていました。

サイトを運営するサポーターの男性は、石屋製菓社長(当時)の石水勲さんと顔見知りでした。
そのつながりから、20年ほど前に、サポーターの男性、石水さん、自分を含む十数人で一緒に食事したことがあります。石水さんは有名な御方ですから、テレビや雑誌越しにお顔はよく存じていたものの、実際にお会いするのは初めてです。それは逆に、石水さんからしても同じ。けど、自分は有名人ではないから、石水さんからしたらどこの誰か把握しているはずはありません。
“友達の友達はみな友達だ”を地で行く展開。そんな状況なのに・・・

初めて会った自分にさえ「今日は俺がおごる」と言ってくれた

コンサドーレ札幌の運営会社の責任者の一人として、日ごろ応援しているサポーターへの恩返しといえば、それまででしょう。しかしそれ以上に、壁を作らないで接してくれたことにうれしく思いました。だって、自分からしたら「あの石水さんが」おごってくれたのですから。
一緒に食事したのはこのとき一度きりだったけれど、自分は

「本当にこの人はコンサドーレに情熱を注いでいるんだ」

というのを行動で示した気がしました。そのとき、石水さんと握手をしました。大きくて温かな手でした。それとともに「コンサドーレをこれからもよろしく」と声をかけてもらいました。
時は流れ、数年前から車椅子でドームに訪れていることを見かけており、日々の生活がかなり大変そうに思えていました。そして先月、訃報に接したときは、最初「えっ?」と声をあげてしまいました。

石水さんの尽力で、今、札幌には北海道コンサドーレ札幌があり、サッカーのある日常があります。コンサドーレを通じたサポーター同士のつながりがあり、知り合いも増えました。
コンサドーレがなかったら今の自分はどうなっていたのだろう?と考えたら、ちょっと恐ろしい気にもなります。

だから、石水さんには感謝しかありません。

札幌ドームへ行ったとき、メッセージを書き込むフラッグにも「感謝しかありません」と書き込みました。それ以外の言葉は見つかりません。
これからも、できる範囲で、チームへの応援を続けたいと思っています。

ありがとう。合掌。

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