八月十九日の日記

もうやだ。

と思うことが一日に何度あるだろう。

昨日は久しぶりに日中外出をした。学生時代のサークルの先輩後輩たちと集まってのホームパーティだった。昼頃から集まって、夜までやると言うスタイルだったので、夕方ごろ抜けるつもりだった。ところが、結局みんなが集まったのは午後の五時ごろ。久しぶりに会う人ばかりだったし、「会いたいので待っててください!」と可愛がっていた後輩に言われて抜けるわけにも行かず、結局七時にその場を早抜けした。
もちろん、早い段階で「最初言っていた時間より遅くなりそう」とは電話してあって、「良いわよ、晩御飯くらい二人でどうにかするわ、楽しんでらっしゃい」と言われてはいたのだが、いざ帰ってきたら、「まーちゃんは遊んでばっかで働かない」とぷりぷりされてしまった。
ごめんなさい、とその場はひたすら謝った。けれど、今こっそり、わがままだけれど、言い返したい。

私が最後に買い出し以外で外出したのは十日も前だ。買い出しで駅まで出るのは二、三日に一度ほど、それも二時間以内に済ませて帰る。ウィンドウショッピングもしないし書店で立ち読みだってしない。あとはひたすら、掃除して洗濯して料理作って洗い物してを繰り返す。勉強したりできるのはいつも寝る前の一時間ほどだけ。
もちろん、望んでここにいる。祖父母が嫌いなわけじゃない。だけれど、そんな言い方をされるとどうしても、どうしようもなく悲しくなるときは、ある。
私も一介の二十代女子だ。遊びの誘いがあればやっぱり行きたいし、気のおけない友人と語り出したらついつい時間を忘れてしまう。行きたいところもまだまだある。勿論、子供がいてもおかしくない年だから、そうなればそうも言っていられないと言うのは、わかってはいるけれど・・・

いや子育てより大変だと思うぞ、とこの前母は言った。「だって、子供は駄々はこねるけど家事に文句言ったりしないじゃない」と。
そうなのだ。洗剤の使う量から掃除の仕方から、言葉遣い(半世紀以上前の女学生と比べてしまえば自分のそれが粗野であるのは否定しない)、それから王道の「あなたたちの世代は・・・」と言うお説教。

老化なのかがんの進行のせいなのか分からないが「その日その日で言うことが違う」と言うのが目下私たちの悩みのたねで、例えば「もう捨てちゃって」と言われて処分したものを今日になって「あれ捨てちゃったの」と文句を言われたり、「しなくて良いわよ」と言われたので後回しにして、別のことをやっていたら「なんであれやってないの」と後から言われたり・・・

別に、嫌なら出て行けば良いだけの話だ。所詮は居候の身だから。でも、やっぱり、「一生懸命やってるのに、どうしてこんな風に言われるんだろう」と思うときは、毎日ではないけれど時々ある。

また、八十代後半の祖父がのほほんと座ってテレビを見ているのも、申し訳ないが毎日小さく苛立っている。いや、九十に片足を突っ込んだ年齢で、自分でバスにのり駅まで出かけたり病院に通ったりできるので、本当にそれだけでも素晴らしいし優しくしなければならないし、優しくしたいと思う。けれどどうしても、自分が懸命に何か家事をやっている途中に「これも」とか「あれもやっておいてくれ」とか、「もっとこれは・・・」と文句を言われてしまうと、つい「自分は座ってるだけで何もしないくせに」イラっとしてしまうのだ。いけないことだ。わかってはいる。器が小さい。けれど、一生懸命になればなるほど自分に余裕がなくなっていくのを感じる。また、他の人との関わりがない状態が続くと言うのも、辛くなる原因の一つかもしれない。

ほどほどに手抜きをしたいところだが、そうも行かないのが昭和のシュフの家事である・・・ひと段落してぼんやり座っているとお小言タイムが始まってしまう。そう言うときは無理矢理にでも駅まで買い出しに出かける。駅まで出るのにバスで二、三十分はかかるが、その間は完全に一人になれるので、景色を眺めてぼんやりできる。(テレビっ子の祖父がいるとテレビを消すことも叶わず、騒々しい声やSEに終日付き合わされる羽目になる)
毎日は嫌だけれど、デパ地下の賑やかさは逆に心地よく感じることもある。
食材の買い出しの効率も随分よくなったように感じる。昔はもっともたもたして、あちこちをうろうろしていた。
たとえ買い出しでも、やはり部屋着のような格好でいけるスーパーに赴くよりずっと、なんと言うか多少なりともリフレッシュできる。行動範囲と社会が小さくなればなるほど、自分が知らない間に追い詰められてしまうのを感じた。自分の世界が、自分の関わっている社会が自分の家『だけ』になり、その社会を自分のワンオペレーションで回さなければならない状態というのは、続けるとかなりしんどいものがある。世のお母さんたちは、本当に大変だ、と思う。

そんな考え事をしながら家に帰ると、なんと祖母が三週間ぶりに発熱をしていた。やれやれ・・・。
出かける前まで私に文句を言っていた威勢は何処へやら、ベットの柵にしなだれかかっていた。
「なぁんかね、足と頭がだるいなと思ってて・・・」
「そうなの・・・」
もしかしたら・・・
これは子育ての疑似体験なんだろうか。
今まで甘えてきた『大人』の彼女と思うから怒りたくなるけれど、幼稚園児くらいの女の子だと思えば、態度の変化くらいはまぁ許せるような気もする。
「まーちゃん、氷出して」
「はいはい。他にいるものは?」
「お水」
「はいよ待ってねー」
きっとこうやって今までも、祖母は私のことを許してきたんだろう。
じゃあ、しょうがないのかな。

こんなことを、毎日繰り返している。
きっと明日も、こんな調子だ。
いつまで続いてくれるかは、分からないけれど。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!