「このままでいいのか」という不安は、定期便のようにやってくる。

全く厄介だなと思う。
昔は、一度そいつに絡め取られると動悸がして、本当に苦しさで泣きそうになっていた気がする。本当に、ついこの間まで。
祖母の一件があってから自分は随分変わったな、という確実な手応えが、こんなところからも感じられる。あんなに、くよくよしていたのに。
ひどい時期は夜になると「一日が終わる、無駄にしてしまった」と焦り、朝になれば「ああまた一日が始まってしまった・・・」と絶望した。一日中、『何かに追われている感覚』『責めたれられる恐怖』に怯えていた。そんなもの、本当はありはしなかったのに。

それでも、「このままで本当に大丈夫かな」という影は、今も時々よぎる。
頭に、というよりは、胸にだ。

「本当にこんな高いカメラ買って、旅行の計画して、それで貯金崩して、もし祖母が急にいなくなって年末にでもここを出て行くことになったらお金、足りるのかな、住む場所がなくなるんじゃないか」とか、
次の勤め先の準備で勉強をしていて、
「本当に大丈夫かな、入ったら周りと全然レベルが違って、追いつけなかったらどうしよう」とか、
「本当に旅行の計画なんてしてる場合かな、長く家空けて、後悔しないかな。もっと二人と一緒にいた方がいいんじゃないかな」とか。

だけど、そう今これを書いていて思い出した。私の優秀な同期が、とっておきのアドバイスを私にくれたのだ。

『これをやってもいいのかな』っていう心の声の前には、絶対に、必ず、
『こうしたい』『これをやりたい』っていう、一番最初の声があるんだ。
心の声や直感っていうのは、頭で考えるよりもずっと賢い。だから僕らは、その第一声に素直になればいいだけなんだ。簡単だよ」

私は、どうも理屈っぽいというか、頭の中で複雑に理屈をこねくり回すのが昔からの癖だ。こうじゃないかああじゃないか・・・そうしているうちに、自分で自分を縛り付けてしまって、元の悩みがなんだったかもわからなくなって苦しさだけが残る。そんな感じだ。

「でも、もしうまく行かなかったら・・・」
「ほら、今『でも』って言ったでしょ。『でも』は逆接だろ。ってことは逆接の前に『やってみたい』っていう気持ちがあるわけだ。それが第一声。そのあとは全部それから派生したものなんだ。だから無視!」

あの日のやりとりがなかったら、今日の私はいない。ぜったいに。つくづくいい同期を持ったと思う。
そういえばあの日は、祖母の病気と同時多発的に起こった出来事のお陰でがんじがらめになっていた時、「あの子ならきっと、いや絶対、何か答えをくれるはずだ、会って話がしたい」と発作的に「明日会えない?」と呼び出したのだ。会うのは半年ぶりくらいだったのに来てくれた彼も彼だったけど、あの時の『第一声』に従ったのは、つまるところ正しかったわけだ。
「そんなことをしたら彼が迷惑に思うに違いない」という方を、選ばなくてよかった。

そうは言っても、二十数年染み付いた癖というのは、簡単には抜け切らない。だからこうやって、時々忘れた頃にやってくるんだろう。
その度に、意識して自分に語りかける。
「欲しいから手に入れたんだ。行きたいから行くんだ。やりたいから、やるんだ。その後の問題は、起こった時にちゃんと考えるからさ」
今までどれだけの人が同じ答えにたどり着いたかわからない。言葉にしてしまえばあまりに単純だ。人から聞くと簡単に思えてしまう。けれど、それを咀嚼して吸収して、自分のものにすることの難しさといったら。

いつか、そんなことも意識しないくらいになったら、今よりもっと、いい私になれるんだろうか。そんなことを、期待してる。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!