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砂のてがみ

 神さま
 ぼくは不器用です
 なんにもできず
 ひとりぽっちで
 時にながされ
 もだえてばかり
 自分が
 なさけなくて
 うとましい
 ぼくはこのまま
 際限もなく小さくなり
 あなたを信じる力さえ
 失ってしまいそう
 お願いです
 ぼくを
 この苦しい世界から
 解放してください
 さもなくば
 もっと強くかしこい
 別の存在に
 変えてください
 
 波うちぎわの枝をひろって、しめった砂に文字をきざんだ。
 神さまは砂の上にことばを書くと聞いたから。
 ぼくはことばのかたわらに、ひざをかかえてすわっていた。
 まだつめたい三月の風が、ひとつ、またひとつ、青い波を運んでくる。
 だれもいない海――
 いつまでも静かな海――
 そんなぼくの空想を笑い声が打ち破った。
 ふりむくと、制服姿の中学生が立っている。おなじクラスの三人組だ。
「ごみむすび!」
「生きてたのかよ」
「なに書いてんだ?」
 逃げようとして、つきとばされ、ぼくは顔から砂につっぷした。三人は神さまにあてたぼくのことばを読みあげ、笑いこけ、踏みにじる。三人が笑いながら松林のほうへ走り去るまで、ぼくはじっと、砂の上に腹ばいになっていた。口に入った砂のつぶがじゃりじゃりして、よみがえるのはあの日のことだ。
 教室の窓は暗かった。氷雨に打たれ、ぱちぱち鳴った。
 給食のおむすびと対面したとき、ふいに不吉な予感がよぎった。
 はやく食べてしまおう――
 あせったのがいけなかった。ぼくの手はあわてていた。おむすびは床に落ち、輪をかくようにころがった。机の下で動きをとめた白いごはんは、かなしいまでに、ごみやほこりにまみれていた。
 立ちあがり、みんなの前へ出て、とりかえる……。
 それがぼくにはできなかった。
 だれにも気づかれなかったのをさいわい、ぼくはおむすびを口にした。
「きったねえ!」
 とたんに声が響きわたった。見ていた子がいるのだった。教室じゅうが大さわぎになり、笑いとののしりのるつぼの中で、ぼくはおむすびをかみ、のみこんだ。じゃりじゃりと、きたないものが口いっぱいにひろがった。
 いったいぼくは、いつからこんなふうなんだろう。
 みんなのできることが、どうしてできないぼくなんだろう。
 だから笑われる。
 だからきらわれる。
 だから――
 学校へは、かなしいおむすびを食べた日を最後に、一日も行ってない。
 
 ぼくはこのまま
 際限もなく小さくなり
 あなたを信じる力さえ
 失ってしまいそう
 
 波の音が大きくせまった。大波は砂のてがみを洗い、神さまをさらっていった。
 
 みかん色の惑星がひかっていたのは、あくる日の夜あけ前だ。
 ふと目がさめて窓をあけると、バナナみたいな月のそばに、まあるいみかんが浮かんでる。
 あんまりきれいなので、ながいことながめていたら、空のすそから朝やけがひろがった。星のひかりは薄らいで、かわりに、ゆびさしたいような太陽があらわれ、世界一まぶしくかがやいた。
 いろんなものがひかりをあびて、うまれかわったようになる。
 屋根瓦も。水たまりも。プラムの木も――
 思わず「えっ?」と声が出た。
 見なれた庭のプラムの木に、降ってきそうなほどたくさんの白い花がさいている。
 毎日見てるはずなのに、なぜかしら見えてなかった、さくらにそっくりな、ぼくの好きなプラムの花。
 おさないころ住んだワルシャワの家の庭に立派なプラムの木があった。花をさかせ、しべを散らすと、甘酸っぱい実をたわわにみのらせた。
 日本へ帰る日、ぼくはプラムとの別れがつらくて、幹に抱きつき、わんわん泣いた。
 泣きやませるため、母さんは実をひとつもぎとり、ぼくにもたせてくれたんだ。プラムの実は空港の検疫をくぐりぬけ、このうちへやってきた。
 ぼくは実を食べたあと、こっそり種を庭にうめた。いま花ざかりのこのプラムの木は、その種から芽ぶき、ぼくといっしょに大きくなった。
 ぼくは庭に立ち、プラムの木をひさしぶりになでてみた。木は朝のひかりにつつまれたおかげで、もう、ほんのりあたたかい。うれしくなって、またなでる。すると、ひらり、はらはら、花びらが落ちてきた。
 見あげたぼくは、もっともっとうれしくなった。
 ちょこまかと、めじろが一羽、花から花へ飛びうつって遊んでる。
 ぼくはめじろを驚かせないよう、ゆっくり、じわじわ、あとずさりした。
 へやの窓からうかがうと、めじろは小さなくちばしを花につっこみ、顔をあげては、またつっこむ。花の蜜を吸ってるんだ。
 はらぺこなのかな――
 なんとなく、かわいそうになってくる。
 風がふいて枝がゆれても、細い足でしがみついて、夢中で蜜をあさってやまない。めじろはよっぽどプラムの蜜が好きらしい。
 でも、いくら蜜が甘いからって、おなかいっぱいになるかしら――
 ちらばる花びらを見てるうち、もやもやと心配の霧がたちこめた。
 なにかをもとめ、ぼくは台所へかけこんだ。
 テーブルのすみっこで、夜あけの星とおんなじ色して、みかんがぼくを待っていた。くだものかごから手にとって、いちばんおいしそうなやつを見つくろう。慣れない庖丁をにぎりしめ、思いきってまっぷたつ。てのひらにのせ、はやる気持で庭へもどると、さっきのめじろはもういない。いまのうちだ。ぼくはなるべく高く腕をのばし、切り口を上に向け、プラムの小枝にみかんをさした。
 ここへおいで――
 鳥を待つぼくの日々は、こうやってはじまった。
 
 ひーよひーよ
 かまびすしい鳴き声の急降下。
 まっさきにやってきたのは、ひよどりだ。めじろより声もからだもふたまわり大きくて、むさぼるようにみかんをついばんだら、みかんはあらかた皮になる。
 ひよどりのあと、めじろがこんどは、なかよくつがいできてくれた。
 おっかなびっくり、あちこちの枝にとまってみては、あたりをきょろきょろ見まわして、いまだというふうに、ようやくみかんにありついた。ひよどりの食べのこしをならんでせせるかわいらしさったら!
 ひよどり、めじろ、うぐいす、せきれい……
 プラムの木を通して、鳥とぼくとは結びついた。
 みかんをたやさないように、ぼくはお店へ買いに出る。おとなにまじってみかんを買うのは気はずかしい。おかねだってばかにならない。でも鳥たちのためなんだ。そんな言いわけ、するもんか。
 ぼくはみかんを切り、プラムの枝にさし、カーテンにかくれ、そっとのぞく。
 なんにも知らない鳥たちは、ときどき「どうして?」と小首をかしげ、なぜかあらわれる「ふしぎみかん」をおいしそうに食べている。
 見返りなんか望まなかった。ぼくはひたすら、みかんをあたえた。うれしさがあふれたように、鳥はさえずる。ただそれだけでいい。あたえることはよろこびになり、気づいたら、ぼくは鳥を愛していた。
 
 鳥よ、こずえに飛んでおいで
 お前の目にぼくは見えない
 でもぼくはそばにいて
 お前が必要とするものと
 透きとおった愛をあたえる
 奇蹟の果実があらわれたなら
 さあ、おそれずにうけとって
 また大空へ羽ばたいてゆけ
 
 これって……。
 ぼくは鳥を見守りながら、ひかるような思いに照らされていた。
 知らず知らず、ぼくは神さまのまねをしていたんだ――
 
 あらゆるものをぬらして雨があがった。プラムの花は散ったけど、すっかり明るんだ春のなかに、いろんな花が咲きはじめた。えさがゆたかになったのだろう。鳥はだんだんこなくなった。
 それでぼくがさみしくなったかといえば、そうじゃない。わかったから。知ったから。
 どんなときも、なにがあっても、ぼくはひとりぽっちじゃない。鳥のうしろにぼくがいたように、ぼくのうしろにはいつも神さまがいて、見守ってくれる。
 ぼくはひさしぶりに制服を着た。
 新学年のはじまりだ。
 いまならおむすびもすなおにとりかえられる――
 かたくとざした種からすうっと、やわらかいまっしろな根っこがはえてきたみたいな気持がする。
「いってくるね」
 プラムの木にささやいたら、砂に書いた神さまへのてがみを思い出した。
 鳥とぼく。そして神さま。
 ことばは砂の上にはみつからない。神さまからの返事は、プラムの木を舞台にして、ぼくの目の前でくりひろげられたんだ。



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