宝石髑髏: 「リチャード三世」と「盗賊の館」の共通点
その髑髏はどこから?
シェイクスピアの「リチャード三世」でクラレンスが夢を語る場面こそ、フリッツ・ライバーの短編小説「盗賊の館」に登場する髑髏オーンファルの発想の源なのではないか?
なにをいまさら。ライバーの経歴(後述)はもちろんのこと、英米のフィクションを読めば八月に真夏日が出るのと同じくらいシェイクスピアにでくわすものだし、髑髏オーンファルについても、きっとファンの交流会とかでは何度も話題になったにちがいない。
「盗賊の館」以外で筆者が偶然に出会えたものだと、タニス・リーの冒険ファンタジーにもシェイクスピア要素があった(明らかなものからひっそりしたものまで)。
ライバーの経歴と作品紹介
フリッツ・ライバー(1910-1992)はシェイクスピア劇団の俳優たちの息子でシカゴ生まれ、父もまたフリッツである(*1)。
1939年にライバーは、ファファードとグレイマウザーという盗賊が、人里離れた土地で丁々発止のアクションを繰り広げる短編小説「森の中の宝石」をパルプ雑誌『アンノウン』に発表して、商業誌デビューを果たした(*2)。
「盗賊の館」は初期の短編小説で、原著は1943年に発表された(*3)。1978年に初めて日本語訳され、その後何度か版を重ね、2004年に定訳版が出た。「森の中の宝石」と同様にファファードとグレイマウザーが登場する作品であり、シリーズものだが、どちらの作品も独立した短編として読める。
さて、「盗賊の館」の内容というのは、霧と煙の渦巻く古都ランクマーで、黄金と宝石で装飾された髑髏オーンファルをめぐり、二剣士と美女と盗賊結社が三つ巴のドタバタ劇を24時間にわたって繰り広げると、いうもの。
まるでルパン3世のようなテイストである一方、盗賊結社の測りしれぬほど深い歴史や、結社と二剣士のあいだの宿怨が垣間見える濃密な作品である。
*1 中村融 編『跳躍者の時空』河出書房新社、2010、解説より
*2 フリッツ・ライバー著 浅倉久志訳『死神と二剣士』2004、東京創元社、訳者あとがきより
*3 前掲書
リチャード三世での髑髏
ひとまずシェイクスピアの「リチャード三世」(Wikipedia)から始めるとして、ロンドン塔に囚われたクラレンスが自分のみた夢を語るところで、髑髏が出てくる場面をみてみよう。
本記事の筆者はシェイクスピア、というか古典全般がド素人なのだが、とにかくこの夢の部分からは半端ない幻想と怪奇の雰囲気が感じ取れた。
金と真珠に混ざって巨大な錨があったり、宝石が海底を魅了しようとしつつ死者の骨を嘲ったりするおかげで、難破船の宝というありふれたイメージとは全く違うものが見えてきた。
このあとの看守の切り返しも面白いのだけど、今度はライバーの「盗賊の館」での髑髏の描写をみてみる。
「盗賊の館」での髑髏
両者の描写の違いは? シェイクスピアが宝石の名前を(真珠を除いて)一切出さないのに対して、ライバーは宝石の名前を書き、かつ髑髏の詳細を書いていることだ。目にルビー、歯はダイヤと真珠、というように。
もしかすると、ライバーは雑誌のイラストを意識したのかもしれない。2004年の定訳版の末弥純先生の表紙は、まさにドンピシャ。
ちなみに、このルビー入り髑髏に近いものは、同じくライバーの「骨のダイスを転がそう」(原著1967年)にも登場する。これは、どん底の男が必死の大博打に挑む短編小説だ。
ちなみに「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」(1984年公開)にも、ルビー入り髑髏のようなものがでてきた(下記リンク先ポスター画像の中央のあたり)。目と鼻があるべきところに空洞がある髑髏のつくりは、宝石と相性がいいのかもしれない。
それはそれとして、髑髏オーンファルが再出演したのが「骨のダイスを転がそう」なのだ、というのは流石に言い過ぎだろうか?いったん「盗賊の館」にもどる。
さらに、筋肉や腱も無しで骨が動く理由を(尋問という自然な流れのなかで)真鍮の針金を持ち出して解決するところに、本記事の筆者は「モダン」を感じた。殺し方も邪視とか呪いとかそういうのではなく、あくまでも絞殺なところが「モダン」だと思う(注1)。
「骨のダイスを転がそう」にも「骨がどうして自分で動ける?」と、似たような疑問が出てくる。
さらに、ネタバレ防止のために控えめに述べるとして、「盗賊の館」と「骨のダイスを転がそう」の終盤の山場も、相通じるような情景になっている。ファンにとってはニヤリとできる作りだ。
もうひとつおまけに。シェイクスピアは(夢の中の)海底にたくさんの死骸と宝石を置いたわけだけれども、「盗賊の館」では地下で宝石入りの髑髏が複数でてくる。
あるものは、あるものは、という繰り返し表現の気持ちよさ。
この盗賊墓地?らしき場面が「リチャード三世」のクラレンスの夢とつながっているといっても過言ではないだろう。
このように、宝石髑髏というモチーフは(もっと遡れるかもしれないが)「リチャード三世」「盗賊の館」「骨のダイスを転がそう」の三点に共通している。
ライバーの経歴
ご存知のかたもいると思うものの、IBDB(Internet Broadway Database)にライバー(同名の父)の舞台の経歴が載っている。
IBDBによると、父ライバーが「リチャード三世」に関わる機会は二回あったとのことだ。
1915年 リチャード三世を演じる。当時息子ライバーは5歳
1930-1931年 リチャード三世をプロデュース(演出?) 当時息子約20歳
息子ライバーが父の演じるリチャード三世を見たのかどうか、筆者の調査不足でわからないのだけれども、ライバーが「リチャード三世」を知っていて、自身の小説のアイデア元の一つにした、というのはあり得るだろう。
とにもかくにも、ファファード&グレイマウザーは傑作ファンタジーで、(恥ずかしながら筆者にとっては未読の作品ばかりだが)シェイクスピアにはファンタジー要素が詰まっていて面白い。
補注
(注1)
真鍮の針金が髑髏オーンファルの手の骨をつなげている、というフィシッフの証言は、もしかすると虚偽かもしれない。
まず、イヴリスが髑髏を手に持っているのをファファードが目撃したとき、フィシッフはその場にいなかった(p113)。ついで、フィシッフは尋問に「弱々しく」答えている(p115)。
ここからは推測だが、髑髏がクローヴァスを殺したあとすぐに、フィシッフが現場から逃げた可能性がある。さらに推測を重ねると、フィシッフには髑髏を詳細に観察する余裕がなかった可能性もある。
もしかすると、裁判の席で、なぜ骨がひとりでに動くのかと詰問されたフィシッフが、苦し紛れに真鍮の針金という言い訳を思いついたのではないだろうか。「弱々しく」答えたことは、フィシッフが真鍮の針金を見ていないことを補強するようなしないような気もする。
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