見出し画像

ささくれをむしってしまうこと

ささくれをむしってしまうクセが、いまだに治らない。
乾燥する季節は本当にだめで、爪の甘皮のちょびっとめくれた部分とか指のてっぺんの角質化したあたりなんかを察知すると、もうむしらずにはいられないのだ。
中学生くらいの頃はもっとひどくて、うんときわまで切った爪の、皮膚とつながっている縁みたいな部分を、縫い針や爪切りを使ってむしることをくり返していた。
当然、ばかみたいに痛い。
深刻な深爪みたいなものだから、痛いに決まってる。
手指はどうしたって生活の中で使うから、なにかに触れるたびに指先が熱をもってぎんぎんと痛み、当然、一日くらいじゃ回復しない。
わたしはそれを、両手指ぜんぶにするのだった。
痛いことは分かっているのに。
爪と皮膚のあいまの薄皮を剥きながら、ああ、またやった、などと後悔しているのに、両手指を全部むしるまで止めないのだった。
指先に血がにじみ、傷の部分が脈打ってどんどん痛くなっていく。
このまま傷が治らなかったらどうしようと不安になることもあったが、それは杞憂で、いつも、そのうち血は止まり傷もふさがった。
絆創膏や薬がなくても、しばらく我慢して吹きさらしにしておけば、傷は勝手にふさがっているのだった。

「なんでそんなことするんだ?」
父はわたしの手指のありさまを見ると、苛立ちもあらわにあきれて、ほとんど笑いながら、そう言うのだった。
「なんで痛いことをわざわざするんだ?」
そんなの、わたしこそ知りたい。痛いのはわたしなんだから。
「わざわざ自分で怪我するなんて、ばかじゃないのか」
本当になんてばかなんだろうと、自分でも毎度恥じ入り、後悔していた。
救急箱は自宅で働く父の仕事場にあり、とりに行くのが億劫だった。
「絆創膏だってタダじゃないんだぞ」
父の言葉はいちいちもっともだと思えた。
実際に自分で意図的にこしらえた傷だから、治療できなくても仕方がないと思っていた。
だから、中学生の頃のノートや教科書にはあちこち血がついていた。

でも、いったいどうして指をむしってしまうんだろう?
それこそがいつも謎だった。
若い頃は、そういうクセがあることさえ自覚していなかった。
気がついたら指先が大変なことになっていた。
今でもよく分からない。
分かるのは、一度むしりはじめると「最後までやらなきゃ」という気分になることだ。
最後がどこなのかは分からない。でもささくれや薄皮が一段深いところに達してしまい、「痛い」と感じるところが、ある種の目的地になっているように感じる。
無事、痛いところまでむしった。今日はここまでにしよう。
文字にしてみても、全然意味が分からない。
なにかしらストレスがかかっている時にむしるというのは分かったが、べつにストレスがなくともむしることがあるから奇妙だ。
手持ち無沙汰だと起こりやすい。手指が乾燥していて、角質化していると発生率がぐっと上がる。
性風俗で働いている頃は、あまりむしらなかったように思う。
見た目を損ねることを恐れていたし、なにより、性売買自体が自傷のようなものだったから、“足りて”いたんだろう。

今のわたしは、自分にささくれをむしるクセがあるということを把握しているし、痛くなるからもうよくない?と、自分を止めることができる。
依然として、乾燥して角質化した指先を見るとその周辺を、きれいさっぱりむしり取ってやりたい欲求に駆られることがあるが、その前にハンドクリームを塗る理性だって働くようになった。
そして今のわたしは傷に絆創膏を貼ることができる。
絆創膏を貼って、傷がそれ以上広がらずにすむようふさぐことができる。
別に傷を吹きさらしにして痛いままでいなくたっていいのだ。
傷の痛みを、自分への罰のように、ただ受け入れなくてもいいのだ。
シャワーを浴びたり、洗い物をしたり、柔らかい毛布をたぐりよせたり、しなければならないのだから。
面白い本のページをめくったり、かちかちのアイスクリームにスプーンを刺したり、LINEに返事を打ったりしなければならないから。

今日、新しいハンドクリームを買ってきた。
オレンジ色のフタのユースキン。
ドラッグストアの店員さんに「すぐささくれ作ってむしっちゃうから、乾燥に一番効くやつを教えてください」と言って、選んでもらった。
自宅の薬箱には50枚入りの絆創膏も常備されている。
うっかりささくれをむしってしまっても安心だし、そもそも乾燥しないよう対策しようとしていることで、ささやかに満足する。

結局、自分がどうして痛いことをわざわざやってしまうのか分からない。
そのうち理由が分かって、二度としないですむようになるかもしれない。
それまでは、ハンドクリームや絆創膏で傷が大きくなりすぎないよう、対処していこうと思う。
人生のあらゆる場面でそうするように、
「痛いことはしないでいいんだよ」
という基本を、何度でも自分に伝えながら、やっていこうと思う。


では、また。

この記事が参加している募集

#この経験に学べ

55,532件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?