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あの夜、多摩川に飛び込まなくてよかった。

江國香織さんを好きという話を書いたためか、今朝からnoteのトップに「江國香織」というトピックが出現するようになりました。
端から読みにいってしまって、気がついたら2時間くらい経ってました。


さっき友人とLINE通話をしながらネットサーフをしていたら、「SHE SAID」という映画の広告が目に入った。
そうだ、これ観たかったんだ。

普段、上映されているタイミングで観たい映画のことを思い出すことは稀(なぜだかことごとく忘れてしまう)なので、ラッキーだった。
サービスデーになったら観に行こう。

友人とのLINEはひたすら雑談だったが、そのうちあれをして遊ぼう、これをして遊ぼう、というような予定を色々決められて、とても楽しかった。
通話を終えてから、あ、あれも話すつもりでいたのにな、などと考えながら、noteを更新するためにパソコンの前に座りなおした。
まあ、次会う予定は決めたから、その時でいいか。

次会う予定。

先の予定を決めるのにためらわなくていいって、なんて気楽なんだろう。
「SHE SAID」の特報を眺めながら、色んなことを思い出す。
スマホの充電ケーブルや延長コードが目につくたびに、発作のように死にたくなっていたこと。
しんとした台所で、この大きな刃物で切ったら、なにもかもおしまいにできるのに、と思いながら佇んでいたこと。
真夜中の橋の上から、はるか下に横たわる多摩川の黒々した水面を何時間もねめつけていたこと。
まだ性風俗の中にいて、もうなにをしても辞められないのだろうな、と思い込んでいた頃のことだ。
あの頃の予定というのは「そこまではとりあえず死なない」というような目安だった。
誰さんに会うから死なない。
誰さんとゴハンに行くから死なない。
でも、そのあとは分からない。
そのあとなら、別に死んでもかまわない。
それで、しょっちゅう夜中の多摩川に行っていた。

結局、欄干を飛び越えることも電源コードで首をくくることもなかった。
色んな出会いがあって、色んな力学が働いて、色んな偶然のすえに、わたしは今日まで死なないで生きてこられた。
忘れていた新作映画を観に行こうと決め、友人と遊ぶ約束をした。
その時まで死なないためではない。
ただ映画を観たいから、ただ友人と遊びたいからだ。
その単純さと気楽さを、わたしはとても尊いと思う。

生まれたばかりのように、毎日が発見の連続だ。
真夜中の多摩川に吸い込まれてしまいたいと願っていた頃のことは、今となっては夢だったように感じる。まさに映画の中のことのように。
今ここにいることも、ひょっとしたら夢なのかもしれない。
けれど、カメラロールを開けば、ついさっきスクショした上映時間一覧の画像が残っているし、ずっと遡っていけば店のHPで使うために撮影した裸の写真も残っている。
なにもかも現実で、全部同じ人間に起きていることなのだ。

少なくとも今は、喜びのために喜びを味わい、死なないためではなしに生きていきたい。
あの夜、多摩川に飛び込めず「今日もダメだった」と、得体の知れない敗北感と安堵に包まれながらも、帰ることができてよかったと思う。


では、また。

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