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毎日更新を続ける理由

友人から嬉しい感想をもらった。
嬉しい感想を読み返しながら、毎日書かなくてもいいのだけど、毎日書かないと出てこなかったものってあるんだよなあ、と考える。

noteの更新は、記事のクオリティはともかくとして毎日書いて発信することを目標にしていたりする。
これまでの人生で「もっとよくしたい」という理由で書ききらなかった文章が無数にあって、それらはより良く整えて発信されることなどなく、今も地底で眠っている。
そういうのがもうイヤだなと思ったので「おかしくてもいいから」と、自分の尻を叩き、日々文章をアップし続けているのだ。

系統立てた記事作りなんかしていないし、記事のストックもほとんどしていない。その日考えたことを、その日のテンションで書くようにしている。
だから今日みたいに、午前中用事があって午後からパソコンに向かったものの、全然なんにも思い浮かばなくてもう夜、ということも結構ある。
ああ、時計を見るのが怖い。

別に誰かに強制されているわけじゃないし、これでお金をもらっているわけでもないからやらなくてもいいのに、おかしな話だと思う。

「というか、毎日毎日文章を書いていて、飽きないんだろうか?」

不意にそう自問して、心の底から驚いた。

だって飽きたことなんてないから。

書けなくてへこたれたことはある。
自分の文章力のなさや思考力の乏しさ、知識の浅さに絶望したことはある。
自分が書かなくても誰かがもっとうまく書くだろうと考えたことはある。
でも飽きたことは一回だってない。

飽きたこと、ないんだなあ。
飽きたり、あきらめたり、なんだかイヤになったりして、止めてしまったことが無数にある人生だ。
物事が続かない自分にうんざりしたことも一度や二度ではない。
「生命体としてとりあえず生き続ける」以外のことが、まともに続いたためしがないのだ。
要因は色々あるのだろうけど、いずれにせよ、わたしが続けられたと自信をもって言えるのは、生きてることだけだった。
年末、自分と同じ性風俗の経験がある友人達とお酒を飲んだ時「性風俗以外、まともに続いたことがない」「だから性風俗以外になにかができる気がしない」みたいなことを、酔った勢いでのたまった。
笑い飛ばされたような気がするが、記憶が定かでない。
あの時、友人たちには本当に申し訳ないことをした(あの時だけではないが)。
わたしは自分がそんなみじめさの底にいることを、酔って正体をなくすまで気づかなかった。

大晦日からこのnoteを始めて、実は今日この記事で50記事目になる。
今まで続けられなかったことの堆積に比べたらささやかなものだし、途中休みながらではあるが、それでもわたしにとっては快挙だ。
書くことに飽きないし、飽きたことがないのだと気づけたのも嬉しい。

書いたものがどうなるかは分からないが、それでも書き続けたら、なにかもっと嬉しいことがあるかもしれない。

自宅から埋蔵金が出るかもしれないと夢見て、庭をスコップで掘っている気分だ。
手段と目的が逆転していると言われるかもしれないが、毎日ちょっとずつ庭を掘ること自体に、わたしは意味を見出している。
埋蔵金なんて、多分出ない。
でも貝塚の貝殻くらいは出るかもしれない。

友人から届いた嬉しい感想も、書くことに飽きないのだという気づきも、七色に輝く貝殻のカケラだ。
毎日掘らなければ手に入らなかった出土品。

パソコンの端にある時間表示を横目に見て、慌てながらこれを書いている。
本来はこんなことを書くつもりじゃなかったのに、わりとまとまったような気がするから可笑しい。
本当は言いたかったことを掘り当てるのも、結局番手っ取り早いのは、毎日愚直に続けることなのかもしれない。少なくともわたしの場合。

まだ当分、七色の貝殻を嬉しく眺めつつ、埋蔵金か古墳を夢見て庭をコツコツ掘っていきたいと思う。


では、また。

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