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宇宙人だった頃

「お、宇宙人。まだ月に帰らないのか?」

小学校に入りたてか、幼稚園に通っていたか、なにしろそれくらい小さかった頃、わたしは宇宙人だった。
月だか火星だかで生まれ、なんらかの使命をおびて地球にやってきた、夢と魔法の宇宙人。
当時、テレビでは「サリーちゃん」や「アッコちゃん」の新しいアニメが放送されていたから、それに影響されたのだと思う。

空想家な子どもらしい夢である。

父の弟であるところの叔父は、これを非常に面白がって茶化すひとだった。
わたしが30代になって以降も、会えば挨拶のかわりとして言い続けた。

「なんだ、まだいたのか。もう宇宙に帰ったと思っていたのに」
「宇宙から来たっていうあれは、嘘だったのか?」
「月ってどんな言葉でしゃべるんだ?」

小学校の高学年にもなるとばかにされているというのが分かるので、とてもイヤだったが、それをうまくかわすことができなかった。
無視すると「返事をせんか、こら」と言って叩かれる(か、叩くまねをされる)し、やめてくれと懇願しても「お前が自分でそう言ったんだろう?」と大きな声と巨大な身体ではね返されるだけだった。

叔父は肉体的にも精神的にもマッチョだったし、そもそもわたしのことが好きではなかったのだと思う。
せまい田舎社会の中で、小突いても茶化しても反撃してこない対象とみなして、30年にわたり姪にむかって宇宙人と言い続けたのだろう。

ある時を境に、叔父が「おい、宇宙人」と言うことはなくなった。
その契機がなんだったのか知らないが、もう何年も会っていないし、できることなら今後二度と会いたくないので、確認する機会もないと思われる。
いずれにせよ、叔父の茶化しは鳴りを潜め、わたしは自分がかつて口走った「わたし、宇宙人」という発言の愚かさを呪うこともなくなった。

それからもう少し時間が経って、わたしはグシャグシャになった人生の真ん中で立ち尽くし、混乱をきわめた頭の中で自分史をまとめていた。
生活保護を申請する際に、
お金がないこと、
現状ただちに働くことが難しいこと、
両親やきょうだいに扶養してもらえないこと、
そういったことを話す必要があったからだ。
すみからすみまで言葉にすることは当然できないが、今の自分につながるエピソードをできるだけ正確に思い出し、話そうとしていた。
まとめている最中に、自分が宇宙人だったことを、叔父がわたしを楽しそうに茶化す声を思い出すことによって思い出した。

そうか、あれは侮辱だったんだ。

本当に忽然と気がついた。
長い長いあいだ、幼いわたしの空想は、叔父によって侮辱されていたんだ。

わたしはずっと、なんてばかな、頭の悪い、現実的でない、ひととして正しくない、嘘つきな、愚かなことを言ってしまったんだろうと、悔いていた。
「わたし、宇宙人」
そう言ったのであろう幼い自分を恥じていた。
叔父がわたしを侮辱するたびに、恥じて、悔いて、慄いていた。
この先ずっとおじさんからばかにされたとしても、それはわたし自身がしたことの責任だから、仕方ないのだと。
そんなふうに言葉として理解できていたわけではないが、言葉がなくとも羞恥やあきらめは実感として何度もわたしをうちのめした。

ひとの心を壊すのは簡単なことだ。

生活保護申請に際して、こんなことに気づくとは思わなかったということはたくさんある。
叔父の侮辱はその最たるものだった。

風の噂によると、従姉弟には子どもが生まれたらしいので、叔父は新たに祖父にもなっている。
自分の孫は可愛がっているそうだから、わたしにしたようなことはしないと思う。
でもそうなのだ。叔父はやっぱり分かっていたのだ。
分かっていて、わたしを侮辱していたのだ。
そう考えると、どう間違っても二度と会いたくないなと思う。


では、また。

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