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福生赤線通り


私が10代の頃、東京都福生市の米軍基地沿いにある“赤線”。

多国籍な怪しい飲み屋が溢れ、合法、非合法な怪しい薬が出回っていたし、アダルトショップにも普通に置いてあった。

福生の赤線をテーマにした、村上龍の小説「限りなく透明に近いブルー」
に書かれた程に、今考えると異世界な場所だ。

10代の頃、稼いだ金で福生の赤線に繰り出し、ロシア人、アメリカ人、フィリピン人、エトセトラ、ナンパした。

ラリったアメリカ人の大男に絡まれるも、彼らは体重が重く、筋肉質で背が高いので、膝に蹴りをいれると一発でノックアウトだ。

喧嘩が一番強いのはやはり日本人かフィリピン人、

動きが俊敏で、体重が軽い分、ずっとスピーディーに動ける。

喧嘩慣れしたアジアン系は本当に厄介だ。

酒が入ってても動ける。

女は、性的にやらしいのはアジア系だったが、性格がやらしいのもアジア系だった。

ロシア女性は物怖じしない強い女性が多かった。
ロシア女性はナンパにはなかなかなびかなかった。
どんなに酔っぱらっても、心がしらふな男を好んだ。(若い私には無理だった。)

赤線で仲良しになった白人アメリカ人(当時彼は37歳。)に、アフリカ系アメリカ人の黒人女性を、私は紹介された。

彼女の年は13歳から14歳になろうとしていた。

私は16歳から17歳になろうとしていた。

諸事あり、アメリカのフロリダ州から家族で日本に来たばかりのようだ。

「付き合ってやってよ。」
彼が言う。

「黒人はあそこのしまりが最高だぜeyu !」
「処女だろうし、“味わえ„よ!」

諸事あって日本に来るのだろう。

それは何かしらの弱味か?

正々堂々と弱味のない彼女を抱きたいな。

「一切の偏見なく口説くよ。」

一言添えて。

実際に会ったが、八頭身の漫画にでてくるような、非現実な容姿。

自分の足の短さに、心に槍が刺さるようだ、、

遥かに年上のように見える出来上がった完璧な身体と解る。

こんな素晴らしい肉体が、年齢は俺より年若なのか、、

しかし、肉体は出来上がっていても、心はやはり少女。

俺を恐れているし、もじもじして、会話が成り立たない。

そもそも俺は英語が喋れないし、彼女も日本語が喋れない。

若い勢いのみで会ったのだ。

会話は、アイコンタクトに依存するようになった。 

不思議と理解しあえるから凄い!

機敏てのは会話が成り立たない緊張感の中で発揮するのだという事を学んだ。感動した。

会話で盛り上がる恋愛よりも刺激的だ!!!

彼女の純な、潤な綺麗な瞳が、時折俺に罪悪感を投げ掛ける。

(遊んで、よい子ではない。)

しかし、私は美しい彼女を抱いた。

一生忘れられない女性になった。


処女だったし、入れて、腰を動かすまで数時間必用だった。

彼女は両腕を私の肩に絡め、必死に我慢していた。

耐えていた。

その姿勢から、恐怖、愛情を感じた。

彼女とは2ヶ月間つきあい、私は他にナンパした子に思いを寄せ、自然と離れた。

当時の私はまさに最低の男。

しかし、最低の男を経験したからこそ、慈しみの心も産まれるのだろうと信じている。

だからこそ41になった中年の私は、彼女達の幸せを本気で願っている。


















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