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江戸幕府/ 鎖国でも外国とつながる四つの窓口(四つの口)を持っていた



〈目次〉
1.四つの窓口(四つの口)とは
2.江戸幕府が四つの窓口を設けた理由
3.「四つの窓口」について(補足)

(1)長崎
(2)対馬藩
(3)薩摩藩
(4)松前藩

1.四つの窓口(四つの口)とは
江戸幕府は、キリスト教の禁教と貿易の統制を目的に、日本人の海外渡航と帰国を禁止して、外交・貿易を制限していた。

この禁教・貿易統制のシステムが、いわゆる「鎖国」である。

「鎖国」というと、国を完全に閉ざして外国との接触を完全にシャットアウトしているように思えるが、実は江戸幕府は外国とつながる4つの窓口を持っていた。

江戸幕府  四つの窓口(四つの口)


■ 江戸幕府  四つの窓口(四つの口)
①長崎
江戸幕府が直接管理。オランダ船・中国船が来航。

②薩摩藩
薩摩藩の島津氏が琉球王国を支配。

③対馬藩
対馬藩の宗氏が釜山の倭館で朝鮮と貿易。

④松前藩
松前藩の松前氏が蝦夷地のアイヌと交易。

江戸幕府は一番大事な長崎だけを直接管理(直轄)して、それ以外の3つの窓口は大名に管理を任せた。


2.江戸幕府が四つの窓口を設けた理由
江戸幕府は、貿易で利益や外国の情報を得たいが、キリスト教は禁教したいと考えていた。

そこで江戸幕府は、海外との接触を4つの窓口に限定して、直接的・間接的に管理したのである。

このことによって、貿易による利益と情報の獲得と、キリスト教の禁教の両方を図った。


3.「四つの窓口」について(補足)

(1)長崎
江戸幕府が直接管理し、オランダ船・中国船が来航した。

オランダ人は出島に隔離されたが、中国人は街中で住むことを認められていた。

また、オランダ商館の商館長は、1年交替で着任して、そのたびに海外の情報を幕府に伝える義務を負った※。

※オランダ商館長が口で言った内容を通訳が翻訳して、「オランダ風説書」という書物にまとめ、江戸幕府へ提出した。

長崎  出島


(2)薩摩藩
薩摩藩の島津氏が琉球王国を支配した。

■琉球王国
日本・中国・東南アジアの商品を転売する中継貿易で繁栄していた。

1609年に、薩摩の島津氏からの攻撃を受けて、日本に従うことになった。

ただ、江戸幕府は琉球王国を独立国してあつかった。そのため、琉球王国は「日本と中国の両属状態」になった。


(3)対馬藩

対馬藩の宗氏が釜山の倭館で朝鮮と貿易をおこなった。

■朝鮮
豊臣秀吉の時の朝鮮出兵のため、日本と朝鮮は関係が悪くなっていた。

そのため、江戸幕府は対馬藩の宗氏に交渉を依頼し、両国の関係が回復した。

対馬藩が釜山の倭館で朝鮮と貿易をおこない、朝鮮は将軍の代替わりごとに朝鮮通信使を日本に派遣した。


(4)松前藩
松前藩の松前氏が蝦夷地のアイヌと交易をおこなった。

■蝦夷地(現在の北海道のエリア)
蝦夷地にはアイヌ民族も暮らしていた。

蝦夷地の南部に領地をもつ松前藩が、蝦夷地でアイヌと独占的に交易する権利を認められた。


参照元:  「モチオカの社会科マガジンα」ホームページ

以上

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