私流 マザーテレサの言葉の解釈

有名なマザーテレサの格言に次のようなものがあります。

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思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。
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ご存じなかたもきっとたくさんいらっしゃるでしょう。

私はこれをどう解釈したかというと、他人に対するネガティブな感情にあてはめました。
簡単にいうと苦手で、嫌いなタイプな人にたしてどう対処するかということです。

例えば、職場で思いっきり苦手で、大っ嫌いなAさんという人がいたとしましょう。
私ばかりではなく職場の同僚の多くの人がAさんを嫌っており、陰口の対象になることもしきりです。

こんな状況下で

「思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。」を実践しようとすると、私はAさんに対するネガティブな考えや気持ちを何とか封じ込めようとします。あるいは頭の中から消し去ろうとします。
言葉として発しないように。

しかし、仮にAさんからひどく傷つけられるような言葉を投げかけられたり、あるいは不愉快な態度をとられた場合、そうしたことは記憶の中に強く刻まれてしまい、封じ込めることも消し去ることもほぼ不可能になります。

思考に深く、長くとどまり、言葉として発しないとかなりストレスは高まります。

続く「言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。」については
このAさんについて他の人に言及する際に、愚痴や陰口で終わらないように、とにかく気を付ける努力をします。
当然Aさんにも辛辣なことを言ったりはしません。
なんとかAさんのいいところを見つけて、それについて言及するというのもやはり気持ちと裏腹の言葉を発する必要が生じてかなり辛い。

では、どうするか?

Aさんについての言及はしない。

結局こういう結論におちついてしまいます。
本当はAさんについて他の同僚とけちょんけちょんに愚痴やら、文句を言い合いたいという気持ちを抑えながら。

3つ目の「行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。」
はどうでしょう?

Aさんを攻撃するようなことはないにしても、私だったら避けるという行動を取り始めます。
できるだけ接点を持たないように。
すると、こちらから話かけたり、ということは積極的にしなくなります。

ただ、問題なのはあまり感情の赴くままにこういう行動をとっていると、仕事に支障が生じます。Aさんと相談したり、話し合ったりして事を進めていくのが本筋ですから。

しかし本筋を通すのは難しい。Aさんが苦手だと思うと、避ける行動は習慣化してしまいます。


しかし、私はこの避けるという行動自体を中々心の中で正当化できません。

正攻法ではない行動をとっているわけですから。
まさか挨拶をしないとか、口も利かないといった行動こそとりませんが、なるべく接点を持たないようにすることに気を遣うあまり、変な習慣が付くようになることはあるようです。

例えば、自分の席から離れてエレベーターに乗る際などに、Aさんとエレベーターに同乗しないような工夫をしてみたり。それこそトイレで会わないようにとか。

エレベーターに乗ろうかなと思って、どうもAさんもエレベーターに乗りそうな雰囲気が目に入ったら、自分はそこで諦めて、他のタイミングを探す、といったことが習慣化します。

4つの「習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。」はどうでしょう?
確かにAさんを避けるような行動を取り続けてそれが習慣化してくると、いやなもの、不愉快なものを正視するということができなくなるかもしれません。

「あ、これ嫌だ」と思うとそれをいつも避ける性格が身についてしまう可能性です。


なんか、ここまで書いてきてマザーテレサのこの4つ目までの言葉は自分に我慢を強いる必要があるような気がしてきましたが、どうでしょう?


5つ目、「性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。」

これとても強烈ですよね。「運命」という言葉が出てきますから。

しかし性格に気をつける、といっても中々自覚できない部分も多いのではないでしょうか?


先ほどはマザーテレサの言葉を実践するには「自分に我慢を強いる必要がありそう」と書きましたが、ちょっと最後だけは方向を変えてみます。


今までAさんという一人の人を仮定して書いてきましたが、自分が苦手だと思う人、できれば接したくない人、もっと言えば2度と顔を見たくない、と思う人に出会うことは生きていくうちで何度もあると思います。

そんな時、いつも自分に我慢をしいて、ネガティブな思考、言葉、行動、習慣にならないようにと耐えしのぐような生き方を続けてしまうと、もしかしたら.....

我慢をして、ひたすら耐えしのぐという運命が待っているのかもしれません。


嫌いな人、苦手な人への対処法ということがこのマザーテレサの言葉にそぐわない例だったのかもしれません。

ただ、彼女はきっと「ひたすら我慢しなさい、ひたすら耐えなさい」と言っているわけではないでしょう。

彼女の言っているのは「気をつけなさい」ということです。

自分の思考、言葉、行動、習慣、性格を野放しないで、「点検することを忘れないでね」って言われているような気がしてきました。







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