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”生理用品の貧困”って?

小さな変化を起こしたかった

自分が恵まれている環境で生きられている裏で教育が受けられない人がいる状態に危機感を覚えて何かしたいと思った高校時代。
SDGsに基づけたかったので、1貧困をなくそう、4質の高い教育をみんなに、5ジェンダー平等を実現しよう、この三つのテーマに絞って勉強・発信することを目標にした。
その後、女子学生4人ほどでプロジェクトを開始したが、結局フェードアウトしてしまった。今思うと具体性が足りなかったと思う。
しかし、「残念だった」の一言では終わらせたくないので、ここに記録として書き留めておきたい。

もし、読んでくれた人がいるのならもうそれは大喜びである。
(ありがとうございます:))

きっかけ

2021年春、私はある映画に出会った。
“Pad Man” というもの。Netflixで何か新しいドキュメンタリーか映画を観たいなあと探しているところ、「インド映画?面白そう!」と思ったのがきっかけだった。

インド映画、"Pad Man"。友達に話すと"Bad Man"と必ず間違えられます。1文字違うだけでだいぶ違うね。
これこれ!今も観れます!

インド映画、"Pad Man"。人に話すと、必ず、毎回 、"Bad Man"と間違えられます。
1文字違うだけでだいぶ違うね。

内容を軽く説明すると、インドで起こっている生理用品を手に入れることのできない貧困問題を扱ったドキュメンタリーである。生理がタブー視されているインド(日本もその傾向にある気がするが)では90%の女性生理用品を使うことができない

インドなどの発展途上国では状況が異なります。インドでは、生理のある女性の90%3億人以上が清潔な生理用ナプキンを使用することができず、ぼろ布やひどい場合は葉っぱや泥を利用して凌いでいるといわれています。これでは不衛生で、深刻な感染症などの原因になりうるとともに、そのようなものを装着する不快感、また経血が漏れ、衣服を汚すなど機能性にも大きな問題が生じます。

borderless-japan.comより

その現状をあるインド人の男性が自身の手で、生理用品を作っていくというものである。男性でありながら、タブーである生理について真正面から向き合っていく姿に感銘を受けた。自分は同性ながらにして今まで気がつかなかった問題で、その時から「何かしたい!」と思った。

生理は、ケニアでは学齢期の女子が学校を休む理由の20%を占めるとも言われているなど、仕事や学業に大きな影響を与えます。これが毎月あると考えると、生理用品が使えないことによって女性が被る損失は少なくありません。


また、教育問題もある。

正しいことをどこから学ぶのかということ、やはり教育機関がしっかりしていることは一番重要であると思う。

頭の柔軟な子供時代から教育をしっかり受けることは未来の社会を作り出すと、それなしには安泰な社会はできないのではないか。私たちが教育機関外で何かを学ぶ際にも同じことが言える。どのソースを使って調べたのかということを問われるのはその情報の質や、正確性を確かめるからだと思う。

結局まずはこの問題を知ってもらい、問題意識を持つことからだと思ったため、4人ほどの生徒を集め、ポスターを作成したり、プレゼンをしたりと活動を進めていった。またその後、中学・高校の全てのトイレに袋を置き、全校生徒から生理用品を寄付してもらった。3週間ほど実行し、最終的に集まったのは1200個ほどだった。

現地の人からしたらほんの気持ちでしかない数である。しかし、全てありがたく収集し、無事全ての生理用品をカンボジアのシェリムアップ郊外という地域に送ることができた。


きっかけ その2

また、UN Women のアンバサダーの一人であるエマ・ワトソンのHeForSheのスピーチにとてもインスパイアされた。高校2年次に、ある大学主催の英語のレシテーションコンテストの課題文章は彼女のスピーチだった。

彼女の力強い発言力と、「社会を変えたい!」という姿勢に共感した。
(最終的に全国2位という賞を頂けたのは彼女の言葉に自分の気持ちもまっすぐに入れることができたからだと思う・・・)

私の高校生の頃と比べれば、社会で「ジェンダー平等」という言葉を聞くことがとても増えたと最近感じる。もちろん全てが良いニュースとして耳にするわけではない。でも、まずは社会に浸透させることからだと思う。

その言葉が社会に出ていなければ、当然使われることもないわけで、まずは言葉が人々に知られることからスタートだと思う。(その上で正しい知識を身につけるべきである)1ミリでも変化があるのならこの先の未来は完全に暗闇ではないはずだし、あと私たちができることは、その未来に向けて何が必要で不必要か選択をしていく必要がある。

フェミニズムといえば…の本。この本にも非常に刺激を受けた。


得たもの

プロジェクトは失敗してしまったわけだが、全部が全部失敗だったわけではない。その中で得たものがあると思っている。
それは、発信の大切さである。
(あとは、プロジェクトの進め方の大切さも。一人一人の熱意などがどうしても異なるから仕方ないことだけど、それを進めていくのは自分では難しかった・・・)

自分で知ったことを自分の中に置いておくだけでは、もったいない。もったいなさ過ぎる。また情報社会となった現代社会で、膨大な情報から何が本当か間違いなのかということをはっきりさせないといけないということも学んだ。間違いを広めても仕方ない。結局フェイクを世の中に流すことになるから、まずは信用できるソースを利用して自身でしっかり勉強しなくてはならないと思う。

後はターゲットを具体的にどうするかということも大事で、どの年齢層・性別・その人の立場なども考慮してプロジェクトを始めるべきだったのかなと思う。それと、もっと私たちの活動に共感してくれる人を増やすのも必要だったと思う・・・もしこれから何かを始める時にこの失敗から気が付いたことを活用できたらと思う


これからのこと

「社会問題が解決した後は社会はどうなるのか」
という疑問をよく目にする。

私の一個人の意見としては、社会問題が解決されることはないと思う。


2020年の3月、
巷では人類vsコロナの戦いをどのようにして終わらせるかということが言われていた。しかし、コロナを撃退して排除することは不可能であり、人間がウイルスに勝つということなど無理に決まっている。大事なのはどうやってコロナと共存していくかということだと思う。結局コロナの蔓延から3年経った今、「マスク原則不要宣言」が為されたわけである。でもコロナウイルスから打ち勝ったとは言えないと思うし、完全に世界からウイルスを排除したとも言えない。社会問題も同じであると思う。

先日、電車に乗っていると、

「将来に選択肢を与える社会をどうやって作っていくのか」

という広告の言葉を見て、あれこれ考えた。


確かにその通りだと思った。
社会が完全に一つになることは不可能であるし、目的にはならない。(と私は思う)

人間の選ぶ政党が一つになることも、テレビ番組の選択がいつも同じになることも、あり得ない。もしそれが実現するのならただのクローン人間である。

それぞれ違う意見や感想を持つから人間は面白いのである。し、お互いのそれを受け入れることも必要である。

よって、ゴールは問題自体の解決ではなく、(私たちを含め)将来の子供たちがより多くの柔軟な選択ができる社会の基盤を作っていくことだと思う。

そのために数々の先人が残した本を読み、知識を涵養して、それらを元に自分はどう考えるかという力を育てたい。


大学で学べるのも残り2年。
焦りもあるが社会に出る前にできるだけ多くの学びとともに、出会いや発見を大切にしていきたいと思う🌸


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