本当の社会正義の実現を求めて


最近は大学の授業が終わるとすぐに近くの都立図書館へ足を運び、
できるだけ多くの新聞を読み漁る。

「情報が一つに偏らない」

これは私たちが現代社会を生きる上でのとても大事なキーワードであると思う。

つまり、私たちが情報を得るために中枢となるはずの報道が、
そのような重要な役割である報道なのに、
政治的立ち位置が顕著に現れていることも目にするし、
誰がメディアをコントロールしているのかということについては
追及していくべき問題であると私自身考えている。

中立で報道しているメディアは「ない」と断言しても過言ではないだろう。

それは、CNNやBBC、Al Jazeeraなどのグローバルメディアにおいても同じことが言える。

でもだからと言って、
「政治的立場がこうだから」とか「報道なんてどうせ自分たちのお金のためだ」とか「マスゴミだ」とか言って彼らを批判するのはちょっと違うのではないか・・・と私は思う。

しかし、今の若者はテレビ離れ、新聞を購読する家庭も大幅に減っているようである。(ちなみに、このままのペースで新聞を読まない人が増えていくと、20年後には新聞がなくなっているらしい。)

じゃあ何によって情報を得ているのだろうか。

インターネットである。

「ニュースなんてインターネットで見る時代」
と口を揃える若者がなんと多いことか。(教授より)

そうして、Yahoo!ニュースやラインニュースを
「ニュース」として読む若者が多いらしい・・・

(私は周りであまり聞かない。が、
情報収集にはTwitterを使うと言う友達はよく耳にする)


果たしてこのままでいいのだろうか。

情報を得たい時にはインターネット、政府やマスコミは信用ならない、と言っている人を批判するつもりはない。

それに私もマスコミや政府が一番正しくて信じるべきと言っているつもりは1ミリもない。

第一に政府=マスコミという関係性にも誤りがある気がするんだけれど・・・マスコミ(メディア)は権力を監視する役割として本来機能するべきで・・・


まあ、つまり大事なのはバランスなのではないかと思う。


情報をすぐに得たいときには、確かにインターネットは簡単であると思う。そして便利なツールでもある。


情報収集の際にはできるだけ多くの情報に触れていたい。

自分が社会を見る際にバイアスを防ぐために常にこれを意識したい。

☀︎

ジャーナリズム論の授業で学ぶことは毎回気づきが多くてとても楽しい。

そして今回の授業でも新聞記者(記者)という職業を理解する上で、
またひとつ大事なことを学んだ。

それは、『社会正義の実現』

つまり、物事の釣り合いが取れていることをいう。

一番簡単な例を挙げれば、罪と罰が挙げられるだろう。

社会は、釣り合いが取れている状態が基本であり、罪を犯した人はその罪に見合うパニッシュメントが必要とされる。

私はこの考えに共鳴した。

不平等に感じたことがあれば、

その不平等さに違和感を感じ、

その違和感を社会(一人一人)に投げかける、

そして正義の実現をする。



(……めちゃくちゃかっこいいじゃん。)



それが報道の本来の目的であって、

報道に関わる人たちが根底に持っていることなのではないかと思う。


だから、何に共感して、反対するのか、

どの情報が正しいか、正しくないか、

ということは私たちが個人で判断するものであると思う。

☀︎



私が政治とメディアの関係性について研究したいと考え始めたのも、

この映画が始まりだったと思う。

賛否両論ある映画だけれど、
「新聞記者」の信念を持つ姿に非常に感銘を受け、
私の目には魅力的な仕事に映った。


そして何より、
「なぜこの俳優たちが出演しているのか」
ということの重要性に気がついた。


なぜ女性記者として日本人女性ではなく、
韓国人女性が起用されているのか。


日本の政治に対する実態を現している、
あらたな発見だった。
そして、それは課題でもある。

簡単に言って仕舞えば、
社会から強く批判される可能性が非常に高い。
つまり俳優ならば今後の職がなくなる可能性だってあり得る。

それでも自分が出なくちゃ、自分が出ることに意味があると
(おそらく)判断されたのだろう。

出演された全ての俳優の方達に拍手を送りたい。

初めて観たのは、大学2回生の夏、
英国に留学する前のこと。


その時よりも遥かに知識が増えている今、
もう一度見直してみようと思う。



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