書くのもコメントするのも誰かとシェアするため
自分だけが読むために記事を書くなんて、僕には出来ないから
日記は付けられません
かと言って全面的に誰かのために書くこともありません。
半分は自分のためです。
だからシェアするんです
自分や身近な人以外にも内容を読んでもらった方がいいと思うし、そのことに意義を感じているから広く公開しているわけなんですよね。
コメント
する時も同様ですが、動機はその時々で少し違います。
記事を読んで思いついたことを言う
全くその通りだと感動したり気付いたりしたことを知らせる
ちょっと違う見方(見解)があるということを知らせる
こう考えてくれたらいいなと思う気持ちを伝える(願望)
などがありますが、人によってはそういうのを「お節介」に感じる人もいるようで、あからさまに無視されたり、反論されたりすることもあります。
ただ、議論するつもりはないので、反論されても困っちゃうけど。
コメント欄で議論するのは考えられることではあるけど、実際にはうまくいかないことが多いのは、長いSNS体験で理解しています。
おそらく・・
自分の好きに発信しているから横槍入れるな
と思っている人が多いような気がしますね。
ビジネスで、ブランディングが目的で発信している人にとっては余計な情報なんでしょうね。商売の邪魔をするといけないから、ブランド価値を高めるようなコメントをしないといけないのでしょう。
そうじゃない人には
コメントする側の気持ちも分かってもらいたいですね。少なくとも、その内容を読んでコメントする気持ちになったわけですから。
そうでないとコメントする意味そのものが無くなってしまうし、コメント欄も必要ないんですよね。
個人的には、受け入れてくれなくて残念だなあと思うだけですが。
情報を伝える責任は発信者にあるけど
利益は受け手にある
通信の概念だと、ある大事な情報が伝わらなかった場合、どこに責任があるかと言うと、それは送信者なんですよね。届いたかどうか、読んだかどうかを確認する必要があるんです。
その考え方からすると、コメントされた人が予想外に嫌な気持ちになったのはコメントした人の責任だということは言えるかもしれません。
記事の場合は、必ずしもユーザー全員に届かなくてもいいんですね。
たまたま受け取った人が、それを見て、何かの役に立てればいいわけですし、役に立てば、それは受け取った人の利益になるんです。
だから記事もコメントも、利益が誰にあるかというと、読んだ人なんです。
書いた人も、場合によっては自分のことに気づくというメリットがあるかもしれないけど、多くの場合は既知のことなので、特に新しい利益が得られるわけでもありません。
だけど読んだ人には何かしらのメリットがあるのです。だから記事に値段を付けても売れるのですね。
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