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比較を避けると本質にはたどり着けない

人間が物事を認識するとき、比較なしには認識できない。
突然目の前に知らない「何か」が現れて、それが大きいのか小さいのか、判断できない。

例えばアリを知らない人が、1mぐらいのアリを見せられて、それが大きいか小さいかは判断できない。
近くにいれば大きく感じるし、遠くにいれば小さく感じる。

その時の大きい・小さいは、自分の視覚の広さと比較している。

上り坂だと思っていたら実は下り坂だったという場所がある。
上りか下りかは重力に対してどっちの方向かということで、人間は自分が感じる重力の方向よりも、目で見た光景の方で状態を判断する。
風景の中で道が上っていくように見えれば上り坂。そうでなければ下り坂。

比較の弊害

そのように、比較をした結果で間違うことがあるが、それは比較した相手が悪いから間違うのである。
本来比較するべき対象を見つけないで、闇雲に周りと比較するから間違うのだ。

間違うから比較をやめるのではなく、正しいものと比較して判断する。
それが重要。

本質にたどり着くには

その「正しいもの」という比較対象は、始めから分かっていない。
その前に、確からしいものと比較して「これは間違いない」と判断した結果、それは正しいものになったわけで。

正しいものを見つける作業が「本質を見極める」ことであり、それには必ず比較を伴う。
商品の良し悪しを見極めるには、多くの商品をさまざまな角度から比較することが必要であり、人間の良し悪しを見極めるのも同様。

その先に本質があって、本質を知ったところから振り返ると、最初に見たもののどこを見れば、その良し悪しが判断できるのかが、判る。

比較を恐れない

繰り返して言うと、
比較すると間違うことがあるが、それは比較対象を間違えているから。
正しい対象と比較すれば、間違わない。

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