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ワーママのワーとママの間にある葛藤

「ワーママ」という言葉は、独身の頃からたぶん自然と知っていて、それは子供を育てながらも自身のキャリアを諦めない、もしくは家計をしっかり支える、そんな格好いい女性像だった。

確かに「働きながら」、育児も家事もすることは本当に大変だろうれど、専業主婦の場合、「ワーママ」が働いている時間、実質「保育士さん」として働いている訳だから、同じように「働いている」と言えるよなぁと思っていた。


けれど、我が子の保育園の準備、情報収集をしながら、私は段々と気付いてきた。

「ワーママ」の本当の、意味に。
ワーとママの間には実はブラックホールがあって、見えない仕事と葛藤があることを。


それは、「働いて」帰ってきて、家事や育児をすること、そのものの忙しさではなくて、「働く時間を確保するために働く」必要があるということ。

保育園のリサーチ、保育園見学、入園の準備、病後児保育の見学と登録。
書類記入に、持ち物への大量の記名を終えて、慣らし保育、やっと入園を迎えると、毎朝時間に追われながら、離乳食と大人の朝食を準備して、離乳食を食べさせて着替えさせて、保育園の持ち物の準備をして、自分の準備をして、保育園に送り届けて、、自分の職場へ行く。
からが、「仕事」のスタート。


よし、久しぶりの仕事に早く慣れねばと思っていると、、
すぐに熱を出して呼び出されて、小児科の受診に、病児保育の空き探し、もしくは翌日以降の出勤調整、、弱った我が子をお世話しながら、家事、育児、、

「すみません、子供が熱を出したので、明日お休みを頂きたいのですが、、」と何回職場に言うのだろう。その度に私はきっと「申し訳ない」気持ちになる。

保育園に呼び出されて、迎えに行っても、
たぶん「(ご迷惑をお掛けして)すみません」と言う。

病児保育が運良く空いていて、翌日の予約が取れたとしても、翌々日以降の子供の体調も、病児保育が引き続き確保出来るかも分からない。

具合が悪くて、しんどくて、心細い我が子はきっとそんな時にこそ、ママに側に居て欲しい。そんな時に、いつもの保育園でもない新たな場所で過ごさせてしまう、「申し訳なさ」。


「そこまでして、働く必要があるのか」
夫婦共働きで、家計がやっと成り立つ家庭なら、そんなこと言っちゃいられない、明日のご飯のために、子供の学費のために働かなくちゃとなるのだろうけれど。

夫の収入で暮らしていけるだろうに、
「(他の誰かに迷惑を掛けてまで)そこまでして働く?」
と、保育園の先生に、職場の人に、その他の私の周りの人に思われてしまうんじゃないだろうかと。早速HSPの私が発動してしまう。



ちなみに、改めて言うが私はまだ働いていない。
準備段階で、私はワーママを取り巻く実情に、、
遅ばせながら、気付いてしまった。

そして、
たじろいでいる。

けれど、私は「働く」と既に決めてしまったのだ。
もしも、すぐに熱が出て、あるいは何かの感染症になって、ずっと休んで殆ど保育園に行けなかったら?
私にも病気がうつって、家事、育児がまわらなくなったら忙しい夫に迷惑を掛けてしまうかもしれない、、休みが続いて、職場で嫌な顔をされてしまったら?仕事についていけなくなったら?とか、、

想像してしまうと、キリがないけれど、
もう十分準備を重ねたので、一旦様々なケースの想定はストップすることにした。

もう、とりあえずやってみるしかない。



ワーママは、「ワーキング」と「ママ」の隙間に、「私」が居て、「私」は各所に恐縮しながら、感謝しながら、謝りながら、自分が「働く」ための時間を確保する。
ワーママの真の凄さはそういう所にある気がする。

そんな実情に気付けたことも、当事者になったから。
だから、この経験も私の人生の深みにはなっている、はず。

私の気付きをこんな風に自分なりに言葉にすれば、「そうなんだよ!」と思ってくれるママに、「そうなんだ?!」と知ってくれるママ以外もきっと居る、はず。


P.S.
結果を恐れてはチャレンジ出来ないですよね。
ワーママチャレンジの経過もまた書いてみたいと思います。

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