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息子に言いたいこと

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なかなか連絡してこないので、息子に言いたいことをここに書きます。
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#息子

住んでみたいって言い続けてたら

ブリュッセルからもどったらこれから2年間ポルトガルに住むためのカードが届いていました。 ポルトガルに住んでみたい。(定年も近い)今なら仕事辞めて住めるんじゃないかと思いたって1年が経ってみると、一人と1匹でリスボンに住み始めてそろそろ5ヶ月目にはいるという状況になりました。 なんだできるんじゃん。 「ポルガルに住みたいって言い続けてたら現実になるだろうか」とか書いたりしてたのが1年前ですが(上記)いろいろしてたら結局は住む事なったので、やりたい事はやりたいって言い続けて

なんだ自分一人でできるんじゃん

大昔に一人になった時に思った事と、今思う事。 一人になった時に思った事 1 うひゃあ、こんな可愛い生き物(赤ちゃんの息子)が私だけのもの(ほぼ私だけで育てられる)になるなんてむっちゃ嬉しい。 2 あれもこれも一人でできるんだろうか。PCの設定とか配線関係とか、特に電気製品関係のいろいろどうすればいいんだろう。こわいよお。(ダンナはIT関係の人だった。ちなみに私は全く違う分野とはいえ工学博士とかもってるし、たぶんポテンシャルはあったような気もするが、なにもできなかった。)

Einstein Elevator

息子と話した。「外からみると日本はもうダメかもしれないと思う時があるけど、でもちゃんと投票にはいく。僕らの年代の投票率が低かったら、僕らの年代のための政治をしようという政治家がいなくなるから。」と言った。彼をものすごく誇りに思う。 私の海外出稼ぎのせいで日本に2年しか住んだことない息子です。世界のどこにいても在外選挙人証を持って在外公館に投票にいっている。貧しくなった文句だけはいって、税金が上がった文句だけはいって、かといってデモをするわけでもないし、国内にいるくせに、頻繁

「こうあるべき」という根拠の危うさ

箸の持ち方が変な(というか違う)人をみて「親の顔が見たい」とか「小さい頃からの躾がされていない」とか「育ちがわかる」とか、まるで嘲るように、鬼の首をとったようにいう人が嫌いだ。 箸の持ち方だけで、まるでその人の親のことから育ちから、どんな人生を送ってきたかまで、すべてわかったかのようにいう人がいる。そういう人が実はたくさんいる。そういう人々に共通の特徴は「自分の箸の使い方が正解」と思っていることだ。 箸だって、世界中には違う種類の箸があって違うマナーがある。 この社会で

告白

シアラ(愛犬)のドッグフード用の食器を探していたら、すごくいい感じのサイズ感で、しかも可愛らしい陶器の食器を100均で見つけた。あんまりいい感じなので人間用にもいくつか購入した。 息子が帰省した時に、彼用に犬の食器を使ってしまいました。そして気が付いたけど変えるのも面倒臭いので嘘をつきました。すみません。 息子「なんかこれってシアラの食器みたい。似てるよね。」 母「そんなわけないじゃん(そんなわけです、、、)」 思い出した。フランス語の単語は忘れるくせに、こういう思い出

おならは怖い

毎日運動しないと気持ち悪いのだが、短期間でジム入会もできないので、しかたなく息子と近くの川沿いの散歩道をジョギングしている。                * 昨日ジョギングした後にうちに戻る途中での会話 息子「今日は走ってる時におならいっぱい出たよ。」 母「そうなんだ。」 息子「おならって怖いよね。」 母「どうして?」 息子「だって、おならっていつうんちにかわる(一緒にうんちが出る)かわからないもんね。」 母「….」 大学でて社会にでて数年の息子がこれか。 子育ては

自分に自信を持てない君へ

自分にすごく自信がある人は、なんにも挑戦しなかった人なのかもしれない。挑戦しなければ、自分が無能であることを知ることもない。自分がどんなに小さい人間なのかを知ることもない。世界はものすごく広いことを知ることもないし、傷つくこともない。ずっとComfort zoneにいれば自信がたもてる。                * 母ちゃんが働いてた大学の数学科に19歳の大学院生がいた。「博士課程の学生だけどまだ1本も論文書いてないんだよね」というから「これからだもんね」と思ったら

絶対に母ちゃんが好きそうなレシピ!

今朝息子が「これ、絶対に母ちゃんが好きそうなレシピ!」と送ってきたリンクがこれです。 おほほほ、、、、、、、大好きです。そのとおりなので何も言えない。 これを「母ちゃんが好きレシピ」と分類するのか。ま、料理なんてちょっとぐらい手を抜いても子供は育つってことですかね。ありがとう。

ハリーとトントみたいだね

会社から借りたモニターを返そうと思い、アパートの前でモニターを足元においてトフを抱いて迎えの車を待っていたら、通りかかった隣人に「引っ越しなの?」と聞かれた。モニターと犬だけで引っ越しなわけないだろと「そんなわけないでしょ」と笑って答えたんだけど、、、でもその後で、もしかすると犬とラップトップだけで十分なのではという気がしてきた。それに良く考えたら今までも犬とラップトップ(と息子)だけで放浪してきたんじゃないだろうか。                  * 海外出稼ぎ歴は

ポルトガルに住みたい、住みたい、住みたい!

ポルトガルに住みたい!って言い続けたら現実になるだろうか。 初めてリスボンにいったのは20歳の時で学生でバックパッカーだった。その時に「この街に住みたい!」と思った気持ちをいまもひきづっている。(その時に出会って数日間を一緒に旅行した浜松の大村まりこさん(たぶんそんな名前だった気がする)このノートをみたら連絡ください、一緒に住みませんか、なんていってみるが覚えてる情報少なすぎ、、、) その後は仕事で数回行って、もっとも最近は2019年だ。リスボンはどんどん変わったけれど、

Family tradition のないFamily

年末になるとクリスマスだの年末年始だのと行事が盛りだくさんで忙しい。クリスマスはパーティやお食事しなくちゃとか、忘年会企画しなくちゃとか、年末年始は大掃除しておせち料理準備しなくちゃとか、初詣にいかなきゃとか、社会全体が一斉に同じことをしなきゃいけない事で右往左往する時期だ。                 * うち両親はそういうものがほとんどなかった、、、大晦日ですら特に掃除してるわけでもない家で、いつも通りにいつも通りの食事をしてさっさと7時ごろに寝たりしてた。紅白な

自分はどんな時に幸福だっただろうと考えてみて驚いた事とお金

今までの人生で本当に一番心の底から幸せだったといえる、できるものならまた戻りたい、と思う時期は、なんと人生で一番貧乏な時だった、、、 乳飲み子を抱えて学生してたのに、養育費は振り込まれないし、収入もないし、わずかな奨学金とこずかい程度に払われるTAのバイト代だけで生活をしていた。自分も子供も洋服はいつもThrift Shopだった。毎朝自転車の後ろに息子をのせてデイケアにいって子供を預け、そこから大学に行き、帰りにまた息子を自転車の後ろにのせて大学の宿舎にもどる。もちろん車