いつ終わるか分からない今でいつまでも笑顔でいられない。

映画だって(上映○○分)と教えてくれるのに。
この人生の期限が分かれば、残すはあと○○年だからコレとアレをやろうと考えられるのに。


いつ死ぬか分からない状態で生が続いているのって怖くないですか?
明日目覚めない可能性があるのに眠れるのはどうしてですか。
みんな寝たり起きたり未来のことを考えたりしてて素晴らしいですね、私は眠ることが怖い。


致命的な欠陥として、私は一般的なのものを求めてしまうところがある。
自分自身が持って生まれた性質と、望む理想とが大きくかけ離れていることで、理想は叶わないものだと思いこんでしまうきらいがある。

女性なので、女性らしさや女性としての愛らしさが欲しいと思う。
アイコニックだのステレオタイプだの横文字はどうでもいいが、典型的な女の子らしさに可愛さを感じて「ああなれたらいいなぁ」をずっと抱いてきた。
例えばカフェの新作を毎回写真に撮るあの感じ、流行ったお店に列ぶ感じ、好きな人を写真に留めておきたがるあの感じ、誰かに向けて自分を発信して、誰かに愛してと言う感じ。
キャッチーにわかりやすい女の子らしさ、女だから仕方ないと揶揄されても可愛いを止めないでいる姿勢。
拗ねたり可愛こぶったり、鏡で盛れる角度を確認したり、つかの間の友人に嫉妬をしたりする可愛らしさにずっと憧れている。

不安定で揺れ動く刹那的なカワイイを、嫌味なく素敵なものだと思っていて、出来ればああいうカワイイが出来る女になりたいとずっと思っている。

実際に自分が可愛い振る舞いをするかというと、もうここに延々と書いている事で察される通り出来ないでいる。
感覚的なカワイイを行動に移す力は私にはなく、頭が良くはないが、理屈っぽい方の人間でいる。カワイイを諦められないまま、カワイイに憧れ続けている。
上手に人間のふりをすることも難しい。


「みんなとおなじ」に憧れはするが、実際は「個人プレイ」が向いている事も最近良く分かってきた。
最近まで分からなかったのは、分からないフリをしていたからである。
擬態できていると思っていたのだ、出来てない事を知ってはいたが認めたくなかった。
私に特出した才能はないから、みんなという概念と同調してみせることで「駄目でもいいでしょう」と居直った気でいた。


でももう駄目だ。私は私以外になれず、みんなに混じることが苦手だ。

理想的な可愛いも、模範的な行動も出来ず、特別な才能も無いのにどうやって笑っていればいいのだろう。


存在に対する不信感だけが変わらず、ずっと存在している。



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