「普通」
はじめまして
この一文から始めさせていただきます。
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「普通」とはなにか。よく考える命題である。今日読んだ本の一部でなるほどとなった部分があったので引用させてもらう
僕みたいにいい年してるくせに定職につかず家族も作らずふらふら生きているような人間は、日本社会の中では変に思われたり白い目で見られたりすることが多い。
そうしたいわゆる「普通」から外れた人間が息苦しさを感じる理由の一つは、日本社会が基本的に単一民族で、同じ人種ばかりが住んでて多様性が少ないせいだと思っている。みんな見た目が同じだから、「みんな普通に同じようなことが当たり前にできるはずだ」みたいな思い込みを無自覚に持ちやすくて、「普通」をみんなに押し付けるということが起こりやすいのではないだろうか。
だから、もっといろんな国のいろんな人間が日本にやってきて、多様性が上がってグチャグチャな感じになったらいい。そうしたら日本的な「普通」の概念が少し揺らいで、僕みたいな人間は生きやすくなるんじゃないかと思う。
(pha. どこでもいいからどこかへ行きたい: 株式会社幻冬舎, 2021, p236-237)
よく知っているわけではないので個人的見解になるが、日本は「普通」から外れた人を「異常」として排斥するか矯正する傾向がある。欧米諸国などは外れたものを「個性」として許容している。様々な背景の違いはあるにしろなぜだろうと考えていたが、今日スッキリした。
日本は島国で鎖国していたという歴史も関係しているのか、日本人は一つの大きな個のような存在であるように感じる。いくらグローバル化が進もうがこの感覚は日本人からなくなることは、そうないだろうと思う。それこそ、革命や戦争といった大きな変化が起こらない限り。
単一民族から多民族化することで「普通」というものが融けて欧米のようになるかと言われればそんなことは無いと思う。なにも根拠はなく、感覚的に思ったことだ。理論的に説明されたものに対して、感覚で返すのは少しずるいかもしれないが、感覚的に思ってしまったのだから許してほしい。もしかしたら、私の想像しうる範疇を越えているため感覚的に否定してしまうのかもしれない。否定はしたものの、良い方向には進むと私も思う。そう、感覚的に。
P.S.月曜日から木曜日、平日のお昼にTOKYO FMでオンエアされている「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」をよく聞いているのだが、そこの番組でnote更新頑張っていますというメッセージを投稿したら、今日の放送で採用された。嬉しくてガッツポーズをしたくなったが、丁度その時、コンビニのレジでお会計をしている時で出来なかった。しかし、マスク越しでも分かるほどにやけていたことだろう。
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手の届く範囲にいるあなたが
幸せでいることを願います
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