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【小説】『 あゝ野麦峠 』 著:山本茂実【感想】

※この記事はネタバレを含みます※


●あらすじ


野麦峠はダテには越さぬ 一つアー身のため親のため…娘たちの悲壮な歌声が峠にこだまする。くちべらしのため、渡り鳥のように、来る年も来る年も峻嶮な峠を越えて信州の製糸工場に出稼ぎにいった飛騨の糸ひきたち。日本近代化を底辺でささえた製糸女工たちの悲喜こもごもの生涯を、元女工の証言をもとに描きあげた、ドキュメンタリーの古典的名著。


あゝ野麦峠


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●『 あゝ野麦峠 』の内容(※ネタバレ注意)


野麦峠と呼ばれる古い峠道は、現在の岐阜県高根村野麦という地である。野麦とは貧弱な実を結ぶクマザサという植物のことであり、里の民はこの実をとってダンゴにし、かろうじて飢えを凌いでいた。そして多くの製糸工女たちが、クマザサで覆われたこの野麦峠を越え工場へ向かった。中には妊娠している女性もいたが誰にも打ち明けられず、峠の道中で赤子を産み落とし、クマザサの根元で葬られることもあった。以上のことから、野産み峠とも呼ばれていた。男に襲われることも多々あり、男の格好をして峠を越える者もいた。

明治時代は輸出の大半が製糸関係で、輸出総額の3分の1である。文明開化には多くのお金が必要であり、賃金や、製糸業者の男女比、出身地による差別が多かった。高山という町の宿では家族と製糸工女の邂逅があり、家族水入らずで酒を呑む人もいれば、娘に対し、身を売るも同然の扱いを受けさせていることに自責の念を抱き、涙を流して謝罪する親もいた。

冬の野麦峠は猛吹雪と足場の悪さから、足を滑らせて落ちる工女も少なくなかった。凍ってガラスのようになった腰巻の裾で太ももが切れたり、足は凍傷にふくれたりなど、まさに命懸けだった。

しかし工女たちは、親を喜ばせたい一心で苦しい思いをして働いていた。

この頃日本では、生糸生産量と輸出額の多さ、そして日本軍艦の統制によって、明治政府の基礎を着実に確立していた。しかし同時期に、露西亜の国力の大きさに打ちひしがれることになる。それは恐露病という言葉が生まれるほどであった。

この頃から、野麦峠の糸引きの数が急増していった。

研究や工夫をこらして、ホオズキ釜という機械製糸機を作り上げ、これがのちに製糸業界をリードするようになる。そして、機械の動作には水力が使われ、動力費の削減が可能になった。

これらの革新が起こったことで、工場の数は増えて行った。しかし、それに伴い工女の数も必要になった。

三年後、日本は日清戦争で勝利を収めることとなる。戦争で使われた軍艦や兵器は、日本の経済力により充実されたが、その背後にある製糸業界の姿は、大和魂にすり替えられていた。全国が戦勝ムードに沸き返る中、野麦峠は相変わらず貧しい庶民の暮らしのままであった。

製紙業界には工女約定証というものがあり、工女はこれに判を押すことになっているが、字が読めない工女は何が書いてあるのか、どういうことを意味するのかわからないまま判を押した人も少なくなかった。工女の都合での解雇の場合損害賠償を請求するといった勝手な規定もあった。もはや遊女として売られることと変わりなかった。

工女の生産能率はガタ落ちしており、具合が悪いと言うものなら検番から激しい平手打ちを食らった。

工場内の作業場では作業競争が行われており、優等の責任検番は賞金が出ることになっているが、その賞金は劣っている側の工女や検番から罰として取ったお金である。そのため、会社側としては痛くも痒くもないような仕組みになっていた。

成績発表で良くない成績を出した工女は作業後食堂に呼び出され、検番からの罵声を受ける。濡れた作業着のまま寒い食堂でじっとしているのは苦行そのものであった。

親が危篤であっても、競争の最中という理由で、会社は手紙や電報は工女に届けなかった。そのため、薄情な娘という烙印を押された挙句、母親の死に目が見れない者もいた。

これらの厳しい環境から、工女の脱走は日常茶飯事であった。捕まった工女は約定証通り、手付金弁償のほか違約金として十倍から五十倍は確実に取られてしまっていた。 また、湖の水車が止まることがあり、自殺した工女の水死体が引っかかっていたということが度々起こっていた。

原料繭は品質を誤魔化して売ることが勧められており、売買に関してはお互いが苦労していた。また、工女争奪も激しく、馬車業者を買収して馬車ごと工女を奪い去る手口も存在した。

川や湖で発見される死体には下腹部がえぐられているものもあった。これは人間の肝が結核の特効薬として信じられており、高値で取引されていたからである。

工場にもこのような間違った医療知識が蔓延っており、特効薬として「鶏の生血を飲む」「石油を飲む」「青ガエルを生のまま飲む」といった行いがされていた。当時の医者代は高く、せっかく稼いだお金を使うわけにはいかなかったのだ。

冬になると一年死に物狂いで稼いだお金を持って家族を喜ばせるために、工女は死に物狂いで峠を越えた。峠を越えなければならない工女たちは、正月までに故郷に帰れないため一刻も早く工場を後にした。道中、追い剥ぎが出るから男衆に金を預けろという虚偽の達しに騙され、預けた男に物や金を盗られてしまう工女もいた。途中大雪に閉じ込められ凍死する者や、雪の谷底に落ちる者も少なくなかった。

故郷に帰っても工女に安寧は訪れなかった。工女の持ち帰る大金に嫉妬する者の嫌がらせは頻繁。また、優良株の工女をスカウトしたり、工女の住所を集め工女争奪戦を目論むライバル工場が周りを嗅ぎつけたりなど、工女を巡る様々な思惑が交錯していた。

昭和二年、岡谷に本社を持つ山一林組という大製糸会社。そこでは、工女たちが会社に対し歎願書を提出した。記載されていた内容は最低限の歎願であったにも関わらず、林社長はこれを突っぱねた。これにより女工一千数百名が集まり、工場側の虐待と不正を訴え、労働者は団結せよと熱弁した。群衆は町に繰り出し、ストライキを行ったのだ。

これには会社側も驚き、会社の意を伝えるための告示を行ったが従業員は一人も集まらなかった。そしてついに工場は停止。女工たちは警察隊の手によって寄宿舎へ戻り工場の掃除や後片付けを行った。また、父兄への手紙にて、工女は会社の冷遇に耐えかねてストライキを行った旨を伝えた一方で、会社側は工女側が熱心な勧告を受けてなかったという旨を伝えており、互いの考えがぶつかり合っていた。

これらの騒動は山一争議と呼ばれ世間に影響を与えた。会社を支持する国民も、組合を支持する国民も互いに拮抗していた。時が経つにつれ騒動は悪化し、暴徒化する男女工が増加していった。

しかし、工女たちの行いも虚しく、惨敗という結果になってしまった。彼女らは反逆女工の烙印を押されたため再就職もならず、結婚され出来なかったという。

野麦峠にはお地蔵様がおり、農家や工女から大切にされていた。現在は部落の守り神として別の場所に移動されているが、お地蔵様は当時の彼女たちの支えとなっていたのであった。


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●『 あゝ野麦峠 』を読んだ感想(※ネタバレ注意)


賃金の差、男女の差、貧富の差など、この時代から様々な違いが存在していたことがわかる。しかし、工女は検番に逆らえず、検番もまた工場側には逆らえず、工場側は政府には逆らえない様子が見受けられ、日本国民全員が、首に刃物を突きつけられているような印象を受けた。検番を擁護するつもりはないが、競争によって優劣をつけられる際、検番に対しても罵倒が飛ぶようなシステムになっているため、検番も必死だったのだろう。

工女に向けられた仕打ちは悲惨なもので、死んでもなおそのような扱いを受けており見るに耐えなかった。特に、望まない妊娠をした工女が、子宮に棒を押し込んで胎児を堕胎させ、未だ生存している胎児の口に抜綿を押し込み窒息死させた事件の概要が衝撃的だった。また、工女の死には形ばかりの葬式が行われ、死体は男工たちが腹の当たりを刺し、水気を出しながら焼いて処理されたという文章には恐怖を覚えた。これらは工女という下に見られた職だからといっただけではなく、女性という立場もあったように思う。さらに、工場主を旦那と呼ぶ唄もあり、この頃は下女奉公が顕著であったことがよくわかる。また、糸引きの仕事に憧れを抱かせるような唄も多く、女性と貧困という弱い立場が悪い意味で着目されていた。

あゝ野麦峠では工女ばかりを重点的に述べているが、上述の形だけの葬式や、冬の野麦峠を越える際に先頭を切って歩いていたり、峠の道中にある茶屋に着くも米が無く、とんぼ返りで米俵を取りに戻ったりなど、男性側も決して良い扱いはされていなかった。製糸業で働いていなくても、徴兵として戦争に駆り出されると考えると、男女関係なく国民全体が国の道具のように扱われていたのだとわかる。経済や戦争がうまくいっていたのは製糸業のおかげであるのに、何故地獄のような環境で働かされなければならないのか。あゝ野麦峠では当時工女として生きていた人へのインタビューが記載されているが、その中で、「工場や峠でのことを思えば、今何をしても幸せで仕方がない」と口にしていた人もいた。

これは蟹工船を読了した時も思ったことだが、就業者を奴隷や道具のように扱っては生産性が下がり、人員不足に繋がるはずであるのにも関わらず行われていたということは、日本帝国というバックの強さと国民の立場の弱さがどれほどのものであったのかと思い知らされた。そして、立場が弱いのは男女工だけではなく、それを牛耳る者もまた弱い立場であるということにも着目したい。

蟹工船と同じく、あゝ野麦峠もそれほど多くの人に知られているわけではなく、学校の授業として取り扱うこともほとんどないように感じる。我々は日本人として正しい行いだけではなく、国全体や国民個人に対する冷遇や悲惨な行いに関しても学ぶべきであり、これを通じて、何がいけなかったのか。何が日本をそうさせたのかといった論点で様々な年代の日本国民が考える必要があると私は主張する。そうすることで、現在の日本がまた新たな一歩を踏み出せるのではないだろうか。


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●今回レビューした図書の詳細


題名:あゝ野麦峠

著者:山本茂実

発行所:朝日新聞社

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