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ラジオ版学問ノススメ〜素敵な本との出会い

僕がnoteを始めてもう4年になる。

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と書くと、フォロワーさんの中にはもうすぐ3ヶ月じゃなかったの?という人もいると思う。そう、確かにnoteを書き始めたのはここ最近である。

しかし、実はこのバッジを見ても分かるように僕は4年前にnoteに登録していたのだ。

それは、タイトルにもあるように、

を聞くためだった。過去形にしたのには理由がある。

まず、この『ラジオ版学問ノススメ』とはいかなるものかをご存知ない方に説明するならば、ラジオ放送のスペシャル版である。

今から4年前、僕はiTunesでポッドキャストにハマっていた。何か面白くてタメになるような番組はないものだろうかと探していて出会ったのが、この放送配信だったのである。

すでに数えきれないくらいの放送がストックされていて、僕は毎日通勤時間に楽しみ、全部拝聴した。MCである蒲田健(がもだけん)さんの渋い声とすごいゲストの方々に、こんな放送を無料で聞いていいものかと気後れしながら素敵な放送を楽しんでいた。

ところが、ある日、ポッドキャストからnoteという聞きなれないサイトへ有料配信すると告知があった。あの時ダウンロードしたデータを残しておけば良かった、と今でも悔やむくらい、貴重な放送だった。

ともかく、そういう事情で、とりあえずnoteに登録して聞いてみようと思ったのだ。別に有料でも構わない。素敵な放送であることは十分に分かっている。

しかし、いざ聞こうとすると(もしかしたら僕の理解不足かもしれないが)、今でこそスマホでダウンロードしてお手軽に聞ける放送も、ガラケーしかなかった僕には、iPodで通勤時に楽しむような持ち運びスタイルで聞くことができなかった。

もちろんパソコンなら聞けるのだが、あまりにも慣れていた生活スタイルになじめず、放置してしまった。それが4年前である。

そうして、僕はいつしかnoteというサイトを忘れ、月日が経った。

そして今年の9月半ば、僕はたまたま書店で気になる本に出会った。

表紙の感じがなんだかかわいい。どことなく学生の雰囲気を漂わせる名称とデザインに立ち読みしてみると、ブログとも違うワクワク感があった。そしてそれから毎日、今日に至るまで優しいフォロワーさん達に囲まれながら書き続けてきた。

noteを始めた時、不思議な既視感があった。どうやら僕は何かを2つフォローしているようだ。調べてみると、note公式とラジオ版学問ノススメが表示された。あっ、そうだった。登録していたんだと思い出し、僕はスマホで『ラジオ版学問ノススメ』を聞き始めた。

相変わらず内容が濃い。そして、やっぱり豪華なゲスト。僕は本放送が未だにどこで聞けるのかよく分かっていない。しかし、月額料金をたった300円支払うだけで完全版が聞けるのだから、それで十分に満足している。

蒲田さんは声がいいだけではない。さりげない下準備に毎回驚く。ゲストの方の新刊を取り上げるのがメインなのに、大抵数冊は作品を読んでいて、その感想や過去に同じゲストが出演した放送回でのコメントにさらっと触れる。

そんなことをされたらゲストが喜ばないわけがない!

と、同時に僕はどんだけー!と時代遅れなセリフを心の中で叫んでしまう。

放送回数からして、ゲストと会うまでにそんなに時間はないはずなのに、ホントにさりげなく、会話の中になじませる。会話のキャッチボールの中で使える隠し球は多くない。おそらくたくさんのボールを持ちながらも、あくまで聞き役に徹するトークが本当に心地いい。

蒲田さんの口癖ワードに「通底」がある。

通底ー二つ以上の事柄や思想・意見が、基底の部分において共通性を持っていること(広辞苑)

共通点を指摘するには、その作品や著者に深い理解がなければならない。単にゲストを招いて話すだけなら、バラエティである。しかし、この番組は違う。聞いている人に作品を読んでもらうには、いかにその作品が面白いかをゲストの生の声で伝える必要がある。

そんな楽しい放送を聞いて、僕は先日、ナカムラクニオさんの本を買い、感想を書いた。

そうすると、ありがたいことに、著者のナカムラさんからリツーイトまで頂いた。

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そして編集部がおすすめマガジンに載せてくれた。

何気なく書いたnoteがこうしてつながっていく。なんと素敵なことだろう。

先日12月13日の放送では、

乙武さんがゲストだった。そう、noteもやってるあの乙武さんである。

あの、とは?

今回僕は放送を何度も聞き、感銘を受け、久しぶりに乙武さんの最新刊である『四肢奮迅』を電子書籍で購入した。

電車の中で読んでいるうちに、紙の本で読まないといられず、そのまま本屋さんで購入し、冒頭の写真のように気になるページに付箋を貼りまくった。

久しぶりに、とは。

20年ほど前に大ブームを巻き起こした『五体不満足』を読んで以来、という意味である。

当時買った本はどこかに行ってしまい、『四肢奮迅』を読んだ後で、どうしても読みたくなり、これまた電子書籍を買ったにも関わらず、またまた紙の本でも購入してしまった。

先ほどの、あの、とは。

もちろん、あの、である。

それについて、『四肢奮迅』にはこのような文章がある。

2016年3月。数ヵ月後に控える参議院選挙への出馬が取り沙汰されていた当時、私生活でのスキャンダルを暴露する記事が週刊誌に掲載され、世間からの集中砲火を浴びた。申し開きできることではまったくないし、するつもりもない。多くの方々に迷惑をかけてしまったことは事実だし、とても申し訳なく思っている。
(中略)被害者ぶるつもりは微塵もない。叩かれて当然のことであり、繰り返しになるがそのことについて申し開きをするつもりもない。ただ、これまで履かされてきた下駄が、今度は凶器となって襲いかかってきたというだけの話だ。 「障害者なのに 」と賞賛され 、「障害者のくせに 」と非難される。正直に言えば、うんざりだ 。障害があろうがなかろうが、車椅子に乗っていようがいまいが。私から生み出された結果そのものを見てほしい。バイアスとか、色眼鏡とか 、カテゴライズとか、私の人生につきまとって離れない影法師のような存在を、私はずっと煩わしく、そして忌々しく思ってきた。たとえ他者から 「恩恵を受けてきただろう 」と冷水を浴びせられたとしても。

『五体不満足』の完全版には新たに第4部とエピローグが追加され、実像とかけ離れた世間のイメージに苦悩する若かりし頃の彼の姿がある。

そして、今、彼は等身大の乙武洋匡として、自らを広告塔に義足プロジェクトを起ち上げた。まさに自分の足で新しい一歩を踏み出したのである。

ぜひ動画を見て下さい!!

北村マネージャーさん↓が宣伝しないからリンク↑貼っちゃったじゃないか(笑)

と言っても、noteのすみっコぐらしの僕では大した影響はないわけですが。

でも、あの(失礼!)乙武さんのマネージャーをやっているのだから、並々ならぬ苦労はあるはずだし、北村さんを含め、プロジェクトに参加されている、

義足アスリートをサポートする株式会社サイボーグ代表でもあるエンジニアの遠藤謙さん

彼がなぜ義足を作ろうと思ったのか、この動画が素晴らしい。

義足装具士の沖野淳郎さん。

メッセージオキノスポーツ義肢装具(OSPO/オスポ)代表・沖野敦郎(おきのあつお)からのメッセージです。ospo.jp

そして、ウッチーの愛称で親しまれる理学療法士の内田直生さん。

義足のデザイナーには、義手の開発にも携わる小西哲哉さん。

誰もが関われる次世代の義手を目指して——handiiiの開発と起業への道のり|fabcross3Dプリンタで出力したパーツとスマートフォンを制御に利用するという、これまでになかった筋電義手として「Gugen 2013fabcross.jp

といった、たくさんの人達の協力を得て、

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あのワイドナショーでの松本人志さんとのツーショットまで実現させます。僕も見ていましたが、北村さんの悪戦苦闘ぶりが手に取るように伝わってきました。本にも舞台裏が記されています。

乙武さんにとって、義足は重さが伴います。支える筋力がなくては、うまく歩けません。

『ラジオ版学問ノススメ』でも触れられていましたが、

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1階から30階まで階段を上るとんでもなくハードなトレーニングを積んでも、短い距離を少しずつ歩行するというのが現状です。

乙武さんは40年の間、電動車椅子を中心に座り続けてきたため、体がLの字の体勢になっていたそうで、まっすぐの姿勢を保つのがいかに大変かという事が本を読むと分かります。

『五体不満足』を改めて読むと、学生時代は、先生方、友人、両親の協力を得て、

今はまた、周りの人の支えがあって、人生を歩んでおられます。

生まれつき四肢の無い乙武さんは、後天的に手足を失った人達とは違った「歩行する」という新たな感覚に悩みながら、これからの人達に向けて、現在進行形のプロジェクトに挑み続けます。統計によれば国内で下肢切断を経験している人は6万人もいるそうです。

『四肢奮迅』に出てくる人達の努力の数々は涙なしにはとても読めません。

最後に彼の決意を引用します。

まずは20年前の『五体不満足』から↓

どうしてボクは障害者なのだろう。多くの人が健常者として生まれてくるなか、どうしてボクは身体に障害を持って生まれてきたのだろう。そこには 、きっと何か意味があるのではないだろうか。障害者にはできないことがある一方、障害者にしかできないこともあるはずだ。福祉という観点から考えてみたい 。政治家や官僚の立場から「福祉が大事だ 」と叫んでもらうことは、もちろん大切なことだ。しかし、実際に車椅子に乗っているボクのような人間が、一段の段差を前に、「ボクたちにとっては、この一段の段差が何よりの壁なんです」と訴えた方が、影響力は強いように思う。これは 、ほんの一例であって、障害を持った人間しか持っていないものというのが必ずあるはずだ。そして、ボクは、そのことを成し遂げていくために、このような身体に生まれたのではないかと考えるようになった。次の瞬間、頭に浮かんだのは「何やってるんだ、自分は」という思いだった。もし、そのような役目を担って生まれてきたのであれば、ボクはとても、もったいない生き方をしていることになる。せっかく与えてもらった障害を活かしきれていない 。言ってみれば 、「宝の持ちぐされ 」なのだ。ただ、障害を持っているというだけではダメだ。それでは、お門違いの特権意識になってしまう。障害を持っているボク、乙武洋匡ができることは何だろうか。もっと言えば、乙武洋匡にしかできないことは何だろうか。この問いに対する答えを見つけ出し、実践していくことが 、「どう生きていくか 」という問いに対する答えになるはずだ。

そして、20年後の『四肢奮迅』から↓

いつか手足が生えてきて、健常者としての人生を生きるなんてことは起こらない 。私は死ぬまで障害者として生きることになる。そうである限り、人々は私を 「障害者だ 」と認識し、私を「障害者として 」評価するだろう 。ならば、すべてを引き受けて生きていくしかない。恐ろしいまでの粘着力で貼りつけられたレッテルをみずから剝がすことができないのならば、そのレッテルとともに生きていくしかない。それを覚悟と呼ぶ人もいれば、あきらめと笑う人もいるだろう。なんと言われようとも、そうして生きていくしかない。

いかがだろうか?彼の決意は昔から変わらず通底しているものだと僕は思う。

こんな素敵な本との出会いを気づかせてくれる『ラジオ版学問ノススメ』をもっともっとたくさんの人に聞いて欲しいです。

長い文章を読んで頂いてありがとうございました。時間があれば、リンク先も見てくださいね。

追記:ご本人様から、わざわざ返信頂きました。noteとTwitterの親和性ってスゴイですね。noteに書いて良かったです。乙武さんの名前があったからこそ、クラウドファンディングでお金が集まったんだと思います。誠実さは伝わるものだと。

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ご丁寧な返信ありがとうございました。本を読んでたくさんの元気をもらいました。

いろんな方からリツイートやいいねも頂き、この場を借りてお礼を申し上げます。

本当にありがとうございました!素敵な放送と『四肢奮迅』を改めておすすめします。

僕も乙武さんのように自分が何をできるのか考え続けたいと思います!

追記の追記:さらに蒲田さんからも!こちらこそ感謝感激です!ありがとうございます!もっともっと人気になって欲しい素敵な番組です!

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