対人関係がヘタな私はこうして親密な関係を作った

愛着スタイルという言葉がある。

愛着とは「特定の対象との情緒的な結びつき (Bowlby,1969/1982)」のことで、この理論から派生した「愛着スタイル」は、俗っぽい言い方をすれば「愛し方」とも言える。
これは養育者と(幼い頃に)身に着けた対人関係の作り方・捉え方が、成人しても影響しているという前提で考えられた分類である。ただし、本人次第で修正も可能であり、一生変わらないものではない。

愛着スタイルには安定型と不安定型があり、ものすごく乱暴にまとめてしまうと名前のとおり安定型=対人関係に問題ナシ不安定型=対人関係に問題アリというイメ―ジになる。
正確な人口割合は不明なものの、不安定型は3人に1人くらいの割合でいてもおかしくないと言われている(ソースは不明)。身の周りの人もなんとなく比較してみると安定型と不安定型で分けられそうだ。

私は不安定型から安定型になった人間である。
以前は不安定型(未診断だけれど特徴が当てはまる)だったと思われるが、先日「愛着スタイル診断テスト」を用いて診断したところ安定型へと変化していた。そしてなにより、以前に比べて対人関係の満足度が向上(=親密な関係を維持)している実感がある。この経験は何かに役立つかもしれない。

そこで愛着理論を利用し、
①自身の愛着スタイルが以前からどのように変化し、②どのような行動によって変わったのかを振り返ることで、愛着スタイルを用いた親密な関係の作り方について具体的に考えてみることにする。

この記事は、以前の私のように「友人はいるのに孤独で仕方がない。。」とか、「自立しすぎて親密な関係がわかりません。。」などと言った人に読んでもらいたいなと思っている。かなり思っている。また、ここでは親密な関係=安定した(深い)情緒的な繫がりという意味合いで書いている。

あくまで簡易診断というのは念頭におきつつ、不安定型かも、、人間関係楽しくないかも、、と悩んでいる人が親密な関係を作りたいと思った時に参考にしてみてほしい。

愛着スタイルの4分類

まずは愛着スタイルの分類からみてみよう。
4パターンに分類され、安定型と不安定型(不安型、回避型、未解決型の3つに分ける)から構成される。一言でまとめるとこんなイメージだろうか。
①安定型→コミュ力高い
②不安型→起伏が激しい
③回避型→一匹狼
④未解決型→①~③の全部乗せ


各スタイルを「愛着障害とは何か?」から抜粋すると以下のとおり。
(より詳しい内容は参考元からどうぞ。)

1.安定型
 絆が安定しており、自分を愛してくれる人がいつまでも愛してくれると当然のように信頼しています。気軽に助けを求めたり、相談できます。人の反応を肯定的に捉え、うがった見方をしたり誤解することがありません。また相手がどう反応するかにあまり左右されません。
2.不安型
 愛着を求める動きと、拒絶する動きとが極端に現れます。人に依存したり人とべったりした関係になりやすい。すぐに恋愛関係になりやすい傾向があります。普通であれば、仕事などフォーマルな関係にすぎないのに、勘違いしてすぐに恋愛に発展してしまいます。
3.回避型
  仲間といっしょにいる時間に意味を見出せず、仲間といることを好みませんしません。人との対立などが苦手で、葛藤を回避しようとします。自己開示が苦手で、自己表現が不得手です。隠せい願望がある場合があります。
4.未解決型
 回避型と不安型が錯綜してとても不安定なものになりがちです。不安型と違って甘えることが苦手です。回避型の人のように人と距離をとることができません。相手を求めて親密になるとうまく行かなくなります。相手のささいな行動も自分をないがしろにしていると受け取って信じられなくなってしまいます。

診断してみればわかるが、どれかに100%分類できるというわけではなく、4パターンにある程度点数が分けられた中で、特に点数の高いもので愛着スタイルが決まる。興味があるのならこちらから診断できる。

なお、今回の診断のリストは以下の書籍を基に作られている。
(ちなみに著者の岡田尊司さんは以前書いたパーソナリティ障害の記事の本も書かれており、またこの人かというレベルでお見掛けする愛着障害で有名な人である)。

上記の4パターンは愛着障害(愛着スタイルが悪方向に発揮される障害)の文脈で書かれた特徴のため不安定型が極端に書かれているように感じるが、一概に不安定型だからダメ、安定型だからイイということではない。

不安定型愛着と創造性の関係についての指摘(長いがとても面白い記事なので興味があればぜひ読んでみてほしい)などもあるように、組織での立ち位置によっても、どのように世界と関わるかによっても評価のされ方も違うだろう。

私の愛着スタイル遍歴

とはいえ、やはり対人関係で悩みを抱え、安定型の愛着スタイルを持ちたいと思う者もいるはず。
まずは安定型の対人関係を改めて先ほどの参考元から抜粋させてほしい。

<対人関係の特徴>
 絆が安定しており、自分を愛してくれる人がいつまでも愛してくれると当然のように信頼しています。気軽に助けを求めたり、相談できます。人の反応を肯定的に捉え、うがった見方をしたり誤解することがありません。また相手がどう反応するかにあまり左右されません。
 自分が拒否しても相手が傷つくと恐れることがなく、相手に合わせ過ぎたりもしません。考えを率直に交換したりすると誠実であることが互いの理解につながると考えています。本音で話すことができ、相手への経緯や配慮を忘れません。相手のスタンスによって自分が脅かされるように感じることがないので客観的です。
 別離に際しても、一時期に悲しい気持ちになっても否定的な感情に巻き込まれたり必要以上に不安定になったりすることがありません。

なんとも素晴らしい人間性である。こんなんなりたい。

誤解してほしくないが、不安定型の人がそうではないとは言っていない。
個人的には何か一つのテーマを決めて話す時は不安定型の方が面白い議論が出来、特に目的を定めず関わる場合は安定型の方が楽しい印象がある。

とはいえ、"あきらかに安定型タイプ"の彼/彼女にはついニコニコしてしまう魅力があるのも事実である。
変化を語る前に、これまでの自身の愛着スタイル遍歴を自認で書いてみた。

高校生(安定型?)→トラウマ的出来事
→大学生<前半>(不安型?)→自立を目指す&人間心理の領域に傾倒
→大学生<後半>-社会人(回避型?)
→トラウマ的出来事&自立の限界を悟る
直近半年(獲得安定型)
獲得安定型とは両親等との辛い体験を経験していても安定型の愛着を示すスタイルを指す。

補足すると、トラウマ的出来事とは安全基地(家庭等で愛着対象が提供する心地よい安定や保護などを保証した環境)を失うようなことを指す。その解消の目的もあって私は心理学に手を出し始めたが、人間をシステマティックに捉えすぎかえって情緒的とは何ぞやと思い始めるのが大学後期である。

この間の私は、(おそらくある程度安定型も持ち合わせていたので)人付き合いも極端に下手な方ではなかったし、信頼していると言える安定した交友関係もあった。しかし同時に内面の葛藤が大きく、一言で表せばもっとうまく対人関係作れるのではないかな。。という想いが常にあった。

とはいえ「多少の不具合はあってもそんなに困ってないし、他にやりたいことも色々あるし、まあいいかな」というのが当時の認識。
だんだんと私は周囲を大切に想い信頼している"意識"はありながら、対人関係に以前ほど満足(情緒)を感じられなくなっていた。これが大人になるということなのだろうか。はたまた理性的になりすぎたのか。
この疑問に変化を与えたのが、再度安定型となったこととなる。

不安定型→獲得安定型で変わったこと

結論から言えば、シンプルに周囲との情緒的な繫がりを取り戻したことが最も大きな変化である。付き合う相手をまったく変えたわけでも、周囲を大切に想う気持ちが変わったわけでも、取り巻く状況がすこぶるよくなった訳でもなく、自身の感じ方が変わった。

たとえば不安型傾向の"自己否定感"、回避型傾向の"他者と適度(独立的)な距離を保ちたい欲求"が減少した。人付き合いの先にある得られる情報・変化するものから満足を得るのではなく、人と付き合うという行為そのものから満足を得るようになった。

なにより"安定型→不安定型→獲得安定型"の変化で気付いたのは、これまで人への「信頼」というのは不安を抱えながらも相手を信じるという「意志」だと思っていたのだが、安定型の「信頼」というのは安心感という「感覚」なのであり、そこに意志は存在しないこと(存在しない、とは言いすぎかもしれないが、不安定型が思うよりもずっとずっと小さい)。

つまり、不安定型の持つ「信頼」には先がある。そして冒頭の親密な関係=安定した(深い)情緒的な繫がりは、この「感覚」なくしてはありえない。
そうでなくても相互に親密だと合意している関係性はあるが、そもそも親密さとは実体化できないので究極的には自己の中にしかなく、自己の「感覚」のない親密さは真に親密な関係とは言えないと思う
そのため今回の話は、親密な関係を作るために必須の信頼という「感覚」を得るために有効だった行動の話でもある。

なお、当然ながら自身が安定型になると周囲との関わり方も変わり、これまで付き合うことのできないレベルの不安定型が強い相手とも楽な関係が築けるようになる。自身も不安定型の場合、不安定型が強い相手と関わることはできても、心地よい・または長期的な関係を維持することは難しいからだ。

獲得安定型のメリットをまとめると、めちゃめちゃストレスフリーになる。

獲得安定型になるためにしたこと

では、そんな獲得安定型になるために何をしたのかを愛着スタイルに則って書いていく。大前提として、安定型になるという強い意志を持つことが出発点となる。

より正確に言えば対人関係と自身を取り巻く状況を安定させたいという強い意思である。何のためか?穏やかに生きたいという心からの願いである。
そしてその実現には、理想の他者を待つのではなく安定型になることが一番の近道なのは遠からず言えるところだと思う。

それでは、振り返ってみて安定型となる上で効果があったことを書いていく。実際は他にも影響はあるだろうが、あくまで自分主体で実行できるものを基準として3つの条件にまとめた。

<安定型になるための掟>
1、安定型の弟子になる
2、不安定型とは成長を共にする
3、不安定型が集まるor集まる者を不安定にする場所に極力近づかない
番外  独りになる勇気をもって自己開示する
1、安定型の弟子になる

弟子になろう。あなたの周りに「明らかに安定型です」と言う人がいたら近付き、何かと関われる立場にいよう。安定型は人への信頼感が半端なく嫌な顔をする可能性は割合低いので心配はあまりしなくていい。
単に付き合うだけではなく学び取る意識で、安定型の人がどのように周りと関わり対応し自身の気持ちを処理しているのかを観察してみる。特に、自分が望む将来像や立場に近い人間であるほど参考になると感じる。

なお、精神が安定しておりコミュニケーション能力が高い・友達が多い・ポジティブ等の一見それらしい人間が安定型であるとは限らないので、あくまで親密な関係を自然に築ける相手かで見分けた方がよい。私的なポイントは温かさを長期的に、安定して感じるかどうかである。出会った時から一貫して変わらない温かさがあるのなら、安定型である可能性が高い。

ただし安定型をヒーローのように絶対視する(自分にはできないことをしていると思ってしまう)と、影響を受けて安定することはあってもそれはあくまで一時的であり、本当の意味で自身が安定型になることはない。大切なのは、その人にしかできない、ではなく、自分にも学び取れる力はあると自信をもつことだ。

そうやって安定型と関わっていくと、コミュニケーションの取り方(手段)を学ぶとともに、親密な関係を築くことができる(相手が安定型なので後者は当然そうなる)。

2、不安定型とは成長を共にする

一方で、不安定型の場合は、当たり前だが弟子になってはいけない。
コミュニケーションを学ぶのに沢山の人々と話す事はとても良い事だが、こと対人関係の構築術を、不安定型からも学ぼうとすることはかえって混迷を極める。学ぶことは関係構築を除いた長所に留めるべきである。

対人関係を結ぶ過程で、自身の接し方について不安に思うことは誰しもあると思う。そこで重要なのは誰からも教訓を得ることではなく、安定型と不安定型をきっちりと分けて、誰を判断基準にするか(誰から学ぶか?)を明確にすることにある。不安定型同士の場合一時的に関係が不安定になることもあるが、それは自然なことであり執着しないことが重要である。

また、不安定型は程度の差はあれある種の対人不安を抱えている。そのため不安定型との長期的な付き合いで特に意識すべきなのは、丁寧かつ不可侵なコミュニケーションである。
たとえば一つには感謝の気持ちを伝えることで、「あなたの存在が自分にとってどのように役立っているか」を思った時点で即座に都度言葉にして伝えることなどがよい。

他にも、意見が折り合わなくてもプライベートであれば「あなたはそっちのフィールドで頑張ってね、私はこっちで頑張るから」というポジティブな精神で境界を引く。仕事等結論を決める場であれば相互の長所を取り合うYes,And精神か、共通目標を意識させるようなことを口に出す。

少なくともこのように相手を尊重する態度を続けていると相性は劇的に良くなり(自身が安定型的になり)、長期的に親密かつ価値ある関係を築くことが可能になる(ただし両者の不安の程度が強すぎる場合は上手くいかないこともあるので、無理が生じたら距離感を見直すことが重要)。

3、不安定型が集まるor集まる者を不安定にする場所に極力近づかない

最後は、不安定な場所には近づかないこと。
これは「2、不安定型とは成長を共にする」とは一見矛盾する。敏感な人間ほど周囲の環境設定は慎重に考えた方がよく、避けられるのであれば不安定な場所や気分になる場所は避けた方がいい。

ただし、古くからの友人などこれまで相互に思いやりのある関係を続けていた場合や、集まるものを安定的にする目的をもったコミュニティでればその場所には十分価値がある。道を歩いていくだけではなく、立ち止まり迷っていても待ってくれる、そして共感してくれる存在ほど心強いものはない。

こうした話の文脈では「人間関係を断捨離しよう」とか「前向きな人間とだけ付き合おう」みたいな文章も見かけるが、不安定さをすべて排除することはかえって危険だ。状況に応じて距離感を調節することは必要だとしても、親密な関係では後ろ向きな側面もまた重要なのである。

なぜなら、人生はいつでも安定しているわけではないからだ。環境にしても人自身も決して不安定にならないと言い切ることは、少なくとも現代では不可能だからである。

番外  独りになる勇気をもって自己開示する

最後に、愛着スタイルの話からは少し逸れるが外せないことがある。
これまで書いてきたことをする前・する間に必ず必要となってくる経験、それは自己開示をして受け止めてもらう経験である。

多少人間関係について興味を持つ人間なら、当たり前すぎる程よく聞く単語である。「相手に心を開いて欲しかったらまずは自分から。」これは間違っていない。ただし、自身の情報や弱音をただ話すだけが自己開示と思っているのならばそれは間違っている。

自己開示とは、自分自身ですら受け入れられないような事実、自身に不利になるような情報、大切な友人すら失いかねない告白といった隠された"急所"をさらけ出すことで初めて成されるものではないだろうか。そしておそらく対人関係に問題を抱えている人は、この"急所"の範囲が広いはずだ。

だからこそ、その"急所"を受け止めてもらう経験はダイレクトに「人間という存在への信頼」を思い出す最も有効な手段となる。それがどんなに自分の心拍数を上げるものであろうと、話すことで嫌われてしまうであろうものであろうと、少しずつ、慎重に、勇気をもって自己開示を始めてみることをオススメする。

言ってもそれができない、から困っていると思うかもしれない。
しかし、自分を伝えることで離れる人間と付き合い続けることは、長期的にみてお互いのためになるのか、人生という限られた時間を誰に使うべきかと考えたときに、これまでの人間関係を維持することは最重要ではないと思っている。

最悪独りきりになったとしても、急所も含めて自身をフォローしてくれる人間を新たにつくることはできる。そう開き直ることは自己開示の助けになり、そう信じられる環境(つまるところ、優しい人の集まるコミュニティに属すること)が後押しとなると思う。

おわりに:どんなに対人関係がしんどくても大丈夫

ここまで、親密な関係【=安定した(深い)情緒的な繫がり】を作るために必要なことを書いてきた。

最後に言いたいのは、この取り組みはいつからでも始められるということ。
環境が安定してようとなかろうと、社会的地位があろうとなかろうと、メンタルが不安定であろうとなかろうと、いつでも始めることができる。

現に私も、対人関係を安定させること(厳密に言えば、自分を大切にしてくれる人とだけ付き合おうという動機から始まった試み)を始めた時は気力もなく、お金もなく、(無意識的に)人間不信という夢も希望もない状態だった。

しかしどんな状況であれ、大切なのは意志を持つこと
もしあなたが孤独に苛まれているのなら、きっと理想の関係は待っていても始まらない。自分がどうなりたいのか、そのために取るべき行動と捨てるべき行動を能動的に選択し続ければ、人間関係でさえも変化を起こすことは可能である。

また、たとえ人と上手く付き合うことができなくても、自分がダメだからと卑下する必要はない。もう一つ大切なことはどんな人とも上手くやることではなく、親密な関係を築ける相手をちゃんと選ぶこと。そのために愛着スタイルという概念はとても役立つので、ぜひ実生活に取り入れてみてほしい。

気持ちがついていかない時は一旦休めばいい。
大事なのは、続けること。

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