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核心を突いた看護師の言葉

数年前までの5年間ほど、金融の仕事の他に「訪問看護事業」に従事していた。

東京都への新規立ち上げ申請から訪問看護ステーションを開業する不動産賃借契約、訪問看護師の採用(これが一番難しい)、事務机や電動自転車選び、訪問バッグの中身の聴診器、パルスオキシメーターなどの備品の調達などを1年掛かりで準備していた時のことだ。

訪問看護師の採用面接で、一人の看護師が言った言葉。

「訪問看護でご利用者様*のお宅に伺うと、リビングの真ん中の陽が当たるところにベッドを置いてもらっている人がいる一方で、薄暗い一番奥の狭い部屋に追いやられている人もいます。普通だったら後者の状況に対して『可哀そう』とか、『家族はひどい人たち』と感じるのかもしれませんが、その状況そのものがその人のそれまでの生き様であり、ご家族とのこれまでの関係性の結果なんです。どんな状況の方であっても、訪問看護師は与えられた訪問の時間をその方と向き合い、最善の看護をするんです」

生き様であり、関係性の結果

彼女の言葉があまりにも核心を突いていて意味深く、私は採用面接で泣いた。

看護ステーションが立ち上がり少し経った頃から、看護師ともっと多くの共通言語で話したい、自分でも主体的にご利用者様と関わりたい、と思うようになっていった。

とは言え、何年も掛けて看護師や理学療法士になる時間は取れなかったので、週末返上で土日の朝から夕方まで6か月間ほど「介護職員初任者研修」を受講して、いわゆるヘルパー資格を取得。そして看護ステーションがあった区最大の社会福祉法人にヘルパーとして雇用してもらい、ひとりで訪問に行く日々が続いた。

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ヘルパーとしての仕事が無い日は、看護ステーションの看護師や理学療法士に同行し、たくさんの「生き様」に触れることとなった。

・自己負担分の支払いがキツイからと、医師の指示書を無視して看護師やヘルパーの訪問予定をキャンセルをする人
・葬儀費用を支払えないからという理由で、亡くなった後に献体する人
・生活保護を受けているけれど高級アイスクリームを毎日食べている人
・ストレスでご利用者様に暴言を吐き続けている家族
・100%自己負担であっても、看護師に外出の付き添いを依頼する人
・訪問の帰り際、必ずおやつを持たせてくれる人
・隙あらば我々の身体に触ろうとする人....

ご利用者様の最期にも何人も立ち会わせて頂いた。
金融の仕事でも人の人生を見つめる力は求められるが、人の死と真正面から向き合う毎日を訪問看護師や理学療法士たちと一緒に過ごした中で、「生きる」ことや「死ぬ」ことについて一層の理解が深まった。

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諸事情あって看護ステーションは事業譲渡してしまったが、人の人生と深く関わる金融の仕事に一層深みがでたように思う。

現在の新型コロナ渦において病院やクリニックと併せて訪問看護や訪問介護の現場の苦難が度々報じられる中、当時深い関わりがあった方々をテレビでお見掛けすることがあるが、彼らの苦労を肌身を感じて知っていることもあり、当時も今も、医療現場の方々には本当に頭が上がらない。

一日も早く新型コロナが終息することを願うばかりである。


*在宅医療の世界では、介護や医療を受ける方のことを患者さんと呼ばずに「利用者」といいます

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