僕と障害のある方と金持ちと普通の人と。
ここ最近、ちょっと病気(蕁麻疹)で足が腫れてしまい、歩くとかなり痛むため車椅子生活をしていました。 (今は回復してきて車椅子を使ったり歩いたりという感じです。)
車椅子生活をしていていると気付くんですが、東京の人めっちゃ優しい。上京する前は東京の人って冷たいのかなって思ってたんですが、6年住んでてそんなこと一度も思ったことないですね。車椅子だとみんな気を利かせて助けてくれて(スーパーで物を取ってくれたりとか、市役所で手続きする時いろいろ手伝ってくれたりとか)、本当に優しいなと思います。
優しさは必要だし助けてくれるのは本当にありがたいのですが、 違和感もありました。みんなだいたい助けてあげなきゃいけない(ちょっとした義務感)とか、かわいそうだから助けてやらないと、みたいな雰囲気で僕に声をかけてくれるのです。
だから、助けてもらえるのはありがたいのだけれども、相手の気持ちをそのまま受け取って助けてもらうと、なんだか自分が惨めな気分になったりすることが多かったです。
障害を持つ子供達と関わるバイトやボランティアをよくやっていたので、病人とか障害者とかって本当にかわいそうなのだろうか ?という疑問が強く浮かんだまま、車椅子で過ごしていました。
今回自分が車椅子生活をしていて、 身体に障害のある方々の気持ちがほんのごくわずかですがわかりました。それで気づいたことがあります。
人生というのは誰でも何かしらのチャレンジがあって、僕と障害者の人たちは、チャレンジの種類が違うだけだったんだなということです。
障害者の方は障害者の方でそれぞれ大変なことが色々あると思うし、僕は障害者ではないけれども普段生活に問題を抱えてもいるし、大変じゃなく普通に生きてるとされる人も何かしらのチャレンジをしていると思うのです。
ちなみに僕はある大富豪の作家の下で働いていたことがあるのですが、そこでいろんな経営者の方とか富裕層の方と関わって、 この人たちもある意味マイノリティだなぁと感じたことがあります。
金持ちの経営者の方々は、経済的だったり物理的なサポートはほぼ必要としていないけれども、精神的なサポートを必要としている方々がほとんどだと思います。
自分の立場だったり、 地位だったりを守るためにいろんな苦労があったり、責任も相当あったりで、実はかなり不自由でストレスのかかる役割なんですよね。経営者って。(僕の印象ですが)
ただ関わらせてもらって、今思うとそれも自分とは違う人生のチャレンジの一種だなあとも感じます。
まとめると、障害のある人も僕も普通に生きてる人も金持ちも、みんな何かしらのチャレンジャーであり、チャレンジの種類が違うだけであって、かわいそうな人は一人もいないということです。 かわいそうだなんて、他人からの不幸だっていう決めつけに過ぎません。 何が幸せで、何が不幸かは、自分で自由に決めていいんです。
みんな違うチャレンジをしている同じ人間なんだなって思えると、 いろんな人たちに対して心地よいフラットな感覚が僕の中で芽生えたので、車椅子体験ができて本当に良かったと思います。
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