見出し画像

『ママがいい!』読んだよ

松居和『ママがいい!』読みました。

保育園に子どもを預けてる親なら誰もが胸と耳が痛くなる一冊。江草も預けてる立場なのでグサグサ来ました。ぐふう。

本書のタイトルとなっている「ママがいい!」とは保育園に預ける時に親元から引き裂かれるのを嫌がって泣き叫ぶ幼児の声の象徴です。

「とりあえず子どもは保育園に預け、育児は専門家に任せて、めいっぱい働きましょう。これぞ社会参画ですぞ」的な、昨今の経済主義、仕事中心主義的政策によって幼児たちが犠牲になってることに強く警鐘を鳴らしている書籍になります。


日本の保育園の保育士の配置基準や待遇が手薄すぎることは巷でもよく問題として指摘されています。あるいはビジネス化が進んだために効率化のために意識や能力が低い保育士が入職したり、コロコロ保育士が代わったり。

それらの業界の事情により園内での保育が十分に行き届かなかったり、虐待が発生したりしていることの描写が本書ではさまざまに提示されるのですが、まあ子どもを預けてる身としては「グエエ……」となる辛い話ばかりです。

読んでると「うちの子大丈夫かしら」とめっちゃ不安を誘います。いつもお世話になってて常に笑顔で対応してくださる保育士さんたちも裏側ではどうなのかと疑心暗鬼にもなりそうです。

もっとも、こうした悲惨な例を持ってきて業界全体を悪魔的に描く扇情的手法は、反ワクチン派などのアンチ医療系の書籍でもしばしば見られる手法です。医療界に問題がないとは言わないまでも「いやいくらなんでもそこまで悪魔っぽく描かれても」と苦笑せざるを得ない過激な描写をする人たちは少なくありません。

だから、そういう風評被害を体感している医療界の一員からすると、この辺の保育業界の悲惨な描写も、ちょっと割り引いて見た方がいいかなと、警戒はしてしまいます。

とはいえ、指摘されてる問題が全くないという保証はもちろんないですし、現に配置基準や待遇の低さは誰の目にも明らかですから、保育業界の問題の存在について我が子を預けてる親としては見て見ぬ振りはしてはならないでしょう。


そうした保育業界自体の問題の指摘もさることながら、本書は、そもそも親が子どもを長時間預けっぱなしにすることが推奨されてることやそれが当たり前と感じられつつあることを問題視しているところが特徴的です。

著者は、親の保育園での保育体験企画の事例などを紹介しながら「子どもと触れ合う時間がなければ親が親として育たないではないか」という主張をとにかく繰り返し強調されています。

これは、江草も前々から問題に感じていたところなので、とても共感するところです。

だって、一般的な設定では標準保育時間が11時間なんですけど、冷静に考えたら長すぎませんか?

いや、いわゆる親がフルタイム勤務をしている間、子どもを預けようとしたらそれだけ必要なのは分かるんです。でも、子どもにとってそれは長すぎるんではないか。そして、親にとっても子どもと触れる時間がほぼ無くなるという意味で長すぎるでしょう。

11時間保育が標準というのは、あくまで「8時間労働が標準ですよ」という労働文化による基準に過ぎないのであって、子ども自身や、子どもを育てる親にとっての標準では決してないはずです。

もし仕事や金銭不安に関係なく自由に預ける時間を決められるとしたら、11時間預けることが生理的に標準であるとは多くの親は考えないような気がします。

ただ、仕事があるから仕方なく11時間を選ばざるを得ない。さらに言えば、保活の点数的にもフルタイム労働でないとそもそも入園が希望通りにいかないので、その意味でも結局は長く預ける他なくなる。

それによる違和感と罪悪感をなだめるために「育児の専門家である保育園に預けた方がかえって良いから」と親も自己弁護的なロジックを採用するようになる。

その結果生じる、親と子の触れ合いの時間の激減が社会を覆っているわけです。


まあ気持ちは分かります。子育てはマジで大変ですからね。預けられるなら預けたいというのも人情でしょう。

ただ、江草は長期間育児休暇を取った身でもあるので思うのですが、育児は大変ではあるけど、それでもやっぱり子どもと一緒にいる喜びはかけがえのないものなんですよね。アレはやばいです、人間の生物としての本能に訴えかけてくる強烈な体感的な喜びが、あそこにはあります。

そうしたプリミティブな喜びの感情を「仕事があるから」「生活費を稼がないとだから」という理性的ロジックで抑圧することが、必ずしも良いとはどうしても思えないんですよね。

労働あるいは生活のために長時間保育を余儀なくされる構造は、この喜びを親と子から奪ってるという意味ではやっぱり罪深いものではないかと思います。

だから、「全く預けるべきではない」とまでは思いませんけれど、せめてもうちっと短い保育時間でも人々が生活ができるように(そしてそれが許されてると感じられるように)、労働時間の短縮が進むべきではないか。つまり「標準保育時間」を短くするために「標準労働時間」の方こそがむしろ道を譲れと思うわけです。なんでお前労働がデカい顔してるんだよという話です。


実際、同様の指摘は他でも見られます。江草の推し本のホックシールド『タイムバインド』でも「サードシフト」という概念が紹介されています。

保育園に長時間預けるなどしていると、かえって親に甘えるために子どもがわがままに振る舞う。それをなだめすかすために、親は説得に苦労したり、おもちゃやお菓子を買え与えるなどしなきゃいけなくなる。こうした長時間保育で鬱憤が溜まった子どもを相手するために追加で発生する苦労が「サードシフト」です。

長時間預けることは、一見すると育児時間が減ってその分育児の苦労は減るように思えますが、むしろ逆に苦労が増える側面があるのではないかという指摘です。(なお、本書『ママがいい!』でも子どもを徹底して甘えさせる方が噛みつきなどの子どもの問題行動が減るという指摘がされてます)

だから、ホックシールドも結論としては、あえて労働時間を減らして子どもと触れ合う時間を増やすこと、職場から家庭への回帰を図ることが、むしろ育児の負担を下げるし、親子が共有するかけがえのない時間をそもそも増やすという意味で、重要だと述べているわけです。本書とも重なる主張ですよね。

(なお『タイムバインド』は大作の書評も書いてるので興味が湧いた方はぜひ)


つまり、総じて問題になるのは、やっぱり社会の仕事中心主義の文化なんですよね。

結局は何につけても仕事中心だと、育児がその喜びを奪われてただの「親の仕事の足を引っ張る負担」に成り下がる、いわゆる「子育て罰」になるわけで、少子化が進むのも当然なわけです。

日本は特に少子化の最前線みたいな国なので、先駆けてこのことが問題になっていますけれど、これから世界全体が少子化に一気に傾くと予想されてるので、仕事中心主義からの脱却は今後の世界の一大課題になるんじゃないかなあと江草は思っています。



というわけで、大体盛り上がったところで、感想文はおしまいにして最後に余談を。

しかし、育休も取ったりして江草はけっこう我が子とも触れ合ってる方だとは思うんですけれど、それでもやっぱり「ママがいい!」って言われちゃうんですよねぇ。

愛する我が子(2歳児)と毎晩寝かしつけをして一緒に仲良く寝ていたのに、最近は急に「ママがいい!」となってパパと一緒に寝てくれなくなったんです(我が家は設計上ママパパ別の寝室なのです)。

悔しいので、最近くすんくすんと枕を涙で濡らしています。

聞けば「ママがいい!」となるのは本能的なものらしいので仕方ないそうなんですけどね。

そうなのかなあ。悔しいなあ。

でも、本書の内容を鑑みれば、「そういうもん」で片付けず、まず自分が親として子どもと丁寧に接することができてるかを改めて反省しないとなと思いました。育休取った自負で、かえって油断と驕りがあるかもしれない。

親道は奥が深いぜ……。

この記事が参加している募集

読書感想文

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。