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マインドレスネス空想のススメ

最近個人的に「今ここ」系のことを考える機会が多いのもあって、流行りのマインドフルネス瞑想の話をちょこちょこ読んでます。

素人のざっくり理解ですが、マインドフルネス瞑想では今ここの感覚に集中して、できるだけそれに評価を加えたり考えないようにするのが基本姿勢のようです。頭に色んな考えや思いが浮かんできてもそれを追いかけず手放していく感覚なのだとか。こうすることで、自己への執着が消え、心の安寧が得られ不安が減少するのだと言われます。


なるほど、確かにそれはそうだろうなあと思い、実際に瞑想の習慣づくりを始めたりしているのですが、もともと天の邪鬼な性分の江草は変なことを思いついてしまいました。


いっそ、マインドフルネス瞑想の真逆のスタイルもいけるんじゃね?
と。

(タイトルでお察しの通りですが)名付けて「マインドレスネス空想」です。


「マインドレスネス空想」では、「ボーッとしてる」とか、「上の空」とか、「心ここにあらず」などの言葉で表されるような「今ここに全然集中してない状態」を目指します。

マインドフルネスmindfulnessが「注意深い」的なニュアンスであるのに対し、マインドレスネスmindlessnessは「不注意」的なニュアンスになります。

誰もが空想(いっそ「妄想」と言ってもいいですが)している時に、周りに注意を全然払ってなくて「なにボーッとしてんだ!」と怒られた経験があるでしょう。
ああいう時、ほんとまったくもって「その場その時」に自分はいないですよね。何も耳に入らず、何も目に入らず、怒られるまで現実世界のことを完全に忘れてた、そんな感覚があります。

考えをとことん追いかけまくっているので、マインドフルネス瞑想が勧めるところとは真逆の状態ですが、あれはあれで不思議な幸福感がある気がするんですよ。


なぜ空想中に幸福感があるかといえば、ほんとうに振り切った空想は自己の枠から大きく飛び越えてしまうからではないかと。
不安感というのは自分に対する評価とか、自分の将来の不確実性みたいな、卑近な空間や時間の範囲の話から発生するのであって、壮大なスケールの空想の前には自分の周りの不安感なんてあまりにちっぽけに見えるように思うのです。


たとえば「宇宙はどうなってるんだろう」とか、「生物はどうやって生命活動を維持してるんだろう」とか、「”美しい”とはどういう意味だろう」とか大きくて難しく複雑な話題を真剣に考えている時、自分個人のことなんて出る幕がないですよね。

あるいは、ファンタジー小説とか、SF小説でもいいでしょう。
「もしこういう世界があったら人々の生活はどうなっているだろう」「未来はどんな技術ができてきているだろう」などと空想している時に、自己の出番はありません。


そういう意味で、実は「マインドレスネス空想」も「マインドフルネス瞑想」と同じぐらい、自己への執着を軽減する効果があるのではないでしょうか。

考えや思いを追いかけることが危険視される理由はおそらく、個人規模のスケールの小さな自分の将来の問題や人間関係の悩みなどを考えてる時にこそ人間は不安になりがちなことにあるので、思いっ切り大きな空想に浸ってしまえばそれはそれで人は幸福だったりしちゃうんじゃないでしょうか。


これは江草の勝手な勘なんですけれど、世の中、現実世界の感覚に注意を向けることに相性が良い人と、逆に現実世界に不注意になって空想世界にひたることに相性が良い人に分かれてるんじゃないかと思ってるんですよね。

だから、なんとなくマインドフルネス瞑想が自分には難しいな、合わないなと思った方は、いっそのこと逆にマインドレスネス空想が向いてるなんてことがあるかもしれません。


もっとも、マインドレスネス空想をやりすぎて現実世界に帰ってこれなくなるとそれはそれで困ったことになるわけですが、マインドフルネス瞑想だってやりすぎて帰ってこれなくなると困ったことになると思うので、そこはどっこいどっこいということで(実のとこ帰ってこれない状態こそが「悟りの境地」なのかもしれませんけれど)。

用法用量をよく守って実践ください。


(まあ、めっちゃ素人の妄想的な思いつきなので自己責任でおなしゃす)

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