『消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神』読んだよ
橋本努 『消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神』読みました。
最近、江草も散らかり過ぎの部屋と溜め込んだモノたちに不満が募ってきていて、ミニマリズムに興味が出つつあるのです。実家の片付け問題に頭を悩ませてるのも影響しています。
ミニマリストしぶさんの書籍の感想文をここnoteでも書いたこともありますが、ちょうどミニマリズムのノウハウをちょっとずつ学んでいまして、その流れでタイトル買いしてしまったのが本書となります。
タイトルは言わずとしれたマックス・ウェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のオマージュです。知ってる人はついクスっとしてしまうインパクトがあります。
ただ、冗談でこのタイトルになっているわけではなく、ちゃんとウェーバーが提示する「資本主義の精神」と「脱資本主義の精神」を対照する議論をされていて、なかなかどうして適切なタイトルと言えましょう。(ゆえに本書は「プロ倫」ならぬ「ミニ倫」と呼称できそう)
著者の橋本努は経済社会学や社会哲学を専門とする社会学者の方で、まさしくウェーバーの「プロ倫」の解説本も書かれてるようですので、誰も文句が言えない堂々たるタイトル付けと思います。
「ミニマリズムとは何か」を問う良書
感想を一言で言えば、とても面白い良書でした。
近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』や、やましたひでこ『人生を変える断捨離』などを代表に、今やミニマリズム的な片付けノウハウを語る書籍は多く出てきています。
ただ、そういった一般的なミニマリズム本と本書は決定的に性格が異なっています。多くのミニマリズム本は「どうやってミニマリズムを達成するのか」というノウハウを語るのに対し、本書は「ミニマリズムとは何か」「なぜミニマリズムが広がり始めているのか」に注目しているからです。冒頭の引用文にもあるように本書は「ミニマリズム」という思想の社会的意味を問う本という立ち位置なのです。
この"how"ではない"what"や"why"を徹底的に追究している姿勢により、本書は類まれな一冊に仕上がっています。
ゆえに、「ミニマリストになりたいけどどうやったらなれるかなあ」とか「片付けのノウハウが知りたい」というとりあえずやってみたい方向けのライトな実用書ではなく、「なんでミニマリズムが流行ってきてるのかな」とか「ミニマリズムってそもそもどういう考え方なのだろう」などの、まず理論的・社会的背景の理解から入りたい方向けの硬派な学術書なのが本書です。
一見遠回りに見えますが、まず背景の理解を深めることでミニマリズムの意義を実感できるようになり、それが結局はミニマリズムの実践へつながることはありえるでしょう。実際、江草は本書を読んでますますミニマリストに憧れを持つようになりました(「なる」とは言ってない)。
理屈っぽい傾向がある方にはとてもオススメと思います。
圧巻のミニマリスト事例収集力
さて、「ミニマリズムとは何か」に迫ろうとする本書でまず圧巻なのは、とにかくひたすらに多様なミニマリスト達の事例や成立の歴史的経緯の情報を無数に収集していることです。
一般的にも有名な「こんまりメソッド」「断捨離」はもちろんのこと、先にあげたミニマリストしぶさんやその他のミニマリストブロガー達にも触れるなど、古今東西を問わず徹底的に事例を集めてる姿がうかがえます(ミニマリストしぶさんも自分がまさかマックス・ウェーバーと肩を並べて論評されることがあるとは思ってなかったでしょう)。
とにかく多くの事例、事象を集めることで、その多様さを描き出すとともに、それらに通底する倫理や精神、いわば「ミニマリズムの真髄」を描き出すことを本書は追究しています。このストイックかつ大変な作業をこなす著者の努力と熱意を思うと、これだから人文系の学者の方々にはかなわないなと脱帽させられます。
その圧倒的収集の上で、さらに分析も精緻かつ丁寧です。
ミニマリズムの類型の分類や整理の議論はとても面白く、適宜、表を挿入して視覚的にも分かりやすくするなど、とにかく丁寧な姿勢に好感を持ちました。
ミニマリズムをここまで分析した考察には初めて触れたので、知的好奇心が大いに刺激されて大変に楽しかったです。
ミニマリズム活動から始める「禅」と「脱資本主義」
それだけ精緻な議論を踏まえた上で出てきた結論なので当然一言で言えるはずもないものなのですが(江草の浅い理解では誤解も多々あるでしょう)、あくまで「紹介のため」ということで本書の着地点をざっくり提示してしまうと、ミニマリズムは、「禅」や「脱資本主義」への基盤となるようです。(ここからの文章は書籍の内容を逸脱した江草の独自解釈も多分に含まれますのでご注意ください)
「念仏」のようなボトムアップ型
ミニマリズムは、モノへの執着を捨て簡素な生活を求める仏教思想とは、やはり相性がいいでしょう。ただ、そうは言っても寺社での修行生活に入るには俗世の私たちには敷居が高い。
そこで、俗人でも身近なところで試みられるレベルの実践活動であることがミニマリズムの特長となるわけです。この理念主導型の理想主義的でなく、「とりあえず実践をする」というプラグマティック(実用主義)でボトムアップ型のアプローチであるところがミニマリズムの面白いところであると。
たとえば、「地球環境のために消費を抑えよう」とか「生活を見直そう」といった、環境市民的な理想はよく語られます。あるいは「伝統的な質素な生活を取り戻そう」とか「古き良きあの頃の生活に戻ろう」といった保守的復古主義的な理念も見られます。
ただ、そういった高い理想からのトップダウン的な導きでは案外多くの人は動かない。
シンプルに理想を理解するのが大変なのに加えて、完全な理想を追い求めれば追い求めるほど「結局じゃあ人間なんて全員いない方が環境にいいんじゃない?」とか「狩猟採集生活に戻るのがいいってこと?」などの究極的な疑問も次々に出てきてしまうために、意外と人が完全な納得に至るのは難しいというのがあるのでしょう。「ビュリダンのロバ」的なフリーズ状態とも言えます。
ゆえに、真の意味で理想からトップダウン的に活動できるようになるには、それこそ修行レベルの準備が必要になるでしょうけれど、それは限られた少数の人間にしか実行不可能です。
だから、とりあえず世俗的な大衆でも行える実践である「ミニマリズム」が興味深いスタンスの活動として今出現しているのです。
江草の理解でいうと、たとえるなら「念仏」なのかなと。
修行をして解脱するのは一般大衆には難しいけれど、「とりあえず念仏を唱えること」ならできる。もちろんそれで真の悟りに至ることはないけれど、悟りへ至る道の最初の一歩として、それはそれで否定できない実践のひとつであることには違いないわけです。
念仏を唱えるという小さなことから始めた結果、本当に禅の修行まで到達する人もいないわけではないでしょう。
それはあまりに小さな一歩に見えながらも、「全くやってない」よりも「たとえ小さなことでも習慣になっている」ことで、人間の精神や倫理観に案外大きな影響を与えうる可能性を秘めているように思われるのです。
「資本の集中」を否定する意味での「脱資本主義」
そして、タイトルの一部にも冠されてる「脱資本主義」。
あちらこちらで資本主義の限界が叫ばれている中、マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』で「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方がたやすい」と指摘されるように、資本主義のオルタナティブを私たちはイメージできないでいます。
ただ、イデオロギー的なオルタナティブが発見できてないからといって、何もできないというわけではないのでしょう。代わりの「主義」がないと何もできない、あるいは何もしちゃいけない、ということはないはずです。
そこで出てくるのが俗世の大衆でも実践できる「ミニマリズム活動」で、これが結局は「資本主義からの脱出」を促す効果を発揮し得るのだと。
ミニマリズムが理念主導型でない実践型の活動であるがゆえに可能な特異な「脱資本主義」スタンスと言えるわけです。
「理念レベルでは抗えないから実践レベルで逸脱する」というのは、確かに面白いところです。
もっとも、本書で描き出される「脱資本主義の精神」は別に「市場原理」や「資本の蓄積」を否定するものではありません。もちろん悪名高い旧共産主義国家の計画経済スタイルとも異なります(むしろこれらこそミニマリズムと相反する理念主導のトップダウン型でしょう)。
あくまでミニマリズムが社会の中での「資本の集中」を批判する意味での「脱資本主義」につながる点が特徴的かつ面白いところです。
確かに、ミニマリストと言えど部屋の中に全く何も置かないわけではありません。必要な分、買い物だって仕事だってするでしょう。目指すものは「無」ではなくて「最小限」だからです。ミニマリストだって、ある程度、モノという「資本」を持っていることや経済活動に携わっていることには違いありません。
しかし、同時に、ミニマリストは部屋にモノがいっぱいになってギュウギュウ詰めになることを拒絶します。モノをいっぱい詰め込むために広い家を欲しがるなんてもってのほかです。だからこそ、ミニマリズムは、社会においても資本があふれギュウギュウ詰めになること――経済に永遠の拡張を求めたり資本が集中すること――を嫌うことにつながるわけです。
そしてまた、ミニマリストは買い物やモノを買うために稼ぐこと(つまり労働)に時間と労力を割かれることを嫌います。モノは最小限でいいと思っているのだから、モノを買ったり売ったりする活動にも重きを置かないのは自然なことです。人生が消費や労働でいっぱいいっぱいになることを決して望まない。
それゆえ自然と反勤労主義的な装いを帯びてくるのもミニマリズムの面白いところと言えます(もっとも反勤労主義的でないミニマリズムの類型も本書では紹介されています)。
冷静中立な姿勢を保ちながら徹底的にミニマリズムを分析したオススメの一冊
こうしてみてみると、確かに、昨今のミニマリストが脚光を浴びつつある現象は、私たちの資本主義社会の矛盾や悩みを如実に反映したものではあるのでしょう。
ミニマリズムの徹底的な分析を経て、こうした視点を提供してくれる本書の仕事の功績を讃えたいです。
これだけの本を書かれるだけあって、著者がミニマリズムに支持的であることはそこはかとなく伝わってきますが、全般努めて冷静な分析にとどめており、扇動的な言い回しは全くありません。あくまで本書を通じてミニマリズムを読者がどうとらえるかは読者自身に委ねられてると言えます。
こうした冷静で中立的な姿勢は非常に好感が持てます。
それだけ硬派な本ゆえに途中でジョークひとつ飛ばないめちゃくちゃ真面目な本ではありますが、興味深いという意味での「面白さ」に満ちた本書は、「ミニマリズムにガチめで興味がある」という方にはぜひぜひ読んでいただきたい一冊です。
オススメです。
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