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労働時間を減ってると見るか増えてると見るか

女性の就業人数や就業割合が過去最高になったとの報道がありました。(なお揮発性が高いことで名高いYahoo!ニュースなので近いうちにリンク切れになるかも)

いわゆる「女性の社会進出」が進んでいるという調査結果と言えますね。
記事では育児支援制度の充実により仕事と育児の両立がしやすくなったことを女性就業の増加の要因として挙げていますが、独身の就業女性も少なからずいるでしょうから、記事に載っているような大雑把なデータではその妥当性はなんとも言えないところかと思います。


さて、この報道を受けて自然と思い起こされるのは、一部に見られる「働きすぎを問題視する人は多いけど実はそもそも労働時間は減っているんだぜ」的な言説です。

たとえば、この成田悠輔氏の記事。

生産性の劇的向上に伴い、人類は暇を持て余し、大して働かなくても食べていけるようになっている。

実際、1995年から2018年にかけて、日本の常用労働者1人あたりの労働時間は約12%減っている(総務省「労働力調査」と厚生労働省「毎日勤労統計」による)。

成田悠輔「ベーシックインカムは人類を救わない」

参照されてる資料の図表を引用しておくと、こちら。

公益財団法人 日本生産性本部「日本の労働生産性の動向 2019」


あるいはスティーブン・ピンカーも『21世紀の啓蒙』で同様に「人々の労働時間は減っている」と指摘しています。(「世の中を悲観的に煽る人は多いけど実は世の中はどんどん良くなってるんだぜ」という文脈の本です)

[図17―1]で示すように、一八七〇年の西ヨーロッパの平均労働時間は週六六時間(ベルギーは週七二時間)、アメリカは週六二時間になる。しかしそれから一世紀半のあいだに、労働者は賃金奴隷の状態から徐々に解放され、特に社会民主主義色の強い西ヨーロッパの状況は劇的に改善した(現在、西ヨーロッパの労働時間は一八七〇年と比べ、週二八時間も短くなった)。アメリカは仕事に野心的なのか、西ヨーロッパよりも短縮幅は少ないが、それでも一八七〇年と比べ、週二二時間分短くなった(5)。

スティーブン・ピンカー『21世紀の啓蒙』下
スティーブン・ピンカー『21世紀の啓蒙』下


なるほど、こうした資料からすると労働時間は減少トレンドにあるように見えます。これをもって、彼らはほのめかすわけです。「過労だなんだと働きすぎを問題視するのはもう時代遅れなんだよ」と。

江草もこの意見が全く荒唐無稽とは思いませんし、一理あるとは思っています。極端な話、産業革命期に工場法が制定されたような時代から考えたら、明らかに私たちの労働時間は減っているでしょう。良い時代です。
ただ、これをもって「働きすぎを問題視すべき時代は終わった」と考えることは早計ではないかと感じています。

というのも、さきほど挙げた図表のような「労働時間が減少していること」の根拠となっている「労働時間の推移」のデータは、「労働者の労働時間」の推移でしかないからです。言い換えると「働いている人が働いている時間」を追っかけてるだけです。つまり「働いてない人」のことは分析の範囲外にあるわけですね。


ここで、冒頭の報道を思い出してください。今や「女性の就業数が過去最高」となったと。これはどういう現象にあたるかと言えば、「働いてない人が減って働いている人が増えた」と解釈できるでしょう。(厳密にはこの解釈にはちょっと論理の飛躍があるのですが、世の中、専業主婦モデルの時代から、共働きモデルあるいは独身女性バリキャリモデルに移りつつあることを考えればさほど不自然ではないでしょう)

でも、考えてもみてください。
「働いていない人」の労働時間は定義からしてもちろん「ゼロ」です。
その「労働時間ゼロの働いてない人」が減って「いくばくか働いている人」が増えているのならば社会全体としては労働時間は増えているはずです。ところが、さきほど挙げたような「労働時間の推移」のデータは「働いていない人」を分析の対象にしていないので、「働いていない人のゼロ労働時間」を含んでいません。

たとえば、専業主婦すなわち「労働時間ゼロ」であった女性が、ある時一念発起してフルタイム社員になったなら、社会全体のマクロ視点から見れば労働者の労働時間が正味「週40時間」は増えたと言えるわけですが、さきほどのデータ上では「労働時間ゼロ」の人物は分析対象外で、正社員になって初めて統計に含まれるようになるのでその変化は捉えられていません。そして、もしこの女性が時短勤務や残業をしないスタイルで就業したとすれば、それは「正規雇用労働者1人あたりの労働時間」を押し下げる効果を持つでしょう。


もっと極端な例の方がわかりやすいかもしれません。

 人口が2人しかいない社会があったとします。この社会の中で1人が残業時間マシマシで1日16時間働くような過酷な労働をしていて、もう1人は専業主フ的な生活をしていてゼロ時間労働であったとしましょう。この時の労働者1人あたりの労働時間は「1日16時間」となりますね(1人しか働いていないのであたりまえですが)。

ここで、専業主フの方が働き始めたとします。そうですね、1日8時間の正規フルタイム相当としてみましょうか。これで1人が1日16時間働いて、もう1人が1日8時間働いているわけですが、これは専業主フの方が働いていなかった時よりはあきらかに社会としての延べ労働時間は増えています。ところが、この時の労働者1人あたりの労働時間は計算上は「1日12時間」となりますから、なんということでしょう、「1人だけで1日16時間労働してた時より労働時間は減っている」という統計データになるのです。

つまり、これまで「労働時間ゼロ」の人が就業に参加社会進出するようになって、それが今までの労働時間の平均よりも少ない労働時間の勤務スタイルであれば「労働者1人あたりの平均労働時間は下がる」のです。

もちろん、新たに就業参加する人材が出てきてくれたことで、これまで過酷な残業をしていた労働者の労働時間が減るという効果につながる可能性はあります。
今の例で言えば、もう1人が1日8時間働いてくれるようになった結果、もともと残業しまくっていた人が残業しなくて済むようになり1日16時間労働から1日8時間労働になるかもしれない。それなら2人とも1日8時間労働です。ただ仕事を分け合っただけの、いわゆるワークシェアリングです。社会全体の延べ労働時間も増えていません。

ところが、世の中はおそらくそうはなっていなくて、もともと過労だった方も1日16時間労働からせいぜい1日12時間労働ぐらいにしか減っていない空気感です。なんなら、新規参加の労働者の方も1日8時間どころか残業アリで1日12時間ぐらい働いている可能性さえあります。

こうなると、この(2人だけしかいない)社会の延べ労働時間は「1日24時間」であって、それまでの「1日16時間」から1.5倍に増えているわけですが、逆に「労働者1人あたりの平均労働時間」はそれまでの「1日16時間」から「1日12時間」と4分の3にやっぱり減ってることになります。ただ、これと同時に、労働時間ゼロの人の存在も考慮した「社会1人あたりの平均労働時間」の視点から見れば「1日8時間」から「1日12時間」にちゃんと1.5倍に増えているとも言えます。


さて、これを労働時間を減っていると見るか増えていると見るか。すなわち「労働者1人あたりの労働時間」で見るか、「非労働者も含めた社会1人あたりの労働時間」で見るか。これが重要な問いになるわけです。

文脈からしてもうお分かりの通り、江草個人的には「社会1人あたりの労働時間(注)」が増え続けている可能性を懸念しています。これは社会において、続々と非労働時間が労働時間に置換されていることを意味します。江草としては、こうした社会全体での労働志向が進みすぎて社会に様々な歪みをもたらしているために、依然として「働きすぎ」の社会問題は存在していると考えています。

たとえば、以前書いたこのnoteで指摘の「子連れ出勤」なんてのはそうした歪みのひとつでしょう。


たとえ、実際に、かつては山ほどいた「24時間戦えますか」的な企業戦士が減っているのだとしても、ただ単純に男女ともに誰も彼もがそのような働き方をすると社会の「延べ非労働時間」が足りなさすぎて社会が成り立たないために、自ずと社会的防御反応として多少のバランス調整が起きただけではないでしょうか(「働き方改革」や「育児休業」が盛んに推奨されるようになったのがその社会的防御反応の象徴です)。なにせ社会は「労働」だけで回っているわけではないのですから。

つまり、冒頭の報道が言うような「育児支援が増強されたから女性就業率が上がってる」という因果関係でなく、「女性就業率が上がったから、それでも社会を回すために防御反応として後追いで育児支援が増強されてる」という逆の因果関係を江草は想定してるわけです。

もちろん、その防御反応が十分であればそれでいいのですが、残念ながらその効果が不足しているのであれば(ぶっちゃけ不足していると江草は考えているわけですが)、「働きすぎ問題」は時代遅れどころか、もっと意識的に社会の皆で向き合うべき問題であると言えます。たとえば「女性就業はなぜ拡大しているのか」という点はもっと深く紐解く必要があるでしょう(掘り下げると大変面白いトピックなのですがここでやると永遠に記事が長くなっていくので今回は控えておきます)。


とはいえ、ずっと奥歯に物が挟まったような曖昧な言い方をしていることから分かる通り、「非労働者も含めた社会1人あたりの労働時間が増えてる可能性」について江草も確たるキレイなデータがあって言っているわけではありません。女性の就業参加がうまいことワークシェアリング的に機能していて、全体として労働時間が変わらないか減ってる可能性を否定できてはいません。
一時期、政府統計を漁ったりして求めるデータを探したりもしたのですが、門外漢にとって労働統計はなんとも複雑怪奇であり、残念ながらキレイなデータが取りだせませんでした。結局、挫折して保留状態となっています。(いつかまたチャレンジしたいですが)

ただ、少なくとも冒頭の報道にあるような労働参加率(とくに女性の就業参加の拡大)のことを考えずに、「労働者1人あたりの労働時間の推移」だけを見て、「労働時間が減っている」とか「働きすぎの問題はもう解決している」と結論づけるのはだいぶ乱暴な話であることは間違いないでしょう。



注:便宜上「社会1人あたりの労働時間」と言ったものの、一方で有閑高齢者の増加も社会トレンドとして在るでしょうから、できれば様々なライフイベントが集中している20代〜40代の働き盛り世代での労働時間割合の推移に注目すべきと思っています。非労働者も含めた働き盛り世代全員の「人・時プール」において労働時間が占める割合が経時的に増加トレンドなのか不変なのか減少トレンドなのか、それが江草が関心をもってるQuestionです。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。