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『14歳からのアンチワーク哲学』読んだよ

「中二病」はなぜ中二なのか。

皆さんもふと思ったことがあるかもしれないこの疑問。一応それっぽい説明を江草も聞いたことがあります。

なんでも、中二に当たる14歳前後の年頃は、人の脳の抽象的思考力がグンと伸びる時期なんだそうです。

実際、小学校までは算数で「カメは何匹いるでしょう」みたいな具体的な状況を想起させるような問題が多かったところが、中学数学になった途端「Xを求めよ」「因数分解をせよ」みたいに急に抽象的な問題ばかりになりますよね。(当然個人差はありつつも)多くの生徒たちがそういう抽象的な思考ができるようになる時期だからこそ、それに合わせて教育内容も抽象的にしているのでしょう。

数学オリンピックを目指すような神童たちもこの頃には数学の才能を発揮し始めてますし(江草の知り合いにもいるのです)、将棋の藤井聡太八冠が棋士としてプロデビューして頭角を表したのも14歳。

14歳は人にとって爆発的に抽象的思考力が高まる時期だというのは、確かに正しいように思われます。


「抽象的思考ができる」ということはすなわち現実から離れて、様々な概念的な物事を思考、想像できるようになるということです。

「人生の意味ってなんだろう」とか「幸せってなんだろう」とか「俺は本当は魔族の生まれ変わりなのだがその力を封印され記憶を奪われてただの一学生としてつまらぬ学校に毎日通わされてるだけなんじゃないか」とか、そういうことが考えられるようになるわけです。

お分かりの通り、最後のがいわゆる「中二病」的な妄想ですが、想像力が解放されるということは、これほどまで現実の束縛から逃れた自由な思考の可能性を生むということでもあります。


ともかくも、こうした「中二病」のきっかけとなりうるぐらい抽象的思考力が開花する時期であるのが14歳という年頃ですから、人にとって重要な転換期かつ成長期であると言えます。

それゆえ、この時期の子どもたち(もはや若者と言うべきかもしれませんが)が適切にその抽象的思考力を用いられるよう、ガイドや入門をすることを図る書籍がたくさん存在しています。

たとえば以下のようなものがあります。(現在noteのAmazonリンクの書影表示機能がバグっているためにどうにも殺風景ですが、悪しからず)

↓まず、『14歳からの哲学』。有名かつ名著ですね。江草も好きです。


↓お次は『14歳からの哲学入門』。先に出た池田晶子氏の書籍とそっくりなタイトルですが、著者の飲茶氏が池田氏をリスペクトしたあえてのタイトルだそうです。


↓そして、『ソフィーの世界』。言わずと知れた世界的ベストセラー。対象年齢は明示されてませんが、主人公のソフィーは15歳の誕生日直前に哲学の世界に迷い込むことになる設定なのです。


もちろん、ジャンルは哲学だけじゃないです。

↓こちら『13歳からのアート思考』はアート。(13歳と若干若年狙いですが)


↓こちら『13歳のハローワーク』は仕事。(こちらも13歳)


↓最後、仕事テーマの『なぜ僕らは働くのか』。これも年齢明示はないですが、書籍紹介の中で中学生の感想コメントが列挙されてることから見ても、14歳前後狙いとみなして良いでしょう。


検索すれば分かりますが、これでも割と有名な方だけ選抜した一部に過ぎません。この世には大量のそして多様な「For 14歳(前後)」本があるのです。

それだけ、この14歳という時期が重要であるということでしょう。

人生における哲学のことはじめとして、社会のことを考える「責任ある社会の一員」の第一歩として、14歳という時は「思春期」とも言われるようにまさしく「思考が芽生える春」であるのです。



さて、そんな14歳をガイドする書籍として、またこの世に新星が登場することになりました。

それが(ようやく本題の)『14歳からのアンチワーク哲学』です。

いやあ、『14歳からの哲学』や『13歳のハローワーク』に完全に喧嘩を売ってるタイトルですね。

……などと、他人事のように語ってみましたが、実を言うとこのタイトル、江草が発案者だったりします。

この江草のnoteをフォローしてくださってる方にはお馴染みでしょうけれど、この書籍の著者は江草の仲良しnoterであるホモ・ネーモさんなんですね。

以前、ホモ・ネーモさんが「なにかいい感じの新作のタイトル候補がないか考えてる」的な投稿をされてた時に、江草がふと思いついた原案をコメントしたところ、なんと光栄にも採用していただけたという次第です。

本稿では冒頭から「中二病がどうだ」とか「14歳向けの書籍がこの世にいっぱいある」だとか長々と説明してきましたけれど、それは要するに自分が原案のタイトルにつなぐための出来レースだったと言うわけです。(小賢しい大人はいけませんね)

だから、言ってみれば、各種ベストセラー書籍にタイトルで喧嘩を売ったのはホモ・ネーモさんというよりも、本当は江草の方とも言えます。ので、怒るなら皆さん江草の方でお願いします。(あ、でもタイトル後半の「なぜ僕らは働きたくないのか?」の部分は江草発案じゃないのでそこのお問い合わせやクレームはネーモさんまで)


ただ、話の都合上の我田引水であったとは言え、ここまで語ってきた内容自体は真意です。

つまり、14歳という時期は、人生の意味だとか、社会のことだとかを考える(哲学する)のに極めて重要な時期であろうと。

そして、これだけ世の中に多彩な14歳ガイド本がある中で、なぜかぽっかりと抜けていた穴があるとすれば、それは「アンチワーク哲学」であろうと。

労働を扱ったものであっても、『13歳のハローワーク』や『なぜ僕らは働くのか』に見られるように、働く意味を肯定的にとらえたり、大人になるには働くことが必要なのは疑いようのない所与の前提であるとする書籍が主流です。

もちろん、現行の社会的にはそれが「政治的に正しいポリティカルコレクト」ですし、まごうことなき王道ではあるのですけれど、ちょっと大人に都合の良い「いい子」に導こうとしてるきらいがあるんですよね。

せっかくの哲学ことはじめの機会であり、「中二病」にかかれるぐらい想像力豊かで自由な思考ができる時期であり、まだ働いておらず労働文化に染まってないピュアな14歳なればこそ、まずは「労働」そのものから疑ってみるべきではないでしょうか。

そんな、「労働」という世の中の「聖域」に切り込んだ書籍がこの『14歳からのアンチワーク哲学』なんですね。


さて、「14歳から」と「哲学」についてのイントロダクションは済んでますが、それならばせっかくですし唐突に出てきた「アンチワーク」についてもイントロ的解説を付しておいたほうがよいでしょう。

「アンチワーク」とは、その名の通り「反-労働」的な思想ないし活動を指す概念です。

もともと源流としては大昔から長らく存在している概念のようですが、現代においては、数年前にRedditというアメリカ版2ちゃんねる(5ちゃんねる)的なサイトで、"antiwork"というsubreddit(コミュニティみたいなもの)が急速に賛同者、参加者を集め爆発的人気となったことで、注目されるようになりました。

r/antiwork -Reddit

(なお、後者のリベ大の解説はアンチワークに対する誤解や偏見が多分に含まれていてあまり適切な解説ではないと思います。いつかこの点については気が向いたら記事にしたいなとも企んでます)

このムーブメントの原因として、コロナ禍がきっかけで改めて自身の働き方を見直す人々が増えた結果、「アンチワーク」に支持が集まったという見方が多いです。

だから、ある意味では自然な流れとも言えますが、コロナ禍が社会的終息を迎えた現在では「アンチワーク」への注目も下火になってる感はあります。

それでもアメリカではそこそこ大きなムーブメントになっていた「アンチワーク」ですが、ここ日本においては、せいぜい上記のような記事で多少紹介された程度で、本格的に支持者や、あるいは議論を集めるような流れに至らなかったのが実情です。

つまり、日本では「アンチワーク」のポジションはポッカリと空いていたわけです。

そうした中で、空白であった日本での「アンチワーク」の先導者の役割を買って出たのが、ホモ・ネーモさんということになります。

(記憶がうろ覚えなんですが、江草が「アンチワークが日本で流行ってないのがもったいない」とネーモさんの記事にコメントした数日後ぐらいからネーモさんが「アンチワーク哲学者」を名乗るようになった流れだった気がします。なんかけっこう江草が変なことを吹き込んでしまってる感じがしないでもないですが、ネーモさん的には支援してたら「ワシが育てた」と言っていいとのことなのでここは許していただきましょう)

とはいえ、ネーモさんが日本での「アンチワーク」を担うと言っても、アメリカのantiwork運動の単なる日本版を目指しているというわけではありません。ネーモさん独自にとことん「労働とは何か」「なぜアンチワークなのか」を考察、発信されていて、まさしく「アンチワーク哲学」と呼ぶに相応しい骨太の活動となっています。その意味で、アメリカのantiwork運動の継承や輸入などではなく、むしろその枠組みを超えて独自進化を果たしていると言えます。

その「アンチワーク哲学」の具体的な内容については、それこそネーモさんのnoteを追っかけて欲しいのですけれど、わざわざnoteを追っかけることなく、なんなら14歳でも分かるようにその哲学のエッセンスを簡潔にまとめられたのが今回の『14歳からのアンチワーク哲学』という書籍になるわけです。


江草は普段から応援してるのもあって、出版前に先行で原稿をいただきレビューさせていただいたのですが、いやあ流石のクオリティでした。とにかく面白いし、説得力があります。

本来なら、ここで購入を考えてる人のために内容を詳細に紹介して解説を加えるところなのですが、こと、この『14歳からのアンチワーク哲学』に関しては、もはやなんと無料全文公開されてしまっているので、あまりこまごまとしたことを江草の駄文で語っても蛇足になるばかりでしょう。

本編が目の前にガッツリ開示されてる以上「説明するのもなんなので興味が湧いた方はとりあえず読んでみてください」と言う他ありません(笑)。

リンク再掲しますが、ほら「公開」って書いてありますでしょ。PDFダウンロードすれば、もう誰でも読める状態で置かれてしまってるんです。

しかし、なぜ、出版前にこんな無料全文公開なんてことができるかと言うと、ネーモさん自身が出版社を立ち上げてそこから出す予定の書籍だからなんですね。

出版社を立ち上げる?

そうなんです。ネーモさんは出版社を自ら立ち上げてそこでアンチワーク哲学を普及させるための書籍を発行しようとされてるんです。

凄まじい行動力でしょう。江草なんてて色々理屈だけは一丁前に語ってるくせに全然行動せずに「動かざること山のごとし」と言われたこともあるぐらいのチキンなので、このネーモさんの抜群の行動力にはほんと憧れてしまいます。

ところで、「アンチワーク哲学」のキモとなる思想は「全ての労働はクソである」「全ての労働は無くすことができる」というものです。これだけパッと聞くと「所詮自分が働きたくないだけの怠惰な人間だろう」っておそらく多くの方が思うと思うんですよね。それこそ「中二病」的なイメージを抱かれることは必至でしょう。

ただ、注意して見ていただきたいのは、このアンチワーク哲学が「自分が労働せずに済む」というビジョンを展開しようとしているのではなく、「みんなが労働せずに済む」というビジョンを展開している点です。「自分が」ではなく「みんなが」なんですね。

たとえその具体的な主張内容に賛否の議論はあるにしても、この点において「自分が働かずに済むように文句を言ってるだけの怠惰な人間」という評は当てはまらないことが分かるかと思います。しかも、現に出版社設立のために熱心に奔走してる姿を見て「怠惰」と呼ぶのは全くもって難しい。

さらに言えば、「FIRE」でも知られてる通り、自身にお金を集めた方が、それこそ自分が働かなくて済む状態に近づくはずなのですが、ネーモさんは費用と労力をかけて出版社を立ち上げようとする中、あろうことか採算度外視で突如無料で肝心の書籍内容を公開しちゃうという暴挙に出ています。
情報商材的なものを高額で売って自身の経済的自立のゴールを目指すことばかり蔓延ってるこの世の中からすると、まるっきり非合理的な行動と言えるでしょう。しかしながら、これも「自分が」ではなく「みんなが」を目指しているからこそと考えれば説明はつくわけです。


しかし、「みんなが労働せずに済むために自身が身を粉にして働いてる」というのは「アンチワーク」として実に矛盾した状態ではないかと思われるかもしれません。

ここで種明かしをしてしまうと、ネーモさんのアンチワーク哲学における「労働」は一般認識とはちょっと異なる定義を適用しているので、ここで矛盾は生じないのですね。詳細はぜひ書籍内容(あるいはネーモさんの長年蓄積されたnote)をあたって欲しいのですが、この労働定義調整によって一見現実味がないように見える「全ての労働はクソである」「全ての労働は無くすことができる」のスローガンに説得力が出てくるわけです。

定義を調整して矛盾を解消するという手法は、見ようによってはズルにも思われるかもしれませんが、その評価はその定義の調整内容とその根拠の妥当性次第でしょう。そして、「なぜこのように労働を定義するか」は書籍内でしっかり丁寧に解説されています。

むしろ、この定義調整で明らかになることは、一般常識的な「労働」の概念の方こそがいかに懐疑や批判の対象となっていなかったか、、、、、、ということです。すなわち「労働とは何か」を私たちの社会が今まで真剣に問うてなかったことが浮き彫りになるんですね。

たとえばネーモさんのアンチワーク哲学における労働の定義を批判するとすれば、逆に「では何が適切な労働の定義なのか」とブーメランのように問い返されることになります。こう問い返されて初めて「労働とは何か」を考えることになる人も少なくないでしょう。

このように当たり前すぎて空気のようになっていて考えたこともなかったことに、ふと疑いの目を向けるきっかけとなる論考。これぞまさしく哲学の役割であり醍醐味ではないでしょうか。


江草が「アンチワーク哲学」を応援している理由もここにあります。

先ほど、江草は「世の中の14歳向け労働ガイド本は労働の肯定的価値を無批判に前提としているように思える」的な話を書きました。

しかし、本来はこれこそ危険なんですね。無批判な肯定的言説しか世の中に存在しないというのは、要するにそれについて考えてないということですから。すなわち、「労働」について肯定的な言説しかない世の中は、「労働」について考えもせずに受け入れてるだけの烏合の衆になってるおそれがあるのです。

だから、労働を批判的にとらえる「アンチワーク」的立場が日本で出てこないのは危険だし、現にアメリカにはある以上、もったいないなと思ったんですね。別に最終的に労働に肯定的な立場を採るにしても、否定的な立場がどのような点を問題視しているか知らないよりはずっと労働についての解像度が高まるし、本心から労働にコミットしているという自信もつくでしょう。

それゆえに、否定的立場を担うに足る骨太の「アンチワーク哲学」が日本において産声を上げたことは、非常に喜ばしいことであるとして江草も応援しているわけです。

もちろん、「両論併記だ」とか言って、なんでもいいから反対意見を挙げれば良いというものではありません。日々、トンデモな健康法や反医療主義者に悩まされてる医療従事者は皆、そもそも議論の俎上に挙げるレベルに至ってない批判的意見など山ほどあるのをご存知でしょう。そういった低レベルのものを天秤の反対側に置いても、天秤が微動だにせず、結局は議論にすらならないので意味がないのですね。

つまり、江草が何を言ってるかというと、「アンチワーク哲学」はそういった適当なトンデモ論考のレベルではないということです。まあほんとよく考え抜かれています。先ほども「否定的立場を担うに足る」と述べた通り、ネーモさんの「アンチワーク哲学」には労働の是非の天秤の一翼に乗せるに相応しい十分なクオリティがあると江草は評価しているわけです。

本当にそうかどうか疑問に思われる方は、それならば実際に読んでみてください。事実上関係者と言ってもいい江草が「良い」「良い」とただ褒め称えるよりも、各々がご自身で内容を読んでいただいた上で評価をされるのがもとより望ましいですし、そうしたプロセスで多くの人々の労働観が磨かれることこそ「アンチワーク哲学」の素晴らしい功績になると思われます。


で、最後にダメ押しで言及しておきたいのは、この『14歳からのアンチワーク哲学』の圧倒的な読みやすさですね。

「読んでください」と言われても結局読まない人が出てくる主な理由として「読むの面倒だなあ」という気持ちがあると思います。

ただ、「14歳からの」と銘打ってる通り、非常に読みやすいテキストになっています。ありがちな評論文のような固いテキストでは全然なく、『嫌われる勇気』や『きみのお金は誰のため』でも用いられているような対話形式が採用されているので、小説の話を追う感じで読むことができます。

なんなら、江草のこのダラダラとしたnote記事よりも100倍ぐらい読みやすいと思うので、ここまで読んでくださった方なら普通にサクッと本書の方を読めるでしょう。100ページぐらいの分量なので、そんなにボリュームも重くないですしね。

しかも、ストーリーに一捻り加えられていたり、途中途中にクスッとさせるユーモアも施されてたりと、アンチワーク哲学の解説のみならず、小説としても面白いという、全くもって素人が編集者抜きで独力で書き上げたとは思えないとてつもない仕上がりになっています。

なので、社会的意義と高いクオリティと読みやすさと、しかも無料(PDFなら)というとてつもない特徴を有した本書『14歳からのアンチワーク哲学』、万人にオススメせざるを得ないです。


ラスト、リンクを再再掲しときますね。


はてさて、これを機に日本でも「アンチワーク」ブームが来るのかどうか、乞うご期待。



P.S.

ちなみに江草の立場としては、ネーモさんの「アンチワーク哲学」に与するというよりは別路線で現行の労働観を批判してる感じですね。自分の思想自体が未整理なところがありますが、江草は多分ネーモさんのように「全ての労働がなくせる」というほどにはラディカルな立場ではないです。

どちらかと言うと、江草の場合、明言的に何か主張を述べるというよりは、世の主張をぶち壊しに行く懐疑論を述べることが多いでしょうか。その過程で現行の一般常識的労働観を批判することにはなってるので、登山道は違えど同じ山を登ってるという意味でネーモさんと息が合うことが多いのかもしれません。

もっとも、最近の江草は「仕事と称して本質としては遊んでるようなものでしょ。もっとちゃんと(真の意味で)働いてください」的な(ある意味アンチワークと真逆な見た目の)論旨を放つことが多いですので、いったいどっちの方がラディカルか分かりませんが。

なお、本書『14歳からのアンチワーク哲学』には江草の他にも多数の推薦記事が寄せられているのですが、みなさん推薦者にも関わらず「全面的にアンチワーク哲学に賛同しているわけではない」としばしば注意書きを書かれたり、具体的な疑問点を述べたりされてるのが非常に興味深いところかと思われます。この光景はイエスマンばかりが集うありがちな熱狂的エコーチェンバーと一線を画しているのではないでしょうか。

それぞれまた一家言ありそうな一癖も二癖もある論者たちが、全面的に賛同してるわけでもないのにそれでもなお本書を推薦するというのは、いかに現行の労働観に対する批判的議論が世に足りてなかったかを表していると考えられます。すなわち、本書の主張に今後解決しないといけない疑問点や論点は残るとしても、これからの議論のためにアンチワーク哲学は重要な足場を作ったとして、推薦されているわけです。

そもそも哲学というのは永遠に疑問点や議論すべき論点は残るものですから、それ自体では別に落ち度にはなり得ないのです。それよりも、議論自体が始まらない、始められないことの方を恐れる。そしてこの恐ろしさを次世代を担う14歳の若者たちに伝えられないことを恐れる。皆そういう想いなのだと思います。

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読書感想文

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。