なぜ進化を教えるのか?
1.はじめに
現在、日本の理科教育では中学校理科3年生から進化の学習が始まります。そこでは、脊椎動物の進化が扱われ、脊椎動物の進化の変遷(つまり、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、鳥類の順に地球に出現したこと)や、すべての脊椎動物が祖先を共有していることを裏付ける証拠として相同器官を学習をします。
高校理科ではさらに深く、進化が扱われます。『生物基礎』において、脊椎動物だけでなく、すべての生物は祖先を共有していること、そして祖先を共有しながらも進化(変化)してきたことを扱います。『生物』では、自然選択を中心とした進化のしくみ、中立説に基づき分子系統樹作成の原理などが扱われます。そして、『生物基礎』でも『生物』でも進化は第1章で扱われ、2章以降の学習においても進化の視点で生物現象を捉えていくことが重要と学習指導要領に明記されています。
このように、現在の日本の理科教育では進化が重視されていますが、過去を遡ると、進化の教育は軽視されていたことが分かります。例えば、1998年告示の中学校学習指導要領の理科では進化は扱われておらず、1999年告示の高等学校学習指導要領の理科においては、『生物Ⅰ』では進化は扱われず、『生物Ⅱ』では「進化」は「生態学」と選択でした。
なぜ近年、進化が重視されるようになったのか?生物学における進化の重要性が認識されたと考えられますが、その理由は学習指導要領には明確に書かれてはいません。この記事では私見を踏まえ、進化を教える理由を整理したいと思います。
2.進化を教える理由
進化を教える理由は複数挙げられています(詳細は福井・鶴岡2002、高橋・磯﨑2014を参照)。下記では、その中でも重要と思うものを選抜して4つを紹介します。また、それぞれの理由に沿った教え方も考えていきます。
2.1 理由① すべての生物は進化するから
高校の『生物基礎』の教科書では第1章において生物の特徴が扱われますが、そこで、すべての生物に共通する特徴として「進化すること」が挙げられています。同様に「細胞からできている」こと等が扱われていますが、細胞の学習は1つの章に止まっていることを考えると、①が主な理由であるなら、1つの章として教えれば良いと思います。現行の中学校理科では、進化は特定の章のみで扱われていますので、この理由に沿って構成されているように見えます。
2.2 理由② 生物学は進化の光がなければ意味をなさない
生物学者や生物教育関係者であれば皆知っている、セオドシウス・ドブジャンスキーの名言「Nothing in Biology Makes Sense Except in the Light of Evolution」を訳したものです。アメリカの生物教育の学術誌 The American Biology Teacherに掲載された論文(Dobzhansky 1973)のタイトルになっています。
実際、この論文中でタイトルの内容と関連する以下の記述があります。
進化を教える理由として生物学者や生物教育者がよく使うフレーズで(私も論文で使った経験があります…)、カッコいい表現ではあるものの、誇張しすぎでは?と思います。自戒を込めて言いますが、②を理由にすると、「大切なものは大切!」というふうに思考停止になってしまわないでしょうか。言葉の意味が深く考えられず、このフレーズだけが一人歩きしている気がしています。教員は「生物学は進化の光がなければ意味をなさない」と言える理由を生徒に説明できるでしょうか。
進化教育の分野で進化の受容を測定する尺度としてGAENE(ジーンと発音)というものがありますが(Smith et al. 2016)、その1項目にこの「Nothing in Biology Makes Sense Except in the Light of Evolution」があります。アメリカの高校生対象の調査結果によると、この項目の肯定度合は14項目中で13番目に低いものでした。少なくとも高校生にとっては進化を学習する理由としてはピンとこない点は把握しておくべきだと思います。
また、抽象度が高い表現であるため、進化について何をどう教えるべきか、明確な指針を生み出さないと思います。
Dobzhansky (1973)の論文の内容は、生物に見られる多様性と統一性は、創造論による説明より、進化論による説明の方が合理的に理解できるというものです。その意味では、次の理由③と同様の内容と言えると思います。
2.3 理由③ 進化は生物の共通性と多様性を説明する
先述のように理由②と同じようなことを言っているわけですが、理由③の方が言わんとしていることは明確です。この理由であれば、全ての単元で進化の視点を扱うことが必要となります。現行の『生物基礎』や『生物』はこの立場だと思います。
でも進化以外の単元では具体的に何をどうやって教えるのかのアイデアは不足しており、コラムのように、後付けの説明になりがちです。そのため、『生物基礎』と『生物』の両方を学習した生徒であっても、理由③を実感するには至っていないと思います(後でちゃんと調査します!)。
理由③を実感するには、後付けで進化の視点で見るとこう言えると説明するのではなく、進化の視点で考えることを最初から促すことが有効と考えています。生物学者や生物教育者は進化は大切!と考えているわけですが、それは生物は進化してきたという知識とそのしくみに関する理解が備わっており、それをベースに生物現象を見ているからこそ、進化の視点でみることの面白さや重要性を認識できるのだと思っています。生物学者や生物教育者だって初学者の時から進化は重要であると考えていたわけではないはずです。
この考え方は「先行オーガナイザー」に近いように思います。先行オーガナイザーとは、学習情報に先立って提示される情報であり、学習情報よりも一般的で、抽象的で、かつ包括的な情報(Ausubel 1968)とされます(注1も参照)。進化を「先行オーガナイザー」のように、能動的に学習するツールとして使う。つまり、先んじて、進化の視点で考えるよう伝える、つまり生物は共通祖先から進化してきたがゆえに変化を伴う継承(descent with modification)が見られることを伝えることで、理由③を生徒は少しずつ実感できるようになると思います。まさに、生物学者や生物教育者がそうしてきたように。
ですが残念なことに、進化の視点で考えてみると生物現象を理解しやすいと思える教材や指導法はあまり知られていません。アイディアの蓄積が必要です。例えば、『生物基礎』ではヒトの血糖値を上げるホルモンは3種類(グルカゴン、糖質コルチコイド、アドレナリン)あるのに、血糖値を下げるホルモンは1種類(インスリン)のみであることを扱います。その際に、「何でだと思う?ヒトも進化してきたことをベースに考えてみて」と発問し、考えさせることが例として挙げられます。その他にも「オオムラサキは脚が4本しかないけど、昆虫ではない?のかな。昆虫も進化してきたことをベースに考えてみて」なども良いと思います(その他、山野井・阿部2019ではハエの翅の枚数が2枚であることを進化の視点で考える授業を紹介しています)。
こういった学習を重ねることで、教師が進化の視点で考えるよう促さなくても、生徒の方から「先生、進化の視点で考えたんですけど、この現象ってこういうことですか?」と質問してくるようになったら、素晴らしいと思います。それを目指したいと思います。
こういった学習が行われないと、生徒は進化の学習を重視する理由が実感できず、それが教師や理科教育業界にも波及し、結局、進化の単元だけで教える形に戻ってしまうのではないかと思っています。
2.4 理由④ 科学の本質(Nature of Science)を教えるため
まず科学の本質(Nature of Science,NOS)について説明します。科学の本質とは、科学がどのように機能するのか、科学的知識はどのように生み出されるのかといった科学に関する認識論的な特徴を指します(McComas et al., 1998)。残念ながら、OECDのPISA調査の結果から、日本の生徒(高校1年生)は国際平均に比べて、NOSの理解が低いこと指摘されています(詳しくはDaiki Nakamura 科学の性質を教える理科授業を参照)。
アメリカのBSCSでは「進化は生徒の科学の本質に関する理解を促進させるための理想的な内容領域である」とさえ言われています(高橋・磯﨑2014参照)。確かに、進化は過去に起こったことで実験により再現することが基本的にできないわけで、その進化がどうやって科学的に検証され、知識が積み上げられてきたかは一般には想像しにくいと思います。やや玄人好みのテーマのようにも思いますが、関心の高い生徒の興味をひく可能性はあります。
ダーウィンの自然選択(説)も、ラマルクの用不用説などの仮説が棄却された後に、観察される生物現象と矛盾がなく、より説明力のあるものとして受け入れられた経緯があるので、「科学的知識の可変性」を理解する上でも適したテーマだと思います。また、ダーウィンの自然選択の着想の経緯は「観察と推論の相違」の理解にも役立つと思います。
さらに、創造論と進化論を対比することで、科学的「理論」に求められる条件(例えば、現在の観察結果を説明し、新しい観察結果を予測する)を考えることもできます。
アメリカの教科書では、進化を例にしたNOSの内容をどこで扱っているのでしょうか。多くの教科書では、進化の章ではなく、冒頭の第1章の生物学的探究の説明で扱うことが多いように思います。例えば、高校生向けのBSCSの教科書(青版)や、有名な大学生向けの生物教科書「キャンベル生物学」では第1章で扱われています。アメリカの生徒・学生にとっては創造論と進化論の対立は身近なので興味を持てると思いますが、日本の学生はこのテーマから始まる場合、生物学に興味をもてるのかは気になるところです。
一方、日本では生徒のNOS理解が低いことからも想像できるように、高校生物の教科書においても、NOSの観点があまり扱われていません(岡本・青井2019)。教科書の冒頭で生物学的探究の進め方の説明は書かれているものが多いですが、進化論を題材に説明されることは少ないです(令和4年検定の啓林館の教科書では少しそのような説明がありました!)。
かつての高校生物教科書では、進化のしくみに関する諸説が複数扱われていましたが(山野井2008)、どの説がどのような理由で科学的に良いとされたのか等、NOSの観点からは上手く扱えていなかったように思います。
今後、日本の生物教科書では、進化に関連して、どのようにNOSを扱うかを検討していく必要があると思います。
3.最後に
進化を教える理由をいくつか扱ってきましたが、どの理由がしっくりきたでしょうか。もちろんこれらの理由は相互に排他的なものではありません。進化を教える理由は複数あることを認識し、複数の側面からその理由を理解できる授業をすることが大切だと思っています。
冒頭で述べたように本稿では扱っていない進化を教える理由もありますので、気になる方は参考文献をご覧ください。
注1)先行研究(川上・多鹿1990)では、中学生対象の花のつくりの学習の 際、先行オーガナイザーとして「花の各器官は葉から進化したものであること、それ故に各花筒の配列順序は内側から見てめしべ、雄しべ、花びら、がくの順で、その配列順序はどんな花でも不同であること」という知識を学習前に与えると、先行オーガナイザーを与えなかった群より、転移テスト(授業で扱っていない植物の花のつくりを答える問題)の成績が良かったこと、その効果は成績下位群の方が顕著であったことが報告されています。
<参考文献>
福井智紀・鶴岡義彦(2002)生物進化の教授価値の検討 : 我が国と米国における諸議論を手掛かりに.千葉大学教育学部研究紀要50:69-82
高橋 一将・ 磯﨑哲夫(2014)BSCS における進化の学習の特色.
理科教育学研究54(3):369-382
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