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2020年2月の記事一覧

田園交響楽(5) なぜ交響「楽」なのか

田園交響楽(5) なぜ交響「楽」なのか

 ベートーベンの交響曲第六番を,「田園交響曲」ではなく「田園交響楽」と書いた理由は,「田園交響楽(1)」で書いたが,あらためて補足しておこう。

 「交響曲」はSymphony の和訳だが,さだまさしは「交響楽」の中で

今から思えば 貴方がワーグナーの
交響楽を聞きはじめたのが

と詩を書いて,「シンフォニーをききはじめたのが」と歌っている。
確かに,ワーグナーの曲は「交響曲」ではないので,「交

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田園交響楽(4)

田園交響楽(4)

 音楽的才能がないのに指揮者を務めるというのは結構つらいものがあり,できればやりたくない。それでも,頼まれればやるのは,指揮者の楽しみがあるからだ。それは,オーケストラが自分の楽器となることである。うまくいけば,の話だが。

 指揮者として練習を率いるのは,彫刻に似ているかもしれない。あらけずりのものに細かく手を入れて美しいものに仕上げていく。練習指揮では,自分の望むデザインにはできないが,それで

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田園交響楽(3)

田園交響楽(3)

指揮者として

 ベートーベンの交響曲第6番「田園」。これを,クラリネット奏者,フルート奏者の2つの立場から,どんなところが聴かせどころで気を使うかについて、前回,前々回に書いた。
 吹奏楽の場合と異なり,管弦楽では管楽器は1パートをひとりで演奏する。(2人のときもある) 曲によっては,その楽器のソロの個所があり,ソロの形態もいろいろだ。全体の一部分の旋律をひとりまたは他のパートと2人で担う場合や

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田園交響楽(2)

田園交響楽(2)

 ベートーベンの田園交響曲。これを「交響楽」と表記しているのは,まあ,イメージの問題だろうか。第一楽章が「田舎に着いたときの愉快な気分」ということだから,なんとなく「交響楽」と書きたい。
 それはともかく,この曲を聴衆として聴くのではなく,演奏者としてどう考えながら演奏したかという視点で語るのが本稿である。
 前回は「クラリネット吹きとして」であった。今回はそれから8年後,フルートで演奏したときの

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田園交響楽(1)

田園交響楽(1)

 今,手元に「田園」のスコアがある。発行は音楽之友社で1000円。ポケットスコアではなく,B5判ハードカバーのスコアである。中には鉛筆でいくつもの書き込みがある。印刷された練習番号(A から始まる記号)の他に数字の練習番号,揃えるための縦線,もともとは書かれていない rit,cresc. を強調するための斜線・・・。
 この古いスコアを楽譜棚からひっぱりだして,今また使っている。

 ベートーベン

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バッハの器楽曲はいろいろとアレンジできるのがいい。たとえば,オルガン曲のフーガニ短調。ストコフスキーが管弦楽に編曲しているし,吹奏楽用にもアレンジされている。
 声部が少ないチェンバロ曲も,弦や管楽器用にアレンジすると面白い。「音楽の捧げ物」の第1曲は,管楽器で,しかもフレーズごとに楽器を換えるアレンジがあって,NHK-FMのある番組のテーマ曲になっていた。
 複数の楽器用にアレンジするのでなく,

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