【人間】報復、下剋上、快感
こんにちはモテを語る悪い猫です。モテからたびたび脱線して、今回はこちらのツイートについて少し掘り下げていきたいと思います。
きっかけはこちらの活動家の破壊行動です。
皆から愛されるゴッホのひまわりに環境保護の名目でトマトスープをかけた動画が炎上中です。「アートと命どちらが大事か」というテーマのようです。
でも、この話は、特別な趣味嗜好を持った人間だけが陥る罠ではなく、かなり普遍的な情動なのですよ。我々すべての一般人が持っている破壊情動なのですよね。
人間は超凶暴、報復の味は蜜の味
「自分より強い立場の人間を引き摺り下ろして踏みつけたい」というのは、普遍的な殺傷快感なのですよ。かつて、9年前に大流行したドラマ『半沢直樹』のこのシーンを覚えている方も多いではないでしょうか。
結局、ドラマ半沢直樹は大和田常務という権威的に強い立場の人間を引きずりあろして土下座させて靴を舐めさせるために、その背後の腐敗を暴く超美味しい脳汁ドバドバストーリーだったわけです。
香川照之さんの名演技には脱帽してしまいますね。「こいつを苦しめながら殺したら楽しそうだ」と観客に思わせる迫力が完璧です。
これを20世紀の悲劇を踏まえてピンカーは『暴力の人類史』で赤裸々と綴っています。少し長いですが、第8章:内なる悪魔より、そのまま引用していきます。
人間の本来持つ破壊衝動について:
そして、報復の物語はそのよき調味料となります。
また、報復に加えて「自分よりも高い権威の者を引きずり下ろす加害快感」については以下のようにまとまっております。
日本語版ではKindleがなくて不便ですが、名著なので読みましょう。全体的には「人間の非暴力化の歴史」ですが、暴力の話がてんこ盛りなので、逆に人間赤裸々刺激好きには楽しめるタイプの読み物になります。
(多分『監獄の誕生』が好きなタイプはこれも好き。)
戦争プロパガンダのテンプレート
こう書くと反革命的な響きが強く左巻きが噴飯しそうですが、実は、この「巨大な悪の権威を逆転支配したい」という下剋上の叛逆の情動は、数々の右翼的な戦争プロパガンダに使われてきたわけですよね。
目先の宇露戦争で起きていることで言えば、こういう論理が使われているわけです。
ナチスというのは巨大な悪の権威主義体制なわけですよ。
それを解体するとなれば、ロシア国民は自分たちの格好良さに心酔してしまうわけです。「次のファシズムは反ファシズムを掲げる」を地で行くような光景ですね。
戦術レベルの話で言えば「偽旗作戦」と言われるものです。
戦争なんてものは「これから我が国が侵略始めまーす!チース!よろしくーす、まじ、侵攻楽しい俺TUEEEE、パネエわ。」なんて論理で始まりません。以下のロジックで共感性を持った心優しい人間たちが納得して始めるものです。
「いじめっ子の国を懲らしめてやろう。」
あくまで「強そうで傲慢そうな力を持つ者へ」の「勇気ある我々正義側」の下剋上の挑戦であるということにするわけです。勧善懲悪ですね。
いや、お前らがいじめっ子や!なんてツッコミは通用しません。
なぜ、笑うのでしょうか?彼らの正義はホンモノなのですよ?
国家主義と総動員体制の万能感に浸り込み、悪者の苦しみに快感を覚えるためには、自分たちがヒーローでないといけないわけです。
「偽旗作戦」というものになります。
数々の偽旗プロパガンダを見ていきましょう。
中越戦争:
「ベトナムが同盟国カンボジアへの侵攻してまーす。同国内の中国系華人を追放、虐殺してまーす。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%B6%8A%E6%88%A6%E4%BA%89
湾岸戦争:ナイラ証言
「イラク軍がクウェートで、新生児をぶっころしてまーす。」
日中戦争:暴支膺懲
「盧溝橋こわしましたー、通州事件で日本人虐殺しましたー、シナ人に天誅を加えまーす。」
どれもこれも「悪いいじめっこの国を懲らしめてやりましょう!」でしかありません。戦争の正義というものはいつも「半沢直樹」なのです。
美術品破壊なんて生易しい鉄砲玉
「巨大な秩序によって我々は不当に抑圧されている」ストーリーというのは、あらゆる民族、宗教集団で戦争をするために便利な物語だったわけですが、
戦争というのは老人が物語を作り、若者がそれに殉じていく構造です。
国民国家が殺し合う戦争も、国民国家内で被抑圧者が国家転覆する戦争も戦争に変わりはありません。消費されるのはいつも若者なのですから。
たかだか物語に真剣になりおって、なんて考えている人は物語や虚構の強さを理解していません。
人類の文明も破壊も「虚構」から始まるわけですから。
ビジネスではよく「一流の営業は営業だと分からない」のと同じように「一流の虚構は現実にしか見えない」のです。エリート文人が綿密に練った「復讐の物語」を我々が見破る術は実は持っておりません。
若者には、どんなに戦後平和教育を施そうとも、次なる敵を探し求めて、正義を体現する英雄になる栄誉に憧れて、「平和主義」を迂回しながら秩序の下剋上の闘争へと身を投じる欲望に駆られるのです。
そして、老人は常にそれを利用します。
所詮、我々にできるのは「人間の本来の殺傷快感」に対して自覚を持つことしかないのでしょうか?
そして、さらに話をややこしくしているのは、報復心は善悪や共感で構成される正義だけではない。そもそも人間には自分より強い者、有能な者に対して、あたかも自分が支配されているような感覚があるのですよ。
正義の物語、報復の快感、下剋上のルサンチマン欝憤発散、これらが絶妙に組み合うとき、人生に不満な我々は簡単に人間爆弾になれます。
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