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【恋愛】虚構としての海賊王:どうして恋愛に嘘は必要か

どうも、魔都から来た悪い猫です。

適当にTwitterをしていたら、いつのまにかモテの仕組みを語るプチアルファとして注目されるようになりました。昔はナンパをして腕を磨いていましたが、最近はすっかり丸くなりパートナーと一途なゆるふわな恋愛をしており、仲良く未来設計を共に楽しんでおります。

ありのままを受け入れて欲しい若者たち


自分を商品として売り出す就職活動が嫌い、嘘をつきたくない、こんなことをしても意味がない。そんな若者の声をよく聞きます。人間、正直に生きていたいものですね。誰かを騙して利益を得るなんて良心の呵責が生まれてしまいます。

恋愛もそうです。好きな人に嘘をつきたくない、ありのまま等身大を受け入れてほしい、そんな願いばかりです。

「営業できる人はモテる」と巷で言われているように、自分を売り出す営業や就職活動と女へのアプローチは似ています。この世の中には女に対して嘘を言いたくない自称誠実な非モテが存在し、ありのままの自分を愛されたいと願っています。

果たしてこれは正しいことなのでしょうか?このノートで説明していきたいと思います。

ワンピースのルフィは誰を一番惹きつけたのか?


今では伝説となりつつある少年ジャンプの長期連載漫画『ワンピース』ですが、この主人公の麦わらのルフィはその道の途中でゾロ(剣士)ナミ(航海士)、ウソップ(狙撃手)など、次々と赤の他人を惹きつけて仲間にしていきます。みんなルフィの信念、カリスマ、情熱に惚れ込んで自分の夢を抱えつつ、船長ルフィについていくことにしました。

「海賊王に俺はなる!」という台詞はもはやこの漫画のテーマとなりました。おそらくこれはワンピース読者なら誰でも知っていることです。

そこで質問です。

ルフィが一番惹きつけた人物は誰でしょうか?

それはゾロでもサンジでもフランキーでもありません。毎回訪れて開放する島のリーダーや住民たちでもありません。何かと肝心なところで助けてくれる海軍のお人好しの大佐とその女部下でもありません。灯台元暗しといえますが、ルフィが一番惹きつけていた人たちを私たちは忘れているのです。誰だと思いますか?ジャンプ漫画がジャンプ漫画たる本質があるのです。

引用:ONE PIECE 第601話(61巻):ROMANCE DAWN For the new world.

ルフィが物語全体を通じて一番惹きつけていたのは読者です。少し叙述トリックっぽい話ですが、「海賊王に俺はなる!」という宣言から、「こいつが登場する漫画を読むのは面白そうだ」という期待を持ってしまったのが、全ての物語の始まりなのですよね。

でなければ物語は続きません。現実世界で連載打ち切りとなります。

そこで、自称誠実で「等身大の自分を認めて欲しい」非モテ諸君には、よく考えて欲しいことですが「海賊王に俺はなる!」という言葉は既に発生した現実を嘘偽りなく盛ることもなく表しているのでしょうか?

だって、事実でロジハラすれば過去の海賊王はゴール・D・ロジャーであってルフィじゃないんですよ。そして別にルフィは現段階で最強でもない。別にそうなれる保証もないのですよね。でも、そんなウソップもびっくりな嘘松ルフィの「狙うならテッペン」宣言を真に受けて、我々は今でも麦わらの一味の旅路を見守っているのです。

ルフィの「俺が一番になる」宣言は、お気持ち的に「誠実」でも、事実の論述では「不誠実」ということになりませんか?

人類の営みは「嘘」が先行する


では、まだ起きていないことに対して豪語するのは誠実さを欠くことなのでしょうか?

少し現実の人類の文明史の話をします。そもそも、ありのままの現実を伝えるだけが人間の活動ではないのですよ。これを鋭く考察しているのが、数年前に思想界で大繁盛したユヴァル・ノア・ハラリ先生の文明解釈ですよね。

『サピエンス』『ホモデウス』の重要テーマとして「認知革命」という概念があります。人間は集団で他人が描いた虚構を信じることができるから、その後の文明が存在するというのですよね。

従来の見方では、開拓者たちがまず村落を築き、それが繁栄した時に、中央に神殿を建てたということになっていた。だが、ギョベクリ・テぺの遺跡は、まず、神殿が建設され、その後、村落がその周りに形成されたことを示唆している。

(サピエンス全史・上)

これはどういうことかと言いますと、例えば、村起こしをするとします。そこに水があったから資源があったから村を作るという話が今まで有力でしたが、実は、それは後付けの経済学的なイデオロギーが入った推測でしかなかったのです。

なぜなら、当時の段階で水や資源があっても、今後あるとは限らないからです。オアシスがあるそれだけでは村おこしをする気にはなりません。川も氾濫し海湾でさえ津波が押し寄せたり干からびたりします。未来の不確実性の不安を取り払うには、未来を断言する理論武装を持たないといけないのです。

では、科学的な方法論がない時代では、どうすることが一番効果的か。「そこは神に約束された地だから」という信仰を持つことでした。つまり、そういう「虚構」を、その集団が共有することできて、初めて人々は集団で安心して行動を起こせるというイメージです。

水や森があるから経済合理性で村を建てるのではない。曖昧な不確実性が常に存在する中、神の恩恵が虚構として先に共有されてあるから、そこに「水が存在し森が存在し生存に必要な資源の保証」がある、だから村を作る。その村も神の御加護があるので繁盛するはず、だから、みんな頑張る。この認知の順番のイメージなので、先に神殿を作ることが重要だったわけです。

虚構を共有することで人は動き始めるのです。

本のリンクも貼りますが、忙しい人のためにTEDを貼り付けておきます。

そして、この人間の営みを保証するこの認知は、何も迷信の時代の話ではないのですよ。現代でも完全に生きている話です。

部活を運営したり企画を作成したり会社を設立したりする場合を想像してみてください。リーダー格の人が「この方法論でやりましょう、この哲学でやりましょう、この信念でやりましょう、きっと上手くいく。」と広めますよね。それらは別に何の保証もない話です。しかし、活動するための中心的なアイデアがないとメンバーが非常に不安がります。

むしろ、根拠のない虚構を欲しがっているのですよ。

あらゆる生産活動をする時は「ビジョン」が先に存在する必要があるのです。この「ビジョン」が現代の信仰であり虚構なのです。そして、当然ながら、ビジョンは別に既存の事実を論述しているだけのものではありません。

そういう意味では「ビジョン」はある意味「盛りまくった嘘松」なのです。

ただ、ペテン師との違いは「実現させようとしている嘘松」です。全ては、この嘘松から物語が始まり、この嘘松によって物語は運営され、そして物語から現実のものが作られる、これだけの話です。

ワンピースの話に戻しましょう。漫画の中の麦わら一味の旅を一つの文化圏とするならば、ルフィの「海賊王に俺はなる!」というスローガンは、その中心に聳え立つ神殿なのです。物語の信仰の中心としてルフィという男の生き様が存在しています。

そして、以下のまとめを読んでみましょう。

全ての仲間は「ルフィは海賊王になる男」という根拠のない信仰を中心に自分の行動を決めています。これは船員や仲間がルフィ教の染まっている現象なのですよね。この信仰を中心に物語が進むわけです。

そして、それ以上に読者の我々もルフィ教に染まっているからワンピースの続きが気になるわけです。

人間の営みは虚構が先に集団の共通認識として伝わって、その虚構に沿った現実を人々の営みで作っていくのです。このプロセスを理解すれば、なぜ、就活で話を盛って嘘をつくのか、ナンパで女に対して歯の浮くような嘘を言わないといけないのが理解できます:

虚構の発案者がリーダー格だからです。

リーダーであるあなたがその会社とその女との共同経営の物語を作っていく立場だからです。その言い出しっぺの胆力があるかを問われているからなのです。

結末のない恋の是非:サトシはポケモンマスターなる必要があったか?


「海賊王になる !」かどうかまだ分からないルフィですが、その昔、「ポケモンマスター」になると豪語していたアニメ主人公がいました。こいつです。サトシっていうのですけど、この人の旅にも色々と感情投資をさせられました。

引用;めざせポケモンマスターOP

さて、第一クールでリーグ優勝してポケモンマスターになると期待させつつ、なんとポケモンマスターになったのは22年後でした。もう、アニメの世界で時空が歪んでいなければ、長期受験浪人をしている全裸中年男性と同じぐらいの歳ですね。

リーグ優勝童貞のままよく頑張ったと褒め称えたいですが、残念ながら、アニメ一期からポケモンを見ている世代は、もう、ポケモンの物語を追えていません。ほとんどの子供の頭には「サトシは頑張っているけどポケモンマスターになれないヤツ」というイメージが定着しているでしょう。

しかし、サトシが毎回リーグ敗退するたびに、ポケモンのアニメを観たことに後悔を感じたでしょうか?「ポケモンマスターになる」と豪語していたサトシを恨むでしょうか?

そんなことはないはずです。

ポケモンマスターを目指すというビジョンを軸に旅をしてきた物語が子供時代を豊かにしたわけです。その思い出は消えることはありません。だから、ポケモンマスターになれなくともほとんどの人はサトシを恨んでいないのです。その虚構を現実にしようと努力してきたわけですから。

これは長期的な恋愛関係と同じ仕組みです。残念ながら、ほとんどの彼氏彼女は結婚まで辿り着けません。この人となら最高の恋愛ができるはずという物語を軸に二人のドラマは運営されて、その結末がランダムなだけの話です。「失恋は恋しないよりマシ」とはよくいうものです。

事実として最後の結果がパッピーエンドか否かはそこまでの重要性はないのです。想像として最後の結果がパッピーエンドになるように恋が最大の努力で運営されたことが重要なのです。

ビジョンがハッピーエンドならば、それへの努力が人生を豊かなものにしていくだけの話です。

結果にこだわるのも大事ですが「長期的に見れば我々は全員死んでいる」と経済学者のケインズは言うように、茶番を冷笑する人間は茶番の重要性を理解していないだけです。

愛になれない恋をしている時の男の「幸せにするよ」だとか、絶対に無能な男を捨てる気満々の女の「私が養うよ」という言葉は、将来的に嘘でも問題ないのです。その嘘が嬉しくてお互いの生活の質を上げているわけです。そして、その嘘を現実にすることへの努力が現実的な愛(責任)となる潜在性を持つのです。

サトシのポケモンリーグの結果に失望しても冒険の思い出と戦歴は消えません。むしろ、期待されている場面でさえ、虚構の一つも作れない、ビジョンの一つも描けない、見栄の一つも張れない、不戦敗を拗らせた人間が虚無な人生を歩むだけの話です。

恋愛関係とは虚構を共に信じ込む道のり


そして嘘偽りのない健全で長期的な恋愛関係も「海賊船」です。船員と船長がお互いに虚構によって契約をしているのです。

女は男に対して一生「あなただけの淑女」でいてあげるし、男も女に対して「世界一のモテ男で君だけが本命」である、という物語の提供を相互で保証しているのが長期的な恋愛関係です。

イギリスの有名な諺で「妻を女王扱いしなさい、そうすれば夫が王様扱いされる。」という話がありますが、まさにこの通りです。

これは虚構の等価交換でしょう。

お互いに相手に常に二つのことを虚構として保証する必要があります。
1:自分には性的な魅力がある、
2:相手に対して愛情の関心がある、
少なくともこの二つの物語を共有し続ける関係が長期的な男女関係です。

恋人も配偶者も所有物のように購入すればそこに存在して、逃げることも消えることもないようなものではありません。人間なのです。

そして迷信深い人間なので、あなたとの物語を信じられなくなった人間は離れていくのです。(企業でも家庭でも)この物語を保証していくことが人間の甲斐性というものになります。

そこまでは遠い道のりだとしても、女性関係で人生燻っている男たちに、まず必要なのは「俺は海賊王になる!」と宣言するルフィと同じように「俺はモテる人間になる!」と自分で自分を信じ込む虚構ではないでしょうか?

そして、彼らに必要なのは、嘘をつかないことが「事実への誠実さ」ではなく、嘘をついて現実に作り替えることが「責任と実力」、この仕組みを理解することでしょう。

参考ノート:恋愛における物語の提供側に回る重要性について

前回のノート:男は女の話を聞いた方がいいVS男は話を盛り上げた方がいい論争について


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