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エッセイ「生ける川の水」
新しく始めた配送のバイト。
トラックの仕事は一人でできて、その点気楽そうだと思い始めた。
ところが、慣れるまでは先輩と同乗しなくちゃいけない。
同乗して教えてくれたのは、50代の男性。一日がかりのマンツーマン。
その男性とは、既に面接のときに会っていたが、とても快活で気が合いそうだと思った。
そして、不可避的に車内でいろんな話をする。
その先輩(Yさん)は2か月ほど前に高知県へ来たらしい。
その理由を最初は深く聞けなかったが、話す内に徐々にYさんの人生が見えてくる。
Yさんは離婚した。そこも深く聞けなかったが、おそらくここ最近の話だろうと思う。
そうか、快活なYさんに時たま見える影はそれだったか。
もっと昔には、東京の新宿歌舞伎町に住んでいて10年ほど、ホストをやっていたらしい。
なるほど、たまに出る特有の声は、ホストのそれである。
そして、少し前まで一緒にいたであろう奥さんと結婚するにあたって、ホストを辞めて、地元の兵庫県に帰った。そして、それからはずっとトラックの運転手をやってきた、とのこと。
ホストと聞いて少し身構えたけど、根は真面目で、純粋な方だと思う。
そして、離婚。からの高知県。
仕事終わりに、会社で必要な写真を撮るからとスマホを向けられる。
レンズを向けられた僕に見えたのは、スマホの裏側いっぱいに貼られた家族写真。
みんな楽しそうに笑っている。なのに、なぜ。
その子供たちの笑顔が、今も目に焼き付いてしまっているので、いたたまれなくなって、ここに記すことにした。
人生とはなんと無情なのだろう。幸福は、いとも簡単に崩れ去る。
一人で生きている人が不幸だとは言わないが、孤独は可哀そうだと思う。
現状がどうであれ、Yさんが家族を愛していたという事実は、永遠の神の書に記されているに違いない。
Yさんの趣味は、寺社仏閣巡りだという。
どうにかして、彼にイエスキリストという、真の神であり永遠の友でいてくださる方に結び付けられないだろうか。
僕が思うに、孤独を根源的に埋めるのは、それしか方法がない。
他人でも、自分でも、お金でも、地位でもない。
依存すべきは、それら相対的な現実ではなく、絶対的な永遠、イエスキリストの愛しかない。
パスカル、曰く「人間の心の中には神によってしか埋められない空間がある。」
イエス、曰く「誰でも乾いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
僕がYさんのためにできるのは、突き詰めると祈ることしかないのか。あと、バックレないこと。
長びいた雨のせいで濁ってしまった清流「仁淀川」を横目に、でこぼこの道路を、周りに急かされながら、唸るようにして懸命に走るトラックの中で、人生の哀愁を少し味わった気がした。(ドヤ)
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