見出し画像

記憶と文字のオードヴウル 文学と料理

過ぎ去りし頁を求めて
番外編

【記憶と文字のオード・ヴウル ~文学と料理~】 

 このエッセイでも食事の話になって申し訳ないが、明治・大正の文明開花の頃牛鍋に始まり洋食を食べる事が街の人憧れの的となり、今もスーパーなどで当たり前に見かける森永や明治のお菓子などが発売され、西洋の香りを帯びたビスケットなどが女学生やモボ・モガと呼ばれるハイカラな街を洋靴で闊歩した人々に食されるようになった。

 そんな時代の文章を好んで読む…からなのかは分からないが。

 とにかく私の読む本は食事シーンが魅力的に描かれている事が多い。

 当時の先進的な市井の人の生活、そんな美文の印刷されたページは“文章を読む”というよりばらの香りがする、資生堂オイデルミンの綺麗な硝子越しに眺めている…ぐらいの意識でボンヤリ読んでいる事の方が多い。

 その文章は、今日書いている私の拙文にもわずかながら影響を残している。

 もう少し活躍した年代は後になるが、食事シーンも魅力的な時代小説を多く書いた池波正太郎の食べ歩きエッセイがある。

 “喫茶あなたこなた”シリーズは、その本にたいへん影響を受けている。

 あくまで筆者本人は目立たせずお店やそこに集う人々、どのように料理を攻略していくか…というのに重点を置いているのは確実にこの偉大な先人に頁の上で指南して頂いたように思う。

 文章上で分かりやすく伝える、その方法もこの本のおかげで会得できた。

 今日は、そんな雑感をつらつら書いていきたい。 


【精養軒と万年筆 ~ハイカラを載せた西洋の白磁皿~】

 今も上野にあるこの老舗洋食屋。

 昭和にも銀幕のスターや文人たちが通う場所であり続けていた場所だが明治・大正の頃も文学者がテーブルに座り、誂えられた料理を食して次の物語を考えていたようだ。

 故に、この上野の森の西洋料理屋は文学者たちとのエピソードに事欠かない。

 私の大好きな森茉莉という作家がいる。

 幼少期、最愛の父であり明治の文豪・森鴎外によく連れて行ってもらったとエッセイに書いている。

 ロースト・ビーフや温野菜、リスの西洋料理に彩られた皿は当時の大人でも“憧れ”の一品だったに違いない。

 たいへんな食いしん坊だった茉莉には、退屈な学校のあと大好きなパッパや家族たちとそんな精養軒へおいしいものを食べに行くのは悦びの時間だっただろう。

 事実、彼女は老年になっても何かで苦しくなったりするとこの場所へと赴き子供の頃にはパッパと食した思い出の料理を誂えてもらっていたらしい。

 その父・鴎外も、若い頃は精養軒にいろいろとお世話になったようだ。

 彼には独逸ドイツに留学していた頃、恋仲になったエリーゼという女性がいた。

 鴎外の代表作『舞姫』のヒロイン・エリスのモデルになったと言われているが真相は定かではない。

 日本に帰った恋人を追って彼女が日本へと訪ねて来るという出来事があり、異国の女性の突然の来訪に森家は大騒ぎだった。

 今でこそ国際結婚(近い将来この言葉も死語になりそうだが)は当たり前だが、当時は思いもよらない事だったらしい。

 結局説得の末エリーゼは一人、帰国する事となったがその間に彼女が一ヶ月間滞在した先がこの精養軒だった。

 その後日本の娘さんと結婚し、よきパッパとなり子供たちや妻とここに来るようになった鴎外を見てこの建物も“よし、よし”とひとまず安堵したに違いない。

 上野の森の中の文豪たちのロマンスは、枚挙に暇がない。

 中には谷崎潤一郎が精養軒のオーナーの家に学資援助のため下宿していた際、そこを出ていかなければならなくなった恋の一幕……なんかも読んだがこの場所と余り関係がなくなる話題なので割愛しよう。 


 さる5年前、根津の弥生美術館で夢二や華宵の美人画に見惚れたあと上野を散歩してここで食事した事がある。

 時は11月、ドレープカーテンの額縁に彩られた磨かれた窓硝子は秋の上野の町を丘の上から見守っていた。

 その時私が頼んだのはオムライスと冷紅茶(敢えて、気取った書き方である。アールグレイの美味しい紅茶だった)で、銀の匙が家で使うのより少々重く感じたのも覚えている。

 匙の重さの方は、もしかしたら単に気のせいかも知れないが。

 謂わば聖地巡礼である。入口からかなりワクワクしていたが入った時の感動たるや未だに上手く言い表せない。

 ただ、

(このお店、実在したんだ……!!!)

 というのが、真っ先に浮かんだ感想である。

 品のある、とても美味なプレートだったと言うのは覚えているが料理の味も感激し過ぎで余り覚えていない始末だったが……。


 この料理もまた、文士の名文たちの一部なのではないかと思う。

 言葉もまた、生きる為の糧である。

 “人はパンだけで生きるものにあらず”とキリストは言ったそうだし、事実あの教えでは言葉は『魚』というものに象徴される。

 故に思うのだ。

 あの料理を食し珈琲をんだ文士達やその恋人とその食卓の上で交わされた会話を思うと人で賑わう観光地となった現代の上野の森からも新たな、素敵な物語を目覚めさせる息吹があると感じられるのだ。

 やがて、それは美しい物語の一部として自由な魚のように人々の感受性に泳いでいくのではなかろうか。

 まぁ、いつもの通り考え過ぎだろうが……。 


【サンドイッチの付け合わせは浅漬け ~茉莉さんとキッチン~】

 私の大好きな物語のひとつ、『甘い蜜の部屋』の中に何故か印象に残っているシーンがある。

 ヒロイン・モイラの夫の天上という男は主食がパンの時にも漬け物をとっている。

 舞台は大正時代。

 もしかしたらピクルスの代用品として当時は当たり前の付け合わせだったのかも知れないが、少なくとも平成生まれの私は(斬新な組み合わせ…)と捉えつつ読んだ。

 初めてその本を読破したのは夏。

 その年の秋も暮れて冬も越そうとしていた頃、お昼がサンドイッチだった事がある。

 スーパーで売っているような、後ろを捲ると封が開くどこにでもある三角のものである。

(何か、付け合わせになりそうなものはあるかな……)

 と冷蔵庫を見る。

 前の日に母が買ってきた“あとひき大根”という不思議なネーミングの漬け物があった。

 甘みのある、べったら漬けに近いものだ。

 少し考えたあと私はおもむろに冷蔵庫から取り出し、寒かったので淹れた紅茶とともにテーブルの上へと置いたあと口に含んだ。

 少し乾いた感触の食パンと塩気のあるハム、水気の多く酢のきいたあとひき大根の組み合わせがまた、美味しかった。

 食しながら、まだ西洋が羊皮紙の書物の中の憧れだった時代舶来の紅茶を啜りながらこれを食したであろう一人の孤独で“善人の”金持ちを思い浮かべた。


 森茉莉の作品の登場人物(実在する父・森鴎外も勿論含まれる)というのはときどき『普通の人は首をかしげてしまう』食べ合わせを好いている事が多い。

 例えば父・鴎外は冠婚葬祭などで饅頭を貰ってくるとまずおひつからごはんをよそい、緑茶をいれその上に饅頭を乗っけて一緒に食う。

 読んでて“えぇー?”とは思ったがかく言う私だってご飯の上にバターを乗っけて醤油をかけて食うのが大好きな人間なのだから余り人の事は言えないだろう。

(一応、バターご飯に関してはれっきとした北海道発祥のB級グルメである事を付け加えておこう)


 森茉莉の『貧乏サヴァラン』、『紅茶と薔薇の日々』などのエッセイ本は、ライフスタイルに留まらず私の人生の教科書となっている。

 お気に入りの紅茶で作るアイスティーと(茉莉さんの言葉をお借りするなら)特上等の特製サンドイッチ、魚屋さんを何件もはしごしてようやく見つけた平目のお刺身と釜で炊いたご飯の話……食うもの、着るものは勿論生活の微細な所までこだわりを持ち、とにかく(いい意味で)わがままな彼女のエッセイを始めて読んだ時の衝撃たるや凄まじかった。

 アイスティーや刺身の話は、私が最初に目を通した“貧乏サヴァラン”の一作目である。この風変りなおばあさんの生き方は私の(ある意味で)人生の目指すべき姿となっている。

 家事はほぼ不得手、それ所かエッセイのタイトルのひとつで、

「大掃除とはどんな事をするもの?」

 と無邪気に我々読者に聞いてくる茉莉さんには、“料理“というひとつの例外があった。

 幼い頃に遠足に行く時、母を手伝った……と書いていたが彼女は(ここまでこのエッセイを読んで頂いた方にはご存じの通り)茉莉さんは幼少の頃
から鴎外パッパと美味しいものを食べ、また彼女も食道楽だった事から
老年になってからの楽しみのひとつが“キッチンに立つ”ことであったのだ。

『女学校で教わったブレッド・バタア・プディング』

『クリームチーズとコンビーフ、苺ジャムとネギを混ぜて乗せたロシア風サンドイッチ』

 など、字面だけでも魅力的な料理を日々発明していたらしい。

 また巴里パリに洋行していた時期もあった人なので、ファッションに対する感覚もとても優れている事が文章からも伺えた。

 2回り近く年下の、ファンの女の子と同世代の友達さながらファッション雑誌を見ていたエピソードも書いてあった。

 またタオルの色も“ウエストミンスタアの煙草についているリボンの黄色”を好み夏、暑い日に汗を拭う時なども“オードゥ・コローニュ(オーデコロンの事。今だとボディミスト辺りも入ってくるのだろうか)を浸したタオルで汗を拭う”など、茉莉さんは自分の感性で生活というものを彩っていた。


 DACに入って暫く、彼女の残したエッセイ集とご無沙汰していた時期があった。

 ようやく自分の人生が忙しくなったから…というのもあるが何故か手に取らなかった。

 通勤時に鞄に本を忍ばせるなどいくらでも読む方法はあったのだが……。

 何だか、読んだらある程度“常識”というものを破ってはいけない社会生活の中に久々に身を置いたのに戻ってこられなくなりそうで怖かったのだ。

 今思うと、おかしな話だが……。

 ちゃんと1年通い、DACでのある程度の安定を得た後改めてページを開くようになった。

 『貧乏サヴァラン』を買ってもらったのは退院直後。

 あの時やりたかった事は今、大体のモノは自力でも叶えられるようになった。

 働けるようになってまたロリィタを始めたし(思いのほか早く戻ってこれた)、一人でアフタヌーンティにも行くようになった。

 勿論、大掃除のやり方を説明されればちゃんと答えられる程度には炊事洗濯の知識もある。

 だが……。読み返していて、

『やはり、茉莉さんには適わない』

 といつも、思うのだ。

 今の私の生活はまず充実している部類に入ると思う(有難い話である)。

 だが時には優雅とは程遠い言動をとる事もあるし、内心見ず知らずの他人に悪態をつく事も勿論ある。

 後者は、昼間から酔っぱらってサラリーマンに絡んでいるおっちゃんの確率が9割だが。

 茉莉さんはそんなモノには目もくれないのだ。

 エッセイの中で鋭く何かを批判している事はよくあったが、その言葉たちはあくまで彼女の“美の世界”の中から発していて現代っ子の私が読んでもハッとさせられる事が多い。

 何もない朝、独り目玉焼きを作る事やパンにバターを塗る事にも詩や朝の美しさを見出す茉莉さんの珠玉の言葉。

 パッと見無味乾燥に見える現代、案外ちょっとスマホを置けばすぐにその美しい詩の世界は扉を開き始める。

 そう、教わったような気がする。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?