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01 無名の迷宮

 このマガジンでは、デジタルDアートAセンターC横浜のメンバーである秋照あきてる氏が執筆された小説『無名の迷宮』を連載致します。全部で55話あり、毎日(営業日)1話ずつの更新を目指す予定です。

 この作品は全部で55話あり、全てを掲載するのには時間が掛かります。今すぐ全文を読みたい方は、下記のリンクから原文のデータをダウンロードして下さい。

 それでは、始まります!


無名の迷宮



01

 2040年に就任した日本の総理大臣はこう言った。

 総理大臣
「えー、2040年1月から本日に至るまで、子ども家庭庁との討論を重ねた結果、中学校高校及び大学での部活動の有用性がないことが判明いたしました。つきましては、中学校高等学校大学での部活動を全面的に廃止し、学生は放課後、実社会において経験を積み、将来にわたり必要とされる知識や技能の習得を行うことを決定いたしました」

 2040年から、12歳以上の学生は放課後のアルバイトを義務付けられることになったのだった。


 次の日。

 某都内区役所、生活保護課にて。

 彩子
千歳ちとせ君、妹さんは元気?」

 千歳
「いいえ、それほどではないですね。学校には通えていますが、成績はそれなりにです。自分に似なかったのが残念です」

 彩子
「それでも平気。むしろいくら勉強ができても千歳君みたいに妹の面倒を見ながら学校に通うということをしているほうが過酷だわ。それに比べれば平気よ」

 千歳の人生は最悪だった。

 まだ赤ん坊だった妹であろうと推測される百々ももと一緒にコインロッカーの中に捨てられていたのを国が保護したという。

 幸い保護されて以後は施設を転々として暮らしているが、人生は芳しくない。

 中学生に上がるころには生活保護を受けて暮らし、妹と団地で二人暮らしだ。

 千歳
「そんなことより、今回も無事生存できているので、そのお知らせです。来月も問題なく生き延びてみせます」

 生きているだけでありがたいという名言はさておき、千歳のケースワーカーは千歳の近況を尋ねるのだった。

 彩子
「そういえば、明日から高校生だよね。高校にいったらどうしたい? 何かやりたいことはある?」

 千歳
「……わかりません。勉強には全く問題なく取り組めると思います。ただ、唯一の楽しみだった部活動は廃止、家に帰っても勉強しかやることはないですし、実につまらない学校生活でしょうね」

 彩子
「でも、大丈夫じゃない、ゆっくり考えていけば」

 ケースワーカーはあくまでも楽観視している。

 まあ、千歳も大概だが、生活保護を受ける人は親がいない人もそうだし、病気を持っている人もそうだ。

 ケースワーカーさんは千歳のような人を見慣れている。

 だから楽観視しているのだ。

 が、千歳の内面はそれほど楽観的ではなかった。

 高校1年生に上がるというのに、先日、政策で部活動が廃止されてしまい、人生の楽しみは一切なし、お金もないしやれることが全くない。

 楽しみだった高校生活を取り上げられた気分は、最悪だった。

 まあ、最初から千歳の人生は最悪の連続だ。

 それほど悲観的ではないし、健康は最低限あるので精神状態が最悪になることはない。

 うだつの上がらない毎日だが、生存していくには事欠かない状態だろう。

 彩子
「それから、仕事が始まれば給料が出るから、生活保護からの脱却も夢じゃないわ。また仕事に困ったら相談に乗るけど、千歳君なら大丈夫だと思うわ」

 そう言って今日の面会は終わった。


 生活保護課から自宅に帰り、妹の百々が嬉しそうに迎えてくれる。

 百々
「お兄ちゃん、明日からから部活動ないんだってね。でも、家に帰って私と遊べるね」

 千歳
「……」

 千歳は極めて頭がよかった。

 中学時代、5教科は全て5を取得し、地元の学校も推薦で簡単に受かることができた。

 が、それも唯一の楽しみだった軽音楽部での活動があってこそだった。

 ちなみに、成績がやたらいいと軽音楽部では浮くのか、勉強のことは一切喋らず、ひたすら陰キャの素振りをしていたという。

 千歳
「ごめんね、高校にいったら、部活動のことじゃなくて、放課後は労働だよ。全く、ただの学徒出陣じゃん。やってられないねー」

 百々
「うん、そうだね、私も中学で1か月仕事の適性検査を受けて、そのあと仕事なんだ。私と一緒だね」

 千歳
「そうだね、あはは」

 百々
「お兄ちゃんはどんなお仕事をするの?」

 千歳
「えーっと、それはまだわからないかな。明日学校に行ったらわかると思うけど、先生が何かしら決めてくれるんじゃないかな。少なくとも、どんな仕事をするのか選べると思う」

 百々
「お兄ちゃんは将来何になりたい?」

 千歳
「えーっと、そうだなあ、特に決めてないな、そういうの。でも、生活もあるからなあ、公務員かな、あはは」

 百々
「お兄ちゃんだったらなれるよ」

 千歳
「今も区役所の公務員のお世話になってるし、確かに人よりは公務員の知識ありそうだけどね。でもまあ、おかげさまで公務員が楽で安定してる職業であるなんて誤解はしてないけどね」

 百々
「あはは、私も将来は学校の先生になりたいって答えたら、先生に公務員になりたいんだねって言われちゃった、あはは」

 それもそうか、学生にとって身近な職業は学校の先生と言う公務員しかない。

 学生が答える将来就きたい仕事が公務員を占めるのもこういう理由か。

 千歳
「でも、俺が明日からやる仕事は公務員じゃないんだろうな。民間の企業に委託して学生に仕事を教えるわけだから、公務員ではなさそうだね」

 百々
「でも、お兄ちゃんならできるよ。だって学校の勉強も簡単に覚えられちゃうんでしょ。お仕事だって同じだよ」

 他愛のない二人の会話は続く。

 その日、千歳は百々がスーパーで買ってきたお弁当を食べてお風呂にはいって眠るのだった。

 寝る前に見た天井は薄暗く、これからの千歳の人生を暗喩しているかのようだった、というのは考えすぎだが、これまでの人生が底の底、底辺中の底辺なのか、千歳は内心高校に進学できたことがうれしくて仕方がなかった。

 確かに部活動は廃止されたが、人生は確実に前に進んでいる。

 最悪な毎日だが、右肩上がりの実感が確実にある。

 千歳はそんな泥沼の中で光を見出した罪人のような気持ちで眠るのだった。

 明日待ち受けるさらなる泥沼を知る由もなく。


 次の日。

 学校に到着して自分が割り当てられた教室に入った。

 教室は広かった。

 一般的な教室よりは狭かったが、それでも席が6つしかないことを考えると、悲しいかな、これが少子化というものか。

 自分の席に律義に座って、千歳は始業の合図を待った。

 教室には教卓と座席6つ、時計、ロッカー、机は電子端末を充電するためのUSBポート、どこもおかしなところはない。

 エアコンだってついている。

 変なところは何もない。

 これは普通の学校だな、と思って千歳は安堵するのだった。

 自分よりも先に教室に入っていた人物がいた。

 その人とあいさつをしようかと思い、千歳は席を立って、向き直って、会話をしようとした。

 すると、その女の子は席を立って、教室の外に逃げて行ってしまった。

 感じからして嫌われているわけではなさそうだが、ひょっとしたら失礼な部分があるかもしれないと思い、千歳は自分の行動を振り返ってみるのだった。

 欠点は何もない。

 隙のない愛想笑いもできていたはずだ。

 では、どうして?

 あまり考えても仕方がないか、と思って時間がたつのを待つと、さっきの女の子が何かをもって千歳の前に歩み寄るのだった。

 恐る恐る、小動物のように。

 手に持っているものは、手帳のようなものだ。

 なるほどな、会話が苦手だから文字に書いて読ませるほかないのか、と思って千歳はその手帳を見た。

 それは愛の手帖だった。

 千歳にはそれがなんなのか、わからなかった。

 ひとまず女の子の名前を確認することができた。

 ひいらぎはる、という名前らしい。

 榛は何も言わずに自分の席に戻り、千歳と目を合わせようとしなかった。


 続いて教室に入ってきたのは、制服を着た女の子だった。

 きっちり制服に身を包んで教室に入ってきた。

 これは比較的まともな人間だな、と思ってもみたが、よく見たら榛とは制服のデザインが違った。

 千歳
「おはようございます」

 
「おはよう。自己紹介しよっか。私、二階堂にかいどうあずさ。二階堂さんって呼んで。あなたの上の名前は?」

 千歳
「……それが、ないんだよ」

 
「へー、珍しいね。どうして?」

 千歳
「戸籍がないから、便宜上」

 
「じゃあ、下の名前教えて」

 千歳
「千歳っていう」

 
「じゃあ、千歳君だね、私も下の名前で呼んでいいよ」

 千歳
「そうですかそうですか、梓さん」

 
「そういうわけで、よろしくねー、お互い元気でやろ」

 千歳
「そうですね、元気にやれるといいですね」

 さっきの榛とは違って、随分と梓は元気そうだな、と思った。

 このクラスに秩序はあるのか?

 いや、ない。

 千歳はバンドで身に着けた陰キャ芸風を現在貫いている。

 まあ、奇抜な服装をした人物がバンドでは輝けると言われているが、梓とはだいぶ芸風が違いそうなので、千歳はスルーする方向で決めた。


 続いてクラスに入ってきたのは綺麗な制服に身を包んだ女の子だった。

 折り目正しく、まるでスーツのよう。

 が、入ってくるなり千歳に話しかけてきた。

 
「戦艦の名前10個言って」

 その一言は何の前触れもなく発せられた。

 千歳
「ガレー船、ガレオン船、バイキング船、亀甲船、キャラベル船、ジャンク船、日本丸……ティリサダイ……これ以上は分からないかな」

 
「ごめん、君どうでもいいや」

 そう言って女の子は梓に話しかけて、同じことを話した。

 梓は船の名前を一つも答えられなかった。

 そうして篝は榛に同様の質問を投げかけたが、榛は逃げてしまい、同じく千歳にした対応と同じように例の手帳を見せるのだった。

 戦艦の話題を放ってきた女の子はそれが何なのかわからない様子だった。

 そうして女の子は千歳のところに戻ってきた。

 今度はやたら元気ではつらつとした声だった。

 さっきの大人しい雰囲気はどこへ行ったのやら。

 
「ねえ知ってる! 今横浜港にしまかぜが来てるんだって、すごいよね、私明日見に行くんだ、あ、それでね、中学生の頃は部活は戦艦同好会で日本中の護衛艦を見て回ったんだ。勿論横須賀にも行ったし、くれにも行ったし、いける所は全部行ったよ、ねえ、君は?」

 圧倒的圧に圧された。

 しばらく似たような話を続けた後、女の子はこれ以上は手ごたえがないと感じたのか、自分の席に着いた。

 なんて自分勝手な奴なんだろう、と千歳は思った。

 控えめに言って異常者だな、とさえも思った。


 次に入ってきたのは、これまた制服を着ていない女の子だった。

 黒のタートルネックに黒のジーンズを着ていて、マスクは黒だった。

 外見に一切の情報を見いだせない相手で、彼女はクラスの前で一礼すると普通に席に座った。

 周囲の人に対して今のところ興味はないようだ。

 まあ、登校初日としては無難な対応だろう。

 座る前に礼をするあたり、印象はいいのだが、ここは就職をするための面接会場ではないので、雰囲気に合っているかというとそうではない。

 が、漂うオーラすべてが拒絶を放っており、近づこうにも近づけない。


 最後に入ってきたのは、白いドレスに身を包んだ女の子だった。

 片手に赤い花を数本持っており、それを榛の机へ、梓の机へ、船のことをひたすら語っていた女の子のところへ、正体不明の女の子のところへ、そして千歳のところに置いた。

 
「あなたと出会えたことを祝福します」

 千歳
「ありがとうございます」

 千歳はお礼を言ってみた。

 白い女の子はお辞儀をすると自分の席に座った。


 千歳はありとあらゆる絶望を胸に抱えた。

 個性豊かさが爆発しているのは見ての通りだが、下手すれば個性の核分裂が起きているんじゃないかと疑わずにはいられない。

 この人たちに釣り合うだけの個性が果たして千歳にはあるだろうか?

 いったいなぜこんな空間に放り出されてしまったのか。

 学校では勉強ができて礼儀正しくしていれば乗り越えられる壁が結構多いのだが、すでに目の前に立ちふさがっている壁が、攻略不可。

 楽しい学生生活を送りたいと心の底から願っていたが、シンプルなハンバーガーを注文したのに特盛バーガーが出てきたときの衝撃に近い。

 確かに、バンドメンバーと多少のいざこざはあった。

 だが、それとは次元が違う、そして質も圧倒的に上の困難が千歳の前に立ちふさがった。


 最後に、先生がクラスに入ってきた。

 先生は普通の服に、白い仮面をかぶっていた

 先生
「はーい、皆さん、特別支援教室へようこそ。皆さんは通常の学級での生活と学習が困難であることが予想されるため、こうしてこの教室に集められました。まだまだ分からないことがあると思いますが、高校生活3年間仲良くしてください」

 千歳はこの段階で、教育委員会に嵌められたな、と感じた。


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