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ヘブライ聖書と花祭 大洪水の記憶(2024年4月1話)
令和時代の日本列島を舞台に、美少女キャラ達と主人公が紡ぐブログマガジンです。
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仲春4月(卯月)になりました…が、気温が夏のように暑くなったりして、体調を崩しそうです。
#DAC横浜 のアキラです。
— DIGITAL ART CENTER横浜 (@DAC_yokohama) April 10, 2023
4月の誕生石はダイヤモンド💍
4月生まれの大切な人に宝石をプレゼントするのは経済的に大変なのですが、英国では水晶も4月の誕生石として認められているそう。また、米国のハーキマーダイヤモンドは、名前はダイヤですが実は水晶です💎
イラスト:げんじつ#絵りおっと pic.twitter.com/8oRRVDlTbm
4月7日(日曜)
列王記 エリシャとバアル
復活祭から一週間が経ち、ヒジリお姉ちゃん達が通っている教会でも、新年度の礼拝が始まりました。午前中は「詩篇」23章や「ルカ福音書」24章などを読みました。
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午後の教会カフェでは「列王記 下」6章を拝読しました。この「列王記」は『旧約聖書』(ヘブライ聖書)に収められている歴史書の一つで、ヘブライ人(ユダヤ人)が築いた王国の繁栄と分裂・滅亡の記録が書かれています。
今回、読んだ「列王記 下」には、紀元前9世紀後半のイスラエル王国(北イスラエル)と、そこで活躍した預言者エリシャについて記されています。当時、サマリアを首都としていたイスラエルは、シリアのアラム王国や、バアル(バール)神を崇拝するフェニキア人と対立していました。困難な国際情勢の中で、エリシャは「どうか、彼の目を開いて、見えるようにして下さい」(6章17節)と祈り、神と共にイスラエルを導いたと言い伝えられています。
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人生の様々な試練を「悪魔」と呼ぶならば、それが私達をどのように試し、どう対処すべきか知るのが大切だという事を、私達は聖書から学ぶ事ができます。
今も昔もシリアの首都であるダマスカスを築き、シリアを中心に栄えたアラム人は、ヘブライ(ユダヤ)人やアラブ人と同じセム系の白人民族である。セムという呼び方自体も「創世記」(旧約聖書)に由来する名前で、数千年前の大洪水を生き延びたノア家の子孫と言い伝えられている。アラム王国は紀元前8世紀に滅亡したが、彼らのアラム語はオリエント(西アジア・エジプト)一帯で広く使われ、キリストを含む聖書の登場人物らもアラム語を話していたと言われる。また、アラム語のアルファベットから、アラビア語などの文字が生まれた。
今日は桜満開で、教会堂の外も賑わっています。
本門寺花祭 田山花袋と徳富蘆花の足跡
こんにちは、#DAC横浜 の顯(アキラ)です。
— DIGITAL ART CENTER横浜 (@DAC_yokohama) April 17, 2024
毎年4月8日は、仏教の釈尊降誕会(お釈迦様の誕生日)と、桜の花見が結び付いた「花祭」で、この週には全国の寺院・桜並木が賑わいます。
私の地元である大田区大森でも、池上本門寺や馬込桜並木が盛り上がっていました。
充実した新年度を送りたいですね。 pic.twitter.com/DNw03rahoI
毎年4月8日(卯月八日)は、お釈迦様の誕生日である釈尊降誕会(潅仏会)です。明治以降の太陽暦では、この週が桜満開の時季と重なるため、お花見と結び付いて「花祭」と呼ばれています。
メグミさん達の郷土である東京大森(大田区)でも、各地で盛大な春祭が催されていました。
![東京 大森 池上町](https://assets.st-note.com/img/1713500200441-6vg5NsxLxd.jpg?width=800)
まずメグミさん達は、池上長栄山での「本門寺春祭」に参りました。寺院の奥にある本殿に参詣し、仏像に水を掛け、手を合わせて祈りました。
![](https://assets.st-note.com/img/1713500182285-4RbfRPrH1k.png)
境内は、例大祭(御会式)や正月に次ぐ賑わいで、お馴染みの屋台出店も展開していました。
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バターと塩、更に味噌やらマヨネーズやらが付け放題だからと言って、付け過ぎると後悔します…。
![](https://assets.st-note.com/img/1713500200449-4zZe6Ne7ZS.jpg?width=800)
氷河時代(約12万年前)から悠久の歴史を持つ長栄山には、ほかにも色々な文化景観が広がっています。例えば、弥生時代中期~古墳時代後期の遺跡である堤方権現台古墳(永寿院)や、大和朝廷の神々(天照・応神・仁徳)を祀る堤方神社などが鎮座しています。
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折角なので、池上長栄山の麓にあった「温泉料亭と文豪」の歴史を書いておきましょう。
1886(明治十九)年
東麓の北側(本門寺公園)にある池から鉱泉が湧き出し、温泉旅館(旧館)が開業。1895(明治二十八)年
温泉旅館の事業が拡大し、南側(めぐみ坂)に料亭(新館)が増設。以後、大正時代まで、この料亭は(芸者を連れ込み宴を催すなど)大繁盛し、田山花袋の『東京近郊』や徳富蘆花の『富士』など、文豪達も訪れ小説の舞台になる。
1929(昭和四)年
めぐみ坂の新館料亭が閉館し、跡地は大森めぐみ教会になる。1938(昭和十三)年
旧館温泉も閉館し、跡地は本門寺公園になる。
![](https://assets.st-note.com/img/1713500182513-oody4WEIxl.png)
更に言うと、もっと昔…数千年前の縄文時代には、この辺りの池や河川(呑川)は、東京湾の海に繋がっていました。そして、この大洪水(急激な温暖化による海面上昇と異常気象災害)を生き延びた人々の子孫が、ヘブライ・アラム・アラブなどのセム系民族になった…という『旧約聖書』の伝説にも繋がってくるわけです。いやはや、歴史とは奥が深い。
では最後に、もう一つの春祭を見に行きましょう。
馬込文士村 桜祭
![大森 馬込町](https://assets.st-note.com/img/1713500201055-fyVZNaqJkz.jpg?width=800)
池上の北東にある馬込町の桜並木でも、盛大な「馬込文士村大桜祭」が開催されていました。こちらも満開の桜を仰ぎながら、舞踊や出店で賑わっていました。昨年の記事にも書いたように、この桜並木には、かつて内川という河川が流れていました。今も、地下の水路に流れているかも知れません。
![](https://assets.st-note.com/img/1713500648407-Ecw7hrtEHH.png)
こうして私達の春祭、そして花見の時季が無事に終わりました。
次回は、新年度を迎えた地域団体の活動などについて書く予定です!
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