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神楽の季節の始まり

 ここ宮崎は、11月から場所によっては2月にかけて、それから春神楽として3月は主に海沿いで、神楽舞が奉納される。
 家の近くの、我が街のランドマークの神社では今日、例大祭が予定されている。昨夜はもう少し行った場所で例大祭が執り行われた。

 宮崎県の神楽は地方で7つの系統に分かれている。昨夜見たものは、米良地方系統のものだと、内容などから察することができる。米良の神楽は、いくつかあるが、実際に見たことがあるのは四つほどしかない。いつも面白いなと思うのは、米良という地名を冠したものが、いくつかの市町村に跨って残っているということ。それも、山を隔てた向こう側に、と言うように、山や川で引かれた今の市町村の境界を超えて、つまり山や川を越えて、人的交流があったのだ、ということが分かる。
 昨夜見た穂北神楽は、恐らくは山から「下りて」伝わってきたのだと想像できる。何も知らないで無責任なことを言うが、動きや演目に共通するところは当然あれど、その動きを見ていると、こちらはきっと山間部で舞われていたものが後になって伝わってきたのだろうと思う。「上って」行ったのではない。舞は「下りて」来たのだ。
 まだ穂北神楽はそこまでではないが、もう少し町に行って、さらに海沿いの町との境界あたりの神社の舞だと、記述可能な動きをしているように思う。んー説明が難しいのだけれど、伝統芸能を学習の一環で子どもたちバージョンにするときに、微妙な動き、ブレというか震えというか、そんなものが無くなっているというような、そんなふうに思うのだ。それは悪い方に行けば簡素化ということになるが、これもある種の洗練だろう。とにかく、そんなわけだから、同じ演目でも、やはり保存会ごとに趣が違っていて面白い。
 いつかは、違う系統の神楽を観に行きたいと思っているが、現実的に遠くなるのでなかなか難しいところがある。何にしてもこれから宮崎は、あちこちで太鼓と笛、鈴の音が寒空に響く日が続くだろう。皆が寝静まっているときに、そんなハレの舞が夜通し行われている場がある。なんと豊穣なことかと思う。

小学生くらいの子が笛を吹く。もはや手練れの域であった。蛇切りのときも大人に混じってお手伝いしていたし、お辞儀も一丁前過ぎて感動した。



 大学でさえ、実利を求められる時代だ。文学部は、どんなことが社会の役に立つのかを考えてアピールしないと生き残れない。祭りはフェスティバル化していくものも増えている。経済に関わるものでなければ、意義が見出せないことが多いなか、こうしたものが残っていくことは、ちょっと大事なことだと思う。それを僕は社会の豊穣だと思うのだ。

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