ライカの50mmはなぜ50mmを呼ぶのか(またしてもmng)
タイトルの通りだ。50を35にしてもいい。どちらにしてもライカユーザーは、どちらかの沼の深淵に深く沈みこむようだ。
僕の場合は50mm。
マグニファイヤーをつけることで等倍に近いファインダーを楽しめるし、そのマグニファイヤーが視度調整もできるので、ライカは専ら標準、中望遠を担うようになった。
僕は一眼レフでEF 50mm f1.2Lの描写が好きでよく使っていた一方でx100シリーズで35mmを使ってきたから、どちらでもいいはずなんだけど、僕は50mm だった。それはx100はレンズというより、カメラそのもののコンセプトに惹かれていたから、レンズが問題ではなかったのだと思う。それでもこのレンズで楽しめたのだから、35でも50でも良いはずなんだけど、やっぱり50mm にハマったのだ。
さらに比較的 50mm の方がオールドレンズは手に入りやすいというのもある。それは数や種類、価格においてもだ。そしてそれはライカでも同じで、50mm は35mmよりも価格的に手に入りやすい。どちらにしても高いのだけど。
そんなわけでライカを購入と同時にまず手に入れたのは、中国の中一光学スピードマスター50mmf0.95だった。プアマンズノクチルクス。被写体が浮き上がるその描写はとても面白い。
流石に重くて常用しづらい、フォーカスブリージングが出ることもあって、次に選んだのが50センチまで近づけるヘリアークラシック。ノクトンとずいぶん悩んだが、滲みや玉ボケが独特で面白い。
さて、どちらも滲みレンズ。ライカM typ240を買う前に持っていたズミターも滲むし、背景の描写が6B鉛筆で描いたような力強さがあって面白いのだけど、もっとしっかり写るレンズに関心が向く。
そんな時にお声がけいただいて手に入れたのがアポランター50mm f2。ほんとにすごい。収差が出ない。うおー、これ、ヘリアーと合わせて筆を選ぶようにレンズ使えるやん、と喜んだのも束の間、アポランターの返却要請。
そのモヤモヤを払拭するかのように、Twitterでフォローしているかたからズミクロンを譲り受け、近接から中間域ならアポにも負けない描写にニンマリ。
こうやって 50mm が増えていったのだった。
それで上がりだったらそれで良かったんだけれど。
もう、ズミクロン手に入れた時点で上がりとか言ってたんだけど。
そんなときに見るもんじゃないよね、ヤフオクなんて。
そいつは、まもなく締切を迎えるところだった。入札している人がおらず、みんな様子見でギリギリまで待ってるんかな、とも思った。価格は、最近のラクマなんかで出回っている値段と比べてほんの少し安いくらい。なるほどここから値が上がるわけか。40は軽く超えてくるのかな、ほうほう、画像で見る限りは綺麗な個体、使用や保管の具合も信じれば納得、出品者の評価も多くはないが、総じて宜しいじゃないの。どれ、過去の履歴は…?なるほどこんな方か。個人確認済みでないのは、どちらかと言えば売るより買う人だからかな、まあええか、どうせ競り負けるだろうし、いっちょ入札してしまえ、夜中の暇つぶしじゃ。そんな感じで入札。
当然、あなたが最高入札者です、のメールが来る、
そして直前、
更新されない。
慌てる。
誰か入札して!
おい?
え、ぼくだけ詐欺だって見抜けてないの?
詐欺なの?
ねえ、なんで誰も反応しないの?
いや、この人、きちんとしてる人だと思うよ?
あれ、あと2分だよ?
……1分切ったよ?
あれだよね、直前に更新してくるんだよね。
そして時は来た…。
入札僕一人、こんなことってあるんだな、と思いながら、もしかしたら、こういうモノはこんなところで手に入れるものではない、というような不文律でもあるのかも、とあれこれ考えつつ、しかし、そうだな、楽天の方でも、意外とライカ関係売れ残っているのを見たりするし、価格の相場が今高いから? いや、それより高い値段で、マップカメラで売っていても、すぐに売れてしまっているじゃないさ。つまりそれだけ、高い買い物は、当たり外れが激しくて、「お墨付き」が必要なんだろうな、と思うところ、けれど取引はその後も非常にスムーズで丁寧で、届いたものも、とてもきれいな個体。
いやいや、実際に手に取って確認してからでないと怖い、それは確か。
けれども、ライカのレンズを気軽にさわれるようなお店が、そもそもないいのだ。その点だけで言えばネットフリマも、ネットでの中古販売店も同じ。
いずれにしても、こうしてSummilux M50mm F1.4 ASPHがやってきたわけだ。
Мマウントの50ミリは手元にあるものだけで、5本。そしてこの前述べたように、cannonの機材を手放すことになった。そのなかにはあんなに好きだったEF50mmF1.2Lも入っている。だがそうでもしなくてはさすがに「やばかった」。なんなら手に入れたズミルックスと、今回手放したカメラ機材のその買い取り額はほぼ一緒だ。
でも、たしかに、それらを手放してでもいいか、と思わせるほどのレンズではあった。
ライカMシステムはスナップにちょうどいいことは間違いないし、すこぶる楽しい。そのせいで、平日も朝早く起きて散歩写真を撮るようにもなった。そんな時はアレコレ持って行きたくなる自分でもカメラ一台、レンズ一本。その日の気分によってレンズを替える。寝ぼけ眼のぼんやりとした中で、写真を撮るのはちょっと大変なのだけど、それでも楽しいひとときをもたらしてくれる。
それにしてもなんで、こんなに50mmばかり、と思う。ろくに技術はないくせに集めてしまうのは良くないことだ。でも、深淵を覗きたくなる。果たしてライカの深淵には何があるのか。格安撒き餌レンズと比べて金額差ほどの優位性なんかないかもしれない。深淵は、闇は、その隙間に入り込む微かな光に浮かぶものを魅力的に映す。結局、僕程度の人間にはその違いなんざ分からないのかもしれないのに、その微かな光に惑わされる。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
オマエ、財布のなか、いくら持ってんだ? ってね。
ふらふらと撮り歩いたものをいくつか。
オマエ程度の腕でズミルックスが泣いとるわ!と言われそうだ。
ただ、これでたぶん、本当にライカレンズに関しては上がりで行きたい。この沼は覗き込むと本当に向こうから手招きが見えてくる。アポとかノクチとか。そして50mm、揃えてくると、Canonで使っていたときにはそこまで思わなかった難しさも感じてきた。望遠とか広角とかの方がぱっと見、いい写真になる。この50mmは気難しい無口な壮年男性のような存在にも思えてくる。
これをどう使うか、いよいよそんなことにしっかり向き合わなくては、去ってしまったCanonにも申し訳が立たない(?)
大事に使って行きたい。
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