ライカブルー LeicaM10-R
ライカM10-Rを手に入れた。
何を言っているのか、と思うが、カメラ仲間から、いらない? 自分が買ったときの価格でいいから、と言われたら、それは理性が吹き飛ぶ、というものだろう。
現在の中古カメラ屋の相場と比べると、ぱあああああっん と意識が吹き飛ぶのも致し方あるまい。
ちょっと前に
というのを書いたが、実はM10Rを手に入れた時に感じたのは、憧れだったM10系を手に入れた高揚よりも、ほんとにこんなことしてよいのか、というブルーな気分だった。そんな気持ちを整理しようと、ほとんど勢いで書いたのだ。
まあ、とにかく、
これで本当に素寒貧のぺーぺーである。
家計には手を出してはいないデス、独身時代のアレコレをアレコレしました。一応。
さて、それでtyp240は手放したのか、というと、実はまだ手元に残している。
…バカである。
でも。
なぜか、といえば、240には240のいいところがあるからだ。
typ240との比較
スペックシートやネット上で調べると分かるだろう部分について
例えば、高感度の上限がアップしたことはやはり使い勝手を向上させてくれている。240は僕のゆるい目でも3200が限度で、それ以上は上げるのをためらってしまう。
10Rにおいては、巷では3200が限界と言われているから、僕なら6400は平気で使うだろうなと思っている。12500あたりまで平気かもしれない。
ベース感度が200から100になったことも、ひとつの利点だ。最低感度が拡張でなくなったことは大きい。最高シャッタースピードが4000分の1秒だから、その分ISOが低く設定できる。開放バカな自分にとってはけっこう重要な変更点だ。
それからなによりシャッター音の静かさ。このシャッター音に、僕は20万円分くらい支払っていると思っている。そう思わせるくらい静かで、そしていい音だ。
240の音はその点、ちょっと気になる。X-T5の音のほうがかなり静かに感じるほど。T5は音は高いが、シャカっと切れる感じ。音を極力吸収しましたよ、という印象で、これもあまり目立たない。
M10Rは、コト(コとゴの間くらい)と、くぐもった音。M10-Rのシャッター音がたまらなくいい。
しかしじゃあ、240はダメかというと、これもまた音としていい音色を出す。(ちなみにT-4の音も好みだ。あれでバリアングルでなければ……)なんでもいいとか言っているが、いいものはいい。
ボディの薄さについて。これはもう、本当にこんなに違うの? という感想を持った。M3で慣れた厚みであるから、その違いもよく分かっていた心算だったけれど、さて実際に使ってみて、わずか4ミリほどの違いがこうも影響するとは、と実感している。
240の方は、手の小さい僕にとって、サムレスト必須である。そしてそれがついていれば全く問題なく握れる厚みだ。両の手のひらで包み込むとなんだか心地いい。が、240と10Rを併用するとその差は大きいとも感じてしまった。
M10-Rは、サムホイールの出っ張りだけで十分だ。これで75mmF1.4もいける。
何より見た目ではスリムな方がカッコいい。
それからベースプレート。240の方が厚みを感じる。丈夫な印象。そこへん10Rの方はできるだけ薄くしましたよ、という感じが見える。どちらがどっちということではないけれど。
赤バッジについて思うこと
M10-Pに強い憧れがあった。赤バッジが無い方が断然かっこいいと思っている。それにトッププレートにつづられるあの筆記体。あれがいい。往年のフィルムライカのようで。
だが、考え方によっては、あの赤バッジは、マイナスねじを隠すためにそこにロゴを配したと考えると、合理的なもののように思わないでもない。240のように、グリップする側に「M」の文字がないので、その分、赤バッジぐらいはいいかと思っている。思うようにしている。
おまけに言うと、M-P typ240を見た時、そのネジがぷっくり膨らんでいるのを見て、思われニキビ?などと思っていた。そこを理由にして買わないと言い聞かせていた記憶がある。
よく言われる事だが、あの赤バッジが「ライカですよ、ブランド品ですよ」と強調しているようで、そのために隠したくなるのだ、という話がある。確かにそうなんだけれど、あのバッジを見て、「ライカじゃん」となる人は、おそらくレンジファインダーのあの形でライカだと認識してしまうはずだ。だから逆に言えば、赤いバッジを見ても、カメラを知らない人は気付かないのではなかろうか(と言いながら、一度スタバの店員さんに「詳しくないんですけど、それけっこう高いカメラですよね」と訊ねられたこともあるので、やっぱり隠そうかな……と思ってはいる)。
またそんなの買って、とカメラ仲間に揶揄されるのは、もう致し方ない。そしてそれはエンブレムを隠したところで気づかれないはずはないのだ。
何より、ファインダー
僕の個体ゆえかもしれないが、10Rを使って、240のファインダーが見にくいことに気付いた。マグニファイヤーを付けないでいると240は僕の視野をわずかにぼかす。
自分の視力(車の運転がギリギリできる裸眼)のせいだと思っていたが、M10-Rのファインダーを覗くと、あれ、それよりは幾分か見やすい。とはいえ、やはりボンヤリはするけれど。視度調整可能なマグニファイヤーを使うと、M10-Rの方は、くっきり、3メートル先のカメラのロゴまで見えるじゃないか。
だから、街角でスナップしているとき、圧倒的にピントを捉えやすくなった。勘違いではないと思う。だって、開放で歩きながら、歩いていく人を追いかけても、ピントを外さない頻度が上がったのだ。これは思ってもいないことだった。
二重合致象も、240の場合はその四角内の被写体が合致しているかどうか見えにくく、四角のラインにある被写体で合わせていたが、それが二重合致象の枠内でも合うようになった(と思う)。
でもこれは、他の方のコメントを見ると、M10との比較ではtyp240よりわずかにコントラストが低い、というのもあるので、僕の個体のせいかもしれない。
マグニファイヤーでほぼ等倍がほぼほぼ等倍に。
240のファインダー倍率は0.68倍。これが上記のピントの合わせにくさに起因しているのかもしれない。一方M10-Rは0.73倍。これに1.4倍のマグニファイヤーを付けると、1.022倍。1.35倍のものでも0.9855倍。もう等倍に近い。240でもそこそこ等倍感はあったし、両目を開けて撮ることも問題なくできていたのだが、10Rはファインダーを覗くと、ぞくっとする。本当にファインダーの外、つまり左目との境界がスムーズ。50mmのブライトフレームがかなり見えづらくなるが(通常の状態の35mmのフレームを覗いている感じか、それよりもうちょっとケラれるくらいか)、それを差し置いても、この見え具合はたまらないものがある。
画質はもちろんいい。だけど、240もかなりいい。
と、思う。4000万画素が効いている。そう思う。(jpegの話です)
ただ、よく言われているように、極上の写りではあるが、変態性はなくなっていると僕も思う。万人に受け入れられるとでも言おうか。
240の吐き出すjpegは独特の写りをするように思う。とくにフィルム設定のスムースの色はとてもいい。それから240は露出を低めにして撮りたくなるが、M10-Rはなぜか明るく撮りたくなる。これはどうしてなのか、まだ撮ってみないと分からない。とにかく撮る。
この240の色がとてもいい。240には240のいいところがある、と先に述べたが、露出を切り詰めたときに出て来る色、それがこのカメラを放出することはできない、そう思わせるに至ったのだ。
ちなみに、10Rの方は10Rで明るめと暗めで出て来る色が違ってくるように感じている。勘違いかもしれないし、ホワイトバランスが暴れているからなのかもしれないが、まるでフジのクラシックネガを使っているかのようで不思議な感覚になる。
2台体制にすることで、レンズをあれこれ使うようになった。
そんなわけで、アホなことにライカを2台持っておくことにした。240、古いし、売り払ってZfにでもしようかなと考えたりもしたが、とりあえず、このゼータクな状態を楽しみたいと思う。
すると、ちょっとした変化が起きる。
以前も書いたように、僕の撮影は、基本休日の朝の時間しかない。長くて3時間(十分じゃないか、と言われるかもしれないけれど)、そうするとレンズをちょこちょこ交換なんてしていられない。だからどうしたって使うレンズは最も好みのものを使うことが増えてしまっていた。広角側のレンズを積極的に使おうとはなかなか思えないわけだ。
だが、2台体制にするとそれをやってみたくなる。フジのボディでもそれをやっていたわけだが、1.5倍になる故に、そちらが必然的に望遠ばかりになってしまっていた。広角ならフジ純正があるわけだし。
だから、ライカ2台でライカのレンズを使うというのは、なかなかスナップが捗る。50と75 35と75 50と90……レンズの組み合わせを替えることで、いつもの道がちょっとだけ違って見えてくる。これはなかなかいい効果だと思っている。
先日、隣町に撮影に行くと、そこにライカを2台ぶら下げていた方に出会った(このとき僕は一台のみ。240は点検入院中)。
M11とM11Mそれにマクロエルマーと復刻版のノクチがついていて、うおおおお、と心のなかで叫んでいた。
つい話しかけてしまったが、快くご対応いただいた。
いるんだなあ、2台体制の方って……
写真を挙げて、とりあえず終わります。
しかし、本当にバカじゃないの? と自分で思う。
昔母親から「アンタはこまごまとしたお金の使い方はしないだろうけれど、どかっと大きなものを買いそうだよね、気を付けなさいよ」と言われた。
うーん、母よ、あなたの言う通りです。
ビョーキである。
ほんと、なにしてんだ、俺、という気持ちだ。
けれど、ここまで夢から覚めないならば、せめてしっかり使わねばならない。撮らなくてはならない。撮って撮って、歩いて(そして痩せてくれ)、家族も撮る、街も撮る、消えてゆく伝統も、撮る。
ちょっとすっとぼけていないで、本気でやらなきゃ……そんなふうにも思わないといけない。
でも、相変わらずの街角スナップ。もったいない。
でも、そんなもったいないことも、もっと突き詰めていく。どうしたって宝の持ち腐れでしかないのかもしれないけれど。
そんなふうに今度の週末も撮り歩きたい。
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