シン・山家集 ㈥
鎌原観音堂(群馬県嬬恋村)
母を負い 見上げし先の観音堂
黄泉路(よみじ)の先では手を差し伸べん
某TV番組でも紹介されてますが江戸時代の浅間山大噴火で村は壊滅。
この村の数少ない生き残りはこの観音堂に逃げ込んだ人々だったとのこと。
観音堂は山の上などの高い場所に建てられることが多いですが
ここの観音堂の石段は本来50段あったそうです。
噴火の時の土石なだれで階段のほとんどは飲み込まれ、
現在は15段しか地表にありません。
有名な話ですが、観音堂の階段周辺の発掘調査では
2体の女性の人骨がみつかりました。
若い女性が高齢の女性を背負うような状態で発見され、
恐らく母娘だったのではと言われています。
年老いた母親を背負って観音堂に辿り着き階段を上がろうとした途中、
土石なだれに飲み込まれたのだとするとあまりに切ない。
娘は必死に母親を助けようとしていただろうし
母はたぶん自分を捨てて逃げろといったのではと想像してしまいました。
観音堂には辿り着けなかったが
きっと親子で浄土にいらっしゃると思います。
安らかにと願い合掌
母を負い 見上げし先の観音堂
黄泉路(よみじ)の先では手を差し伸べん
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