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【なんのために生きているのかわからない】とググったあの日

皆さんお疲れ様です。カンナと申します。
私の記事に目を留めてくださりありがとうございます。

今回は何だか不穏なタイトルを付けてしまいましたが
私がいちばんしんどかった頃について書こうと思います。

記事の上部に添付した画像は、実際の私のGoogle検索履歴です。

プロフィールにも書いていますが
私は現在医師より適応障害と診断され休職しています。

2015年に現在の会社に中途入社しました。
都内にあるサービス業の会社で、ポジションは営業事務ってやつです。
入社当時既にアラサーと呼ばれる年代、そして2回目の転職。
もう転職なんて懲り懲りだ!この会社で定年までしがみついて働くぞ!
と意気込んでいました。

初めに配属されたのは、下町と呼ばれるエリアにあるA支店。
人当たりの良いスタッフばかりでした。
チームワークがよくて業績も好調。
毎日忙しくて残業も多かったですが
それ以上にやりがいを感じていて、とにかく仕事が楽しかったです。

そして2022年、7年所属したA支店からB支店に異動しました。
これが悪夢のはじまり。

B支店での日々は、それはそれは地獄でした。
今、冷静になって振り返ってみても何も良いことなかった。
A支店より規模・顧客数・売上高共に大きいのですが
・事務は雑用要員だと思ってる自分勝手な営業スタッフ×3
・すべてを牛耳る50代お局営業オバサン
・そのお局オバサンと付き合ってるパワハラ気質な50代営業オジサン(事務の女の子をいじめた過去あり)
・上層部にだけいい顔して定時でサッサと帰るテキトーな支店長
↑こんな奴らのいる、何とも風通しの悪い支店でした。
HSP気質の私には本当につらい環境です。
毎日毎日、神経すり減らして愛想笑いして、どうにかなってしまいそうでした。

異動して数か月後、
一緒に働いていた事務スタッフが他支店へ異動させられてしまい
私が受け持つ業務量が倍に増え
誰より長く残業しても仕事が終わらない、地獄の毎日が始まりました。
やっとのことで帰宅した頃には体力も気力も尽き果てて
化粧も落とさず、風呂にも入らず、食事もせず、床で寝落ち。
翌朝、絶望感と共に起床して、急いでシャワーを浴びて
落としたばかりの化粧をまたして
パンをひと齧りだけして家を出て、満員電車を乗り継いで出勤して
また愛想笑いと神経すり減らして仕事して・・・という日々。

こんなんじゃいつか体壊すなぁ、と思っていた矢先
コロナに感染してしまいました。

激務の毎日だったので、会食や飲み会には行っていませんし
マスク着用、手洗い、消毒などきちんと対策していたつもりでしたが
不摂生な生活をしていたので免疫力が落ちていたのでしょう。

でも当時の私は、初めて感染するウイルスへの恐怖よりも
「これでやっと会社休める・・・」という安堵感が強かった気がします。

問題はその後です。
隔離期間を終え、後遺症の咳が続きながらも出社した私を待っていたのは
休んでいた期間中に溜まりまくった仕事の山でした。
またあの毎日が始まる・・・
そう思うと絶望でしかなかった。

そして一つ、重要な案件の事務処理遅れが発覚しました。
私は自宅隔離中でその案件自体知らなかったのですが
(※在宅勤務は出来ない会社です)
それが当月の売上に関わる案件だったので、支店長から詰められたんです。

「なんでこの案件まだ進んでないの?」
「これじゃ売上立たないじゃん」
「売上できるって部長に報告しちゃったよ、どうすんの?」

「そもそも自己管理がなってないからコロナに感染するんだよ」
「だって一緒に働いてる俺は感染してない」
「栄養と睡眠を十分に取らないと」

そこでもう、心が折れました。

私がどんな思いで毎日過ごしてきたか。
同僚と分担して進めていた業務を突然1人で背負うことになって
周囲のフォローもないどころか営業たちの雑用ばっかりさせられて
支店長にSOSを出したこともあったけど「文句言うな」って一蹴されて
ぜんぶぜんぶ1人で抱えて
そもそもこの案件だって担当営業や支店長が進捗確認してれば処理遅れも起こらなかったのに・・・

あー、書いてて動悸がしてきた。

その後のことは、あまり覚えていません。
何がどうなって病院に行って、診断書が出て休職することになったのか
細かい記憶が曖昧です。ていうか思い出したくない。

でも今でもはっきり覚えているのは
わんわん泣き喚きながら、実家の母につらいと電話したことと
「なんのために生きているのかわからない」と検索したことです。

通勤の電車で、流れる車窓を眺めて
縁もゆかりも何もない東京という土地で毎日こんなにもつらい思いをして
私ってなんのために生きてるんだろう?ってふと頭に浮かんで
何の気なしに検索したんだと思います。
確か検索結果に出てきたのは「いのちの電話」の電話番号だったかなと記憶しているのですが
そこで(え?いのちの電話?そういうこと?え、私結構ヤバいんじゃね?)って自覚したんだったかな。
今思えばギリギリのところで耐えたのかなと思います。

休職してからもうすぐ2か月になります。
「なんのために生きてるのか分からない」と思うことはなくなりましたが
今でもメンタルのバランスは不安定です。
少しずつ、少しずつ平らな状態に均していければと思うのですが
なかなかそう上手くもいかないもんです。
本当に、生きるのが下手だなぁと思います。
あのB支店の奴らに社会的制裁を与えてやりたい・・・とどす黒い感情が浮かぶこともありますが
そんなことして気が済むのか分からないし労力が無駄だし
自分自身にも少なからず問題があったと思っているので、やりません。
そんなことするくらいなら、せっかく始めたこのnoteという場所を使って
自分の感情や記憶をアウトプットして
これから少しでも冷静にフラットになれればいいなと思っています。

長々とすみませんでした。
最後まで読んで頂きありがとうございました。

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