愛されたくて今日も 生きながらえてしまった
LAMP IN TERRENというバンドがいた。
こうして過去形で書かなければならなくなってしまったことが心から寂しい。
「この世の 微かな光」と言う意味のバンド名だった。
私がこのバンドを、テレンというバンドを知ったのは高校生の頃に遡る。
ネットで出会った友人が好きだった。
その友人とは信じられないほど趣味があった。
まだほとんど名の知れない、どこか物哀しい雰囲気すらまとっていた、弾き語りが主流の星野源のファンだった。あと嵐の二宮くん。この人に関しては5万とファンが居るのでそこまで共通だと思っていないが、秦基博やら星野源、plentyにクリープハイプ、Pandora Heartsと、「それもしってるの?」とお互いにいつも驚いていた。そして連絡を取る頻度が増え、会うことも増えた。彼女の服装や話し方はいつも独特で変わっていて、とっても可愛くて大好きだった。ネイルがうまくて、へアレンジもうまくて、顔も服装も可愛かった。前世では姉妹だったのかなと笑った。
その子が、テレンを知っていた。
そして、「私が好きなんだから、とわちゃん絶対好きだよ」と繰り返し言っていた。私も間違いないだろうと思いながら、妙な直感から「はまりすぎるやつだ」と思った。だから聞かなかった。好きすぎてきっと、苦しくなる。
それから何年も、10年近く経って、メンタルが落ちきった頃にツイッターでおすすめの曲を教えてほしいとツイートをした。くだらないが失恋だった。これまで散々書いている「すきだったひと」に明確に振られたときだった。
失恋ソング大募集。
なお、クリープハイプとMy Hair is Badは禁止します。
アホなんか。
そんなときに、音楽的な側面で特に信頼をおいている(言い方おかしいかな)フォロワーがテレンを勧めてきた。「失恋ソングじゃないんだけど」という前置きとともに、テレンの「いつものこと」という曲を教えてくれた。音楽シーンであれから幾度と見てきて、その都度「絶対だめだあ」と思って避けてきたバンドだった。けれど、その時は「聞かなければ」と思った。不思議だ。他の人から勧めてもらった正真正銘の失恋ソングやラブソングを放置して、そうではないテレンの曲を聞いた。
そして、泣いた。
音楽を聞いていきなり涙を流したのは、人生で2曲目だった。
初めて泣いたのは、辻井伸行さんの「神様のカルテ」で、あの曲はいつ聞いても、そしてどれだけ気合を入れていてもボロボロと泣いてしまう、私のスイッチを押す音楽だった。優しすぎて涙が溢れて止まらない。
そして、2曲目が、LAMP IN TERRENの「いつものこと」だった。
ファン歴でいえばものすごく短い時間だった。
過去形にするつもりはないし今でもテレンは私の光に間違いないし、聞き続けている。だけどメンバーが変わって、名前も変わる。もう二度と、わからないけれどひとまずもう二度と、LAMP IN TERRENとして演奏されることはないので、過去形を使っている。
少し話はずれるが、私は昔から光を失っていく人生だった。
あんまり重い書き出しをするのはやめてほしいところではある。私の悪い癖だ。いやはや、悪すぎる。おそらく世間一般の人が聞いたら「その程度のことかい」と言うだろうけれど、それでも私にとっては光に間違いないのでまあ一旦我慢して聞いてほしい。
前述したplentyは解散した。
plentyは決して強い光ではなかった。人生のこと、自分のこと、他人のこと、日常のこと。気にしない人はきっと一切気にすることなく流していくであろうこと。だけど引っかかる人には引っかかるであろうこと。そういうことを拾うのがうまいバンドだった。ファンからは「雨バンド」と散々揶揄され、当人たちも「また雨だね」と言っていた。強い音を使うこともあるけれど、強い言葉を使うこともあるけれど、plentyはいつも繊細だった。おそらくフロントマン、ボーカリストの声質やキャラクターもあるだろうけれど、繊細に、奥深くに響いてくる音楽を作っていた。
plentyのライブに行くとき、まあ見事に雨が降った。
屋内ライブなのに足元は濡れていて、なんなら袖口やズボンの裾も濡れていた。小雨ではなく、いつも割とな豪雨なのだ。私はそれがなんとなくおかしくて、ひとりでいつもニヤニヤとしていた。いつになったら晴れるんだと思っていた。
晴れたのは、私が行った最後のライブのときだけだった。
皮肉だと思った。
雨バンドのくせに雨がふらなかった。私が行ったのは大阪のライブハウスだった。大きい有名なライブハウス。もともと整理番号も悪かったけれど、もう2度と彼らを見られない、生の音で聞けないのかと思うと近づけなくて後ろの方で見た。今日は傘を持っていない。手ぶらで、足元も袖口もズボンも濡れていない。濡れているのは観客の目だけだった。
ボーカリスト、江沼くんが言う。
「やっと晴れたね。」
「ありがとう、plentyでした。お元気で」
私は耐えられなくなって、声を出して泣いた。1人で行っていたライブハウス。だけど誰も私を笑ったりしない。みんな涙ぐんでいた。plentyのライブの好きなところはこういうところにもあった。さようなら、plenty。どうか、どうかお元気で。
さらに前述したPandora Heratsでも、推しが死んだ。
なんだそんなことかと思うかも知れないが、私にとっては死活問題だった。私についた死神は優しくなかった。私の推しは、まっすぐで強い光だった。漫画の中でももっとも光だった。きっと読者誰に聞いてもそう答えると思う。彼は、暗い暗いあの世界で、たった一人の光だった。あんな場所でも皮肉に育たず、まっすぐと芯を持っていた。投げ出したくなる現実から目を背けなかった。誰もが彼は死なないだろうと思っていた。太陽が沈んだら、世界は終わってしまうから。
だけど、ストーリーの中で、一番最初に死んでしまった。
あんなにも太陽が似合い、色んな人に生を説き、手本となるように光っていた彼は、暗い暗い影の中で命を落とした。「自己犠牲なんてクソうぜえ」と言いながら、自己犠牲として命を落とした。真っ暗闇に光だった彼が横たわる。彼を一番の光だと言っていたキャラクターが、大きな声を上げて泣き叫ぶ。心の中から何かを持っていかれるような感覚だった。
極めつけは嵐だった。
勝手に、そうだ、勝手にだ、私たちファンが勝手に、勝手に期待していただけだ。嵐だけは終わらないって。勝手に想像して、いや、妄想していただけだ。わかってる、わかっている。だけど、本当に思っていた。思っていたなあ。勝手だ。
嵐が終わると知ったのは、当直明けの仮眠後だった。
ドッキリ動画であれと願いながら、ファンクラブ宛の動画を見た。その瞬間は泣けなかった。少しずつ時間が経って涙が出た。ファンクラブ以外にも公表された。世間が嵐に飲み込まれていく。嵐を好きになったのはもう記憶にもない昔のことだった。母曰く6歳のころ、2000年頃だという。そうなると私は20年、彼らのファンだったことになる。嵐は一旦幕を下ろした。一旦で済むと思えないまま、なんとか1年が過ぎている。
言い出すときりがないのでこの3トップで止めるが、ともかく私は、私にとっての光をどうにも失っていく。これ以外にも山ほどある。好きになったものは終わっていく。
テレンもそうだった。
聞き始めて、聞けば聞くだけどの曲も、たまらなく光った。plentyとはまた違うけれど、包み込んでくれるようだった。私の傷を撫でるような。私の痛みを抱きしめるような。私の世界を肯定してくれるようだった。大げさかもしれない。というか大げさだ。だけど本当にいつもそう感じる。だから勝手に涙も出たのだ。
ボーカリストの松本さんがやっていたキャスに入り、コメントをしたことがあった。
「私の闇を照らしてくれるような、光です。」
コメントが重いです。すまん。なんだか伝えなければと思ったのだ。この人には伝えなければいけないと思った。お礼でもなんでもない、流してくれて構わないから、と思った。当時はLAMP IN TERRENに「この世の微かな光」という意味があることを知らずにコメントをした。松本さんは笑いながら私のコメントを拾ってくれる。
「へえ、ありがとう。光かあ。まあでも、俺らにとっては、俺らの音楽を聞いてくれるみんなが光になったりするからね。」
「俺らの音楽が光になる人生って、なかなかだったんじゃないの?似てるかもね。嬉しいっすね。ありがとう。」
LAMP IN TERRENのメンバーが抜けること、名前が変わることが発表されたとき、ああ、また私は、だから聞かないようにしていたのに、と自分を呪った。
絶対的に私の存在が関係ないことはわかっている。わかっていても思ってしまった。私が本格的に聞き始めて1年も経っていない。私はまた、私の光を潰してしまう。
スケジュール的に厳しかったけれど、どうしてもライブに行きたくて、東京青年館で行われるライブに行った。私にとってテレンのライブはこれが最初で最後になった。2階席の右端、前から何列目だ、あそこ。たぶん後ろから数えたほうが早いような場所で、私は人生で初めてテレンのライブを見た。
アホほど泣いた。
こう、唐突に語彙を殺すのをやめてほしいとは思っているが、本当の感動って言葉にならないのだ。
私は本当に周囲が引くくらいには泣いていたと思う。途中、演奏を止めて、マイクから離れて、松本さんが一人で独唱をした。生の声がステージからこんなに遠い私のところまで信じられないくらい届いた。耳に入る感覚よりも、もっともっと、細胞や心臓に入ってくるような感覚だった。もう鬱陶しくなって涙を拭うのはやめて、すべて床に落としていた。固まって動けなかった。意地を張らず、もっと早く出逢えばよかったと後悔した。そして、今日この場所に来てよかったと、心から思った。
拍手を止めたくなかった。
私の手がパンパンに腫れてもいい。ずっとずっとテレンに称賛を、ありがとうを伝えたかった。私には方法がそれしか思いつかなくて、許される範囲でずっと拍手をした。届け、届けと、心から願った。もっと頑張れ、私の手。松本さんの声みたいに細胞にまでは入らなくても、どうかどうか、どうか届けと、願った。
「この世の 微かな光」
あまりにもLAMP IN TERRENだ。テレンの公式ツイッターにそう書かれていたのを見つけたときも、なぜか私は泣いていた。もちろん休職中で、心身ともに余裕がなかったのもあるのだろうけれど、テレンの曲を知るたびに、確実に満たされていくこの心を示したかのようなbioだった。
微かに、それでも確かに、光っていた。
もちろん、今もずっと。
私にとっても、この世の、微かな光だった。
遠い昔、私にテレンを聞くように言ってくれた大切な友人、ありがとう。
最終的に、私にテレンを再度教えてくれたフォロワー、ありがとう。
そして、私に微かな光を与え続けてくれたLAMP IN TERREN、本当にありがとう。
「結果としては出なかったけど、いいもの作ってたんだな」とインスタライブで松本さんがつい最近呟いていた。松本さんの願う結果が何かは、私ごときにはもちろんわからないことだったけれど、少なくとも私の光になっている。間違うことのない光になっている。それはきっと結果だけれど、陳腐すぎるかな。なんというか、うまく言葉があればいいのにな。私を生かし、私を適切に「泣かせる」事ができる、数少ない光だ。
私の深い深い闇にすら届く。
どうしてか、微かなのにきちんと届く、光だ。
本気で好きで愛したものは、片っ端から消えていく人生だ。
もう次はあれかあれじゃないか、と想像するだけで恐ろしい。失わないことなんて人生でできないことはわかっていても「それじゃなくてもいいじゃん」といつも思う。私から奪うものはそれでなくてもいいじゃんと、いつも思う。きっとこれからも愛したものがなくなって潰れていくのだ。
それでも、愛せてよかったか。
失って悲しめるくらい愛せるものに出会えてよかったか。
そうだった、きっと、そうだった。
知らないままのほうが、どう考えたって不幸だ。
ありがとう、LAMP IN TERREN。
私にとっても、この世の、微かな光でした。
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