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コップからあふれた言葉たち

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生きづらさを抱えながら生きている日々に感じたことや考えたことのエッセイをまとめています。
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#HSP

母に「あなたがきらいです」と宣言した日、心のコップからあふれでる言葉たち

母親がきらいだ。 そんな毒を、こんな風に吐き出すことに抵抗がないかと言われたら真っ赤な嘘になる。抵抗感しかない。 それでも、この胸のうちにくすぶっている「きらい」という感情。 もう、見ないふりなんてとっくの昔にできなくなっていて。 きらい、きらい、きらい。 本当にきらい。 マジできらい。 本当にムリ。 顔も見たくない。 同じ空気を吸いたくない。 きらい、きらい、きらいだ。 そんな言葉たちが、感情たちが、実家にいるときのわたしの思考を埋め尽くす。 でも、憎いとか、恨

アーティスト性を活かして仕事をしていく

先日、noteで「仕事のやり方における資質の3タイプ」という興味深い記事を見つけた。 この記事の中では、仕事への取り組み方において人は 事業家タイプ サポータータイプ アーティストタイプ の3つの資質(生まれもった個性)のどれかに当てはまるのだそうだ。 詳細はこの記事を読んでいただければと思うのだけれど、わたしはまごうことなきアーティストタイプの人間だ。 もう、この部分とか、本当にそう。 言い方悪くなんかありません!水中で泳ぎ続けていないと死んでしまうマグロです。ま

人いちばん繊細な人の「自分らしさ」の見つけ方

「自分らしさ」ってなんだろうっていつも思っていた。 わたしは人やもののエネルギーにとても敏感だから、SNSで発信している人やnoteの記事、本や映画なんかでも、その "もの" がもっているエネルギーに知らないあいだに溶けこんじゃって一時的に「その人化」してしまうところがあるなあって、ふと気づいた。 これも、HSPだからこその共感性の高さや受容力の高さからくるものなんだろうか。 わからないけれど、自分の目に触れさせる情報には、ちゃんと注意を向けていないとなあって思った。

親友という宝物とこれからの方向性

この1週間、やる気がない。モチベーションがあがらず、なにもする気にならない。 メンタルが非常に下がっているのかと言われると、そういうわけでもないけれど。ただただ、やる気がない。 原因はわかっている。 数日前、家族に言われた(相手にとっては)何気のない一言だった。 でも、わたしにとってその一言は、ここ数ヶ月のわたしの頑張りすべてを打ち砕くのには十分な破壊力をもっていて。 なんのために頑張ってるんだろう。 もう、頑張のつかれた。 もう、考えるのもつかれた。 そんなところに

「深く考える」は当たり前じゃないという気づき

最近、HSPという言葉をそもそも提唱したエレイン・アーロン博士の原著の和訳を読みはじめた。驚いたのは、HSPという言葉がこれだけ流行っているにも関わらず、彼女自身の原著が和訳されたのはごく最近のことだということ。 世間のHSPに対して感じる違和感のようなものについては、もう少し余力があるときにでも書いてみたいと思うんだけれど。最近では、誰でも彼でも「わたし繊細さんなんです」って言うようになったなーって感じていて。そして、そういう人の多くに対して(もちろん全員じゃない)「本当

まとまりのない言葉たち

投稿するつもりのない下書きの記事を自分の備忘録として3時間くらい書き続けてた。 そしたら途中でなんか違うなってなった。 うまく言葉にできないんだけど。 渦中にいるとき、まだ途中経過の中にいるとき、その段階で伝えていくってことが、わたしにはできない。 その渦中とか途中経過とかも、ストーリーとして見せていけばいいじゃん。成長過程を見せていってファン増やしていけばいいじゃんみたいな考え方ってあると思うんだけど(あ、ビジネスを視野に入れた発信の話です) 例えば、「人生全部コン

子育ての正解を手放した

このnoteは、誰のためでもなく、自分のために、ちゃんとその時々の想いや言葉を綴る場所、わたしのこの先の見えない道の一歩一歩の記録の場所。そんな想いで、書いている。 だから、今日も。 ちょっと怖いけれど。 ちゃんと自分の正直な気持ちを、書いていこうと思う。 正直、もう分からないってなってる。 それが、今の、すべて。 数日前、落ち込むことがあった。相手に悪気はきっとなかったんだけれど、その言葉たちは、今のわたしにとっていちばん脆くて柔い部分を直球で突き抜いた。ガンッとメン

9月を振り返りながら、10月を決めてみる

昨日、Twitterで呟いた言葉。 (全文はこちらから↓) 人生は実験なのだと思えば、「わからない」の不安が少し軽減される気がする。 なので、今日は9月に実験してみたこと(やったこと)の結果と、その実験結果をもとに10月どんな実験をしてみたいかを書いてみようと思う。 9月の振り返り実験内容 毎日noteを書いてみた 朝のストレッチを毎日やってみた スキンケアとヘアケアを丁寧にやってみた HSPとポリウェーガル理論についての本を読んでみた 自分自身の深掘りや「安

お会計後いつも気になりすぎてしまうこと

これはわたしだけなのかもしれない。 でも、そうじゃないのかもしれない。 例えばコンビニや郵便局、薬局などでお会計をした後、わたしはいつも気になりすぎてしまうことがある。 それは、お金を財布に入れ、商品をカバンに整理する時間のことだ。 あの、お会計が終わった後の、財布にお金を入れたり、小銭をちょっと分けたり、商品をカバンなり袋なりに詰めている間のあの時間って、なんだかすごく気まずくないですか? わたしだけでしょうか? 店員さんの、無言の「終わるの待ってますよ」的な沈黙。

沈まぬように。そして、急ぎ過ぎて溺れぬように。

焦る。 気持ちが、急いている。 いろんなアイデアがずっと浮かび続けている。 今の自分が経験していること、学んでいること、試行錯誤していること。 そのすべてが、誰かの役に立つのかもしれない。 うつになるまでは見えなかった、進むべき道みたいなものが見え始めてきている。 でも。 急ぐな。 わたしの心の中から声がする。 なにかを学ぶとき、人はまず知識を知識として脳みその中に格納する。 その知識を、ただの知識として脳みその中から都度ひっぱり出しているだけでは、それはただ読み漁

HSCの癇癪とパニック障害の愛し方

突然だけれど、わたしの子どもはHSCだ。 非常に繊細で、敏感。かつ、年齢+4〜5歳程度の知能をもっている。 そんな彼女の癇癪に、過去2年間悩まされていた。 ほんの些細なことや、理由のよくわからないことで怒鳴り始め、泣き叫び、抱っこも拒否するし、すべてを拒否して1時間でも2時間でも叫び続ける。叫びすぎて、涙とよだれでぐちゃぐちゃになって、吐いてしまうこともあった。 どうしていいかわからないし、こっちもずっと子どもの全力の絶叫を聞かせら続けて、精神がやられる。わたしが鬱になっ

季節のうつろいから人生を俯瞰して今いる場所を確かめる

朝晩と、毛布をかけて眠るようになった。 昨日は秋分だったようで、気づけばもう空も雲も空気も秋模様だ。 毎日を粛々と過ごしている間に、あっという間に季節は移ろっていく。 その季節の移り変わりの早さに、ぼんやりとした焦りと哀しみを感じるのは、自分自身が変化も進歩もできていないと感じるからだろうか。 婦人科系の問題が発覚した。 正確には、まだ確定はしていない。検査結果を待っている状態。 ただ、なにかしらの肉体的な病気というわけではなさそうなので、その点はちょっとホッとしている。

「私」と「ママとしての私」が "わたし" になるまでのストーリー

一番ひどかったうつ状態は昨日でなんとか切り抜けたようで。 今朝は、瞑想とストレッチをして、洗顔からスキンケアまで丁寧にできた。 朝ごはんはバナナ豆乳スムージーだけだけど、ちゃんと作ってあげられた。 でも、なんだろう。 なんだか、今は、また少し、さみしさというのか、切なさというのか、悲しみみたいなものが自分の中に入り込んでいる。 ママとしての自分。 ママとして子どもを深く愛する自分。 子どものことが一番大切。 それはそうだよ。 本音だよ。 でも、同時に、自分のことだって

明日が最後の日だとしたら、どんな自分でありたいと望むのか

「自分が最後の日を迎えるとき、どんな自分になっていたいか」 最後の日は、不平等なこの世界において唯一平等に訪れるもの。 それが数十年後なのか、数日後なのか、数分後なのかさえ、実質わからない。 その瞬間が来たとき、そのときが訪れるまでに、わたしはどんな自分になっていたいだろうか。 わたしの子どもが、自分は強く深くママから愛されていたのだと確信していて、そして笑顔でのびやかに生きていけるようになっていたら。わたしはそれ以上、特になにも望まないのかもしれない。 結局のところ