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求められたら応えたい!地域を支える病院スタッフの矜持【19】北海道I病院、群馬県J病院

この連載は、コロナ専門病棟を開設した10の民間病院の悪戦苦闘を、現場スタッフの声とともに紹介していくものである。記事一覧はコチラ

株式会社ユカリアでは、全国の病院の経営サポートをしており、コロナ禍では民間病院のコロナ専門病棟開設に取り組んできた。

今回は、地域医療を守るために、状況に応じた選択と決断をした精神科病院の北海道I病院と一般病院群馬県J病院それぞれの幹部やスタッフの声を紹介する。

北海道I病院

院長 I.Kさん|地域の中の病院である意味を改めて実感

I.Kさんは「コロナ専門病棟を開設しないか」との提案を2度、受けている。最初は2020年5月。ユカリアからの提案に「精神科病院では難しい」と断った。2度目は2022年12月、院内クラスターの収束が見えた頃、保健所からの提案だった。

精神疾患を持つ患者さんの受け入れ先がないことはわかってはいたものの、新型コロナの詳しい症状もわかっていない2020年の5月の段階では、自院に専門病棟を持つ判断はできませんでした。当時は、とにかく院内感染が怖くて・・・。毎日薄氷を踏む思いで過ごしていました。

びくびくしながら、なんとか乗り切っていたのですが、2021年11月に院内クラスターが発生。ただ、第5波と第6波の狭間だったこともあり、陽性患者さんの転院をスムーズに受け入れてもらえました。保健所の手厚いサポートとスタッフの頑張りのおかげもあり、精神科病院のクラスターとしては、比較的早く収束させることができました。

当院の感染部も万が一を想定し、かなり高いレベルで動ける準備をしてくれていました。特にゴミ処理が的確だったおかげで、レッドゾーンの清潔が保たれ、収束を早める一助になりました。

そして、クラスター収束の兆しが見えた頃、保健所から「コロナ専門病棟をやってもらえないか」と提案を受けました。必死の思いでクラスターを収束させたスタッフに、また負担を追わせてしまう不安もありつつ、私個人としては、やるべきだと思っていました。

転院を受け入れてくれた病院をはじめ、私たちを支えてくれた方たちに恩返しをしたかった。精神疾患を持つ患者さんの受け入れ先も、しっかり確保したい気持ちもより強くなっていました。

I.Kさんからコロナ専門病棟開設の決意を聞いたスタッフは、「必要とされているならやりましょう」と答えた。クラスター対応で得た知識と経験を活かし、専門病棟開設に向けて、準備が急ピッチで始まった。

あっという間にコロナ専門病棟の準備が整って、「うちのスタッフはすごいな」と思うばかりでした。すぐに患者受け入れ要請があっても、スタッフたちの対応は非常にスムーズでした。

呼吸器内科医がいる他のコロナ専門病棟は、重症患者の対応は得意ですが、精神疾患や徘徊症状のある患者さんの対応には、苦慮されていました。そうした患者さんを当院で受けることができるようになり、地域医療を守る役割を担えていると実感しています。

クラスター発生やコロナ専門病棟開設、これまでにない経験を通して「当院は地域の医療機関なんだと実感した」とI.Kさんは、話す。

「I病院はこうありたい」と目指す医療はあります。それとは別に、地域の人の「I病院はこうであってほしい」という思いも、もっと考えなければと思うようになりました。

今回、公的役割の保健所と、市内のコロナ専門病棟にとても助けられ、私たちは「この地域にある病院なんだ」と強く実感しました。

今後また、新しい感染症や感染症以外のことでも、当院へのニーズがあるのであれば、なるべく応じていきたい。「精神科病院だから無理だ」と決めつけたり、自分たちの経験だけで判断するのではなく、できる限りニーズに応えていく。

当院には、心強いスタッフがいてくれます。ニーズに応えていける病院であり続けられるのではないか、と思っています。

主任看護師 Y.Kさん|コロナ専門病棟の経験を精神科看護に活かしていく

クラスターが発生した病棟の応援に入った3日後、自身も感染しホテル療養を経験したY.Kさん。療養期間を終え病棟に戻ると、コロナ専門病棟開設の担当を任された。感染力の強さを痛感し、感染対策の意識が変わり、スタッフへの支持もきめ細かくなったという。

レッドゾーンには入って作業をしていなかったものの、3日後には感染していたんです。感染対策はしていましたが、やっていたつもりで、意識が甘かったのではと反省しました。

感染対策をしているつもりでいることの危険性を、身をもって体験し、物品一つとっても、所定の場所でしっかり管理する重要性を、スタッフに伝えるようになりました。

陽性患者さんの転院調整をしていると、受け入れ先からは、認知症の程度や徘徊の有無を細かく確認されるんです。新型コロナ以外の症状のことで断られるケースもあり、受け皿の必要性も感じていたので、専門病棟開設の決定には、あまり驚きませんでした。

精神科で長く経験を積んだY.Kさんにとって、医療処置を必要とする現場は初めてだった。不安はありながらも、スタッフと共に専門病棟の運用にあたった。

コロナ専門病棟の難しさは、患者数の予測がつかないことです。

一瞬で満床になることもあれば、患者さんがゼロになる時期もあり、変化の落差も激しい。患者さんがいなければ、スタッフは以前の病棟に戻って、増えれば専門病棟に戻るという状況です。自分の所属があいまいになることは、心地よいものではありません。

私がスタッフに対してできるのは、こまめにコミュニケーションをとること。治療の方向性や病棟の様子(情報)を共有しながら、専門病棟を少しの期間でも離れるスタッフも把握できるように意識して、積極的に声をかけています。

コロナ専門病棟の立ち上げと運用を支えたY.Kさんは、間もなく以前所属していた精神科病棟に戻る。専門病棟で経験した「死が身近にあること」を踏まえ、家族看護について考えていきたいと話す。

精神科病棟でも、命を守る意識は常にあります。ただ、突然、臓器不全を起こして急激に容態が悪化するといったことはほぼありません。

コロナ専門病棟では、明日退院予定だった患者さんが、急変して亡くなられたこともありました。なかなか面会ができない状況では、私たちからの電話が、患者さんとご家族の唯一のつながりになることもあります。死を身近に感じる経験をして、家族看護のことも、一層意識するようになりました。

専門病棟で、感染対策の知識と経験が磨かれました。より安全な病棟作りのために、その経験を活かしていきたいです。また、医療処置をするために、改めて身体のことも学び直した経験も、これからの精神科看護に活かしていきたいと考えています。

医療相談室 室長 H.Aさん|ソーシャルワーカーという役割から向き合い続けた日々

入退院時の相談と説明を担うH.Aさん。新型コロナの感染が広がり始めると、病院の入り口のゲートキーパーとしての緊張感がましていった。

患者さんの転院から院内クラスターが起こる事例も多く、転院の相談を受ける時には「院内で熱が出ている方はいませんか」といったヒアリングをするようになっていました。

院内に感染を持ち込まないためにも、事前のヒアリング項目が増えてしまうのは当然なのですが、院内の体制に踏み込んだ質問には、なかなか慣れませんでしたね。

私個人の気持ちとして、患者さんや病院のことを疑ってかからなければならないのが、辛かった。でも、信頼するためにも、慎重にならなければならない。ジレンマを抱えながら窓口対応に当たっていました。

院内クラスターが発生した時は、家族への連絡を全て担っていた。患者さんの様子を伝えたかったが、混乱する現場から情報を聞き出すことが難しかった。自分が家族なら、できるだけ詳しい情報を知りたいと思う。それができない中で連絡をするのは怖かった。

クラスター発生について厳しい声をいただくこともありました。ですが、多くのご家族から、「大変ですね。頑張ってください」という励ましの声をいただきました。とても救われた思いをしたことが、忘れられません。

経験のない感染症の対応に奮闘する病棟スタッフの気持ちを想像すると、ご家族からの励ましの声を伝えて、少しでも安心させてあげたいと思いました。現場の混乱は伝わっていたので、声をかけるのもためらわれ、結局伝えられなかったのですが・・・。

クラスターが収束した報告時にも、「お疲れ様です」と温かい労いの声をかけていただきました。病棟と相談して、オンライン面会の再開時期と、病棟担当者に連絡をもらえたら、ご家族の状況が聞けることをお伝えすることができ、私も少しホッとしました。

コロナ専門病棟開設は、前向きに受け止めた。精神科病院がコロナ専門病棟を持つ社会的意義を、H.Aさんも強く感じていた。専門病棟の開設を決断した院長を応援したいと思ったという。

コロナ専門病棟への入院相談で気をつけているのは、処置が限られていることを丁寧に説明して同意を得ることです。精神科病院にある専門病棟なので、ECMO(エクモ)などを使用する外科的処置には対応できません。お一人ずつ丁寧に伝えることを意識しながら、対応しています。

緊張感が高まったり、先が見えない不安を感じる時期もありました。

そうした経験を経たからこそ、どんな時でも、精神科医療に関わるソーシャルワーカーとして、大切にしたいことを守りながら業務にあたっていきたいと思っています。

群馬県J病院

事務長 I.Sさん|「うちならできる」求められる医療に応えていく

J病院のコロナ専門病棟は2022年5月に稼働を開始した。手術件数が多く、新型コロナ患者の受け入れに前向きになれない時期もあった。行政から「J病院でしか受け入れられないコロナ患者を受け入れてほしいと」と依頼をきっかけに、院内の空気は一気に変わった。

透析や手術など、当院の役割はしっかり果たしていたものの、近隣の同規模の病院がコロナ患者を受け入れるのを見て、「うちはやらないのか」という声がスタッフから聞こえてきました。

ニュース(報道)を見ながら、「自分たちが地域医療における役割を果たせていないのでは」と、肩身の狭さを感じるスタッフも、少なくありませんでした。

2022年5月に群馬県の担当者が来院され、「コロナ患者が透析を受けられる施設がなく、J病院で担ってほしい。できれば今月中にスタートしてほしい」と相談を受けました。

うちがやっている医療で役割を果たせるなら、「やろう」と、経営層に伝えました。

経営層にプレゼンをするつもりで資料を用意し、コロナ専門病棟開設への想いと意義を伝えたというI.Sさん。「役割を果たそう」。その想いは、経営層も同じだったことがわかった。

圧倒的に「やろう」と応えてくれるスタッフが多かった中でも、「何でいまさら」という声もありました。でも、反対意見も賛成意見も、率直に伝えてもらえてよかったと思っています。お互いに気持ちを言えないまま、コロナ専門病棟を開設していたら、今のように、病院全体で運用をする空気にはなっていなかったかもしれません。

当院のコロナ専門病棟は、1フロア2分割して、半分をコロナ専門病棟、半分を一般病棟にする方法で開設されました。人も機材も手配しにくい中、急ピッチで依頼に応えてくれた協力業者さんにも感謝しかありません。

忙しい業務の合間をぬって、患者さんの移動や物品の手配など、スタッフ全員で協力して準備を整えました。実際、20日足らずで病棟を開設できたことが、信じられないくらいの作業量だったんです。まさに総力戦という勢いでしたね。

何が大変だったのか、もう覚えていませんが、「やったらできちゃうんだね」と達成感を共有し合った瞬間は、今でも鮮明に覚えています。

専門病棟開設の翌日から、受け入れ要請が入った。スタッフのスムーズな対応に、I.Sさんは、現場の力を改めて実感したという。

「何でいまさら」といった声も、「開設準備スタート!」となった途端、聞こえなくなりました。

手術の数も、専門病棟ができる前より増えていて、新型コロナとうまく共存ができているのではないかと思っています。スタッフ一人ひとりがどう動けばいいのか、何をすべきかを考えながら動いている。お互いに補い合い、良いサイクルを回せているからこその成果ではないでしょうか。

どれだけ大変な状況でも、患者さんがいるなら「受けよう」と瞬時に言ってしまうのが、医療従事者なんだな、すごいなって思いましたね。

私は現場の外から見ているだけなのですが、すごくいい景色を見せてもらっている気持ちになるんです。何の心配もいらない、素晴らしいチームだなと思います。

2023年3月まではコロナ専門病棟の運用が決まっている。スタッフと共にJ病院に求められる役割を果たしていきたいと、I.Sさんは話す。

アフターコロナの唯一の心配は、一般病棟が少ない病床数で稼働しているので、その病棟数に戻った時、スタッフがすぐに対応できるかだけです。

「こうした医療対応をしてほしい」と言われて、できてしまうのがうちの強みです。これからも、地域の基幹病院として頼られる病院を目指していきます。

看護部長 Y.Hさん|変化に対応できる人材育成を

2020年に「新型コロナの受け入れはしない」と病院が判断をしたことは正しいと、Y.Hさんは思っていた。しかし、感染の収束が見えず1年が過ぎた頃から、負い目を感じるようになった。

看護部長として、周辺地域の病院と関わりを持っていますが、地域を支える病院として、コロナ患者の受け入れをしていないことに、負い目を感じるようになっていました。

「役割を果たせていない」。そのことが、常に心に重くのしかかっていました。

スタッフと面談をしても「どうしてうちはコロナ患者の受け入れをしないのか」といった声をよくもらっていました。「恥ずかしい」とさえ感じているスタッフもいました。

コロナパンデミックはいわば災害のようなもの。災害が起きているのに、地域の基幹病院である当院が何の策も講じないのは安全管理上どうなのか、という疑問もありました。

実際に院内クラスターが起こった時に、感染症に対応できる知識と経験がなければ、患者さんとスタッフを守れないんだと痛感し、「コロナ専門病棟が絶対に必要だ」と強く思いました。

だからこそコロナ専門病棟の開設の決定は、ただ嬉しかったです。

地域に根ざした病院として、コロナ専門病棟開設の開設準備が始まった。開設の指揮を任されたのは、師長2年目のスタッフ。チームをまとめる姿が頼もしかった。

専門病棟の立ち上がりの大変さに目がいってしまいがちですが、一般病棟もシフトやベッド数の変更に対応する忙しさもあって、「こっちの病棟の方が大変なのに」という気持ちが生まれてしまうこともあります。普段だったらチームワークの良さが発揮される場面でも、すれ違いがおこったり、お互いを尊重して協力し合うことが止まってしまう時期もありました。

お互いの大変さが理解できてくると、協力し合って現場を支える関係に戻って、今は病院全体がいいチームになっていると感じています。

専門病棟は限られた空間になるので、視野も狭くなってしまいます。スタッフには、自分たちだけで病棟を回しているわけではないこと。広い視野で捉えて、感謝の気持ちを忘れないようにと伝えています。

高度な急性期医療から、訪問診療、在宅介護まで。様々な医療や看護で、地域を支えているJ病院。コロナ患者の受け入れ機能を持つことで、一層、地域医療を担う病院となった。地域医療を支える人材の育成に、力を注いでいきたいとY.Hさんは話す。

私自身、J病院で訪問介護ステーションや在宅介護の立ち上げなど、たくさんの挑戦をさせてもらい、「大変だけどやってみたらできた」という経験は、自分を成長させてくれました。

だからこそスタッフには、専門病棟開設を成長の機会と捉えて挑戦してほしかったので、「こんな機会はそうあることじゃない。大変だけど楽しんでやろう」と伝えました。挑戦したスタッフは、自分の成長を感じてくれていると思います。

必要とされる看護も、時代と共に変わっていきます。変化に対応できるスタッフを育成するのは、管理職の役割。私は、スタッフの育成ができる管理者体制を整えていく役割を、これから果たしていきたいと思います。

今回の経験を通じて、私たちはチームになれば、どんなことにも対応できるのだと実感しました。現場の力を引き出し、活かす環境づくりに引き続き取り組んでいきます。

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次回でこの連載は最終回になります。西村が、医師として、経営コンサルタントとして伝えたかったことを、改めて振り返ります。

編集協力/コルクラボギルド(文・栗原京子、編集・頼母木俊輔)/イラスト・こしのりょう