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市立病院は満床!療養型病院がコロナ患者受け入れの最前線に【08】沖縄県D病院

この連載は、コロナ専門病棟を開設した10の病院の悪戦苦闘を、スタッフの声とともに紹介していくものである。連載一覧はこちら。

私(西村)が取締役を務める株式会社ユカリアでは、全国の病院の経営サポートをしており、コロナ禍では民間病院のコロナ専門病棟開設に取り組んできた。
今回は、地域医療の最後の砦という覚悟を持ち、療養型病院から一般病院へ形態を変え、コロナ専門病棟開設に踏み切った沖縄県のD病院を紹介する。

新型コロナ患者の搬送が、できない

「県内の新型コロナ患者受け入れ病院が満床のため、自院で対応してほしい」

沖縄県全域で感染が拡大し、行政も保健所もパンク寸前の状況での、D病院のクラスター発生だった。だが、まさか行政から自院での治療対応の指示を受けるとは、誰も予想していなかった。

新型コロナの受け入れ機関ではない病院で、感染者の治療を行う準備など整っていない。
院内の感染対策もまだ不完全な中、患者の治療も同時に対応ができるのかー。過酷な1ヶ月が始まった。

圧倒的な人手不足

D病院で「複数名の新型コロナ感染が確認された」と報告が入ったのは、2020年8月12日のことだった。すぐに保健所の指示を仰いだが、保健所が病院に入って指示できるのは、週明けになるとの回答。

D病院は、「療養型病院」ーつまり長期的な介護が必要な高齢者が、「看護」「介護」「リハビリテーション」などの医療を受けられる病院で、感染対策に明るい病院ではなかった。

保健所の到着を待っていては、院内の感染はさらに拡大する。遠隔でゾーニングなどの感染対策の指示を出しつつ、私は沖縄へ向かった。

到着した現場の混乱は、想像以上だった。

もともと療養型病院は、病棟に配置するスタッフの数は少ない。スタッフの感染が相次ぎ、人手は日に日に少なくなり、治療や消毒など対応すべき業務は増え続けた。

「まずは、感染が確認された病棟のゾーニングを完了させよう」私も防護服を着用し、病棟の消毒、ベッド配置の変更、患者の移動などを手伝った。

すでに新型コロナの現場を何度も経験していた私は、不安はなかった。だが、初めて新型コロナの現場を経験するD病院のスタッフは「あらゆるところに感染リスクがある」という不安と恐怖を抱えていた。

不安は焦りを生む。不安な時こそ、丁寧に手順を確認する必要性を伝えながら、作業を進めた。

なんとかゾーニング作業を終えたのだが、院内の感染は止まらなかった。次々と感染が確認され、D病院のスタッフだけでの対応は、もはや限界、不可能だと判断した。

行政も私と同じ判断をし、DMAT(災害派遣医療チーム)、自衛隊をD病院に派遣することを決定した。

病院を巡る報道

D病院内の感染者が10人を超え、クラスターが発生したというニュースは、連日取り上げられた。ドローンで撮影された映像が、病院名も隠さずに報道された。厳しい言葉を投げつけられたことは1度や2度ではなかった。地域を回るコミュニティバスの乗客に、「D病院前のバス停には止めないでくれ」と言われたこともあった。

地域医療のために、と日々奮闘するスタッフたちにとって、そうした言葉がどれだけ心を重くしただろう・・・。それでも、「D病院がなくなってしまったら、地域の人が困ってしまう」と、新型コロナと向き合い続けた。

DMAT、自衛隊、県外からの応援ナースの協力と、D病院スタッフのすさまじい頑張りで、9月7日にクラスターの収束を発表できた。嵐のような現場を乗り切ったスタッフの姿に、私は畏敬の念を感じずにはいられなかった。(現場の様子は、次回詳しくお伝えする)。

療養型病院からコロナ専門病棟開設を目指す

陽性患者を「重点医療機関へ搬送できない」と言われ、院内クラスターの対応に追われた現実。療養型病院でさえ、自院で完結しなければならないほど、県内の医療はひっ迫していた。

「D病院だからできることは、ないだろうか?」
「高齢者や介助を必要とするコロナ患者の対応に、スタッフの経験が大いに役立つはずだ」

そんな意見があったが、療養病床は法律上、コロナ専用病床への転換が認められていない。D病院にコロナ専門病床を開設するには、まず、療養病床を一般病床に転換する申請が必要だった。しかし、一般病床が過剰となっている現状の医療体制では、それは認められていなかった。

本来であれば、D病院は、自院の感染者の治療にとどまるしかなかった。

だが、感染が拡大し始めた頃、療養病床から一般病床への変更を認める特例措置が出されていた。

「この特例措置で、D病院を一般病床へ転換して、コロナ専門病棟の開設を進めよう」
院長たちと今後の方針を決め、すぐに動き始めた。

一般病床への転換は、規定通りの期間を経て、承認された。

難航する行政交渉、駐車場の大きなテント

クラスターが起きた際に、「一般病床に転換できれば認可することは可能」と、県の担当者からは伝えられていた。そのため、クラスター収束後も療養患者の新規入院を断り、病床を空けて準備を進めていた。

しかし、病床区分を変更しても、行政は「待ってほしい」の一点張り。
交渉の場でも、「感染が落ち着いてきたので、また患者数が増えた時に、病室を開けてもらえたら」と言われてしまった。

もちろん行政のプランがあることは理解している。だが、療養病院は入院期間が長く、数日間で数十人の転院先確保は不可能な状況だ。「明日からコロナ対応のために全ての病床を空けろ」と言われても、とうてい無理な相談であると、わかった上で言っているのだろうか? と憤りを感じずにはいられなかった。

コロナ患者の受け入れのため、空床状態で待つべきか、コロナ専門病棟の開設は取りやめて、通常運用に戻し、感染者の受け入れを断るべきか。

県内のひっ迫した医療状況を知っている身としては、「空床のまま待つべき」と判断し、交渉を続けたが、その期間はもどかしく、苦しかった。

遅々として進まない交渉に疲弊する日々だったが、応援してくれる人もたくさんいた。

テント倉庫や膜天井施設など、膜構造建築物で世界トップクラスのシェアを誇る企業に、発熱外来のための大きなテントを提供していただいた。

駐車場に作られたテント発熱外来は、「通常の診療」と「新型コロナ」を分けて対応していることを、強く印象づけた。発熱外来で働くスタッフにとっても、頑丈なテントを使ってゾーニングされた環境は、安心に繋がった。

埼玉、京都、北海道のパートナー病院から、N95マスク、防護服など不足する医療資材がたくさん届けられた。ひと足先にコロナ専門病棟を開設した経験を、惜しげもなく伝えてくれた。「がんばれ」のメッセージに、スタッフは励まされた。

応援を糧に、粘り強く、行政との交渉を重ねていった。

災害級の現場を支えているもの

長い交渉の結果は、突然もたらされた。
12月のある日。提案が承認されたという一報が何の予兆もなくあり、交渉は終了した。

喜ばしいことだったが、なんとも拍子抜けした1日だった。何はともあれ、これでやっと、コロナ専門病棟を持つ病院として、行政からの支援も受けられることに安堵の声が上がった。

いま、困難な交渉を経て開設したコロナ専門病棟は、「沖縄県の医療を守る重要な拠点」として認知されている。医療従事者のワクチン接種開始時には、県内の主要病院と同じタイミングで、D病院にもワクチンが供給され、スタッフのモチベーションを上げた。以前にも増して、「D病院の必要性」を強く意識する機会となった。

クラスターが発生した当初は、療養型病院のスタッフが、新型コロナ患者受け入れの現場に立てるのかという心配があった。

だが、その心配は早々に払拭された。スタッフは「自分たちが地域医療の砦」という意識を常にもって働いていた。突然のクラスターや人員不足で一時期現場は混乱したが、地域医療のニーズを満たそうとする高い意識があったからこそ、あの過酷な日々を乗り切れた。

全国でも例がない「療養病床から一般病床への転換とコロナ専門病棟開設」が成し遂げられたのは、スタッフの覚悟の証明だったのかもしれない。

「地域医療のために」という強い想いで、困難に向き合い続けた医療従事者。自分たちが担う役割を感じながら働いている現場は、有事で力を発揮する。実際に、彼ら彼女らは、災害級の現場を乗り切り、地域医療を守り続けている。

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次回は、クラスター発生と感染者の治療で混乱する現場を支えたD病院のスタッフの声、緊張の様子をお届けします。

<語り手>
西村祥一(にしむら・よしかず)
株式会社ユカリア 取締役 医師
救急科専門医、麻酔科指導医、日本DMAT隊員。千葉大学医学部附属病院医員、横浜市立大学附属病院助教を経て、株式会社キャピタルメディカ(現、ユカリア)入社。2020年3月より取締役就任。
医師や看護師の医療資格保有者からなるチーム「MAT」(Medical Assistance Team)を結成し、医療従事者の視点から病院の経営改善、運用効率化に取り組む。 COVID-19の感染拡大の際には陽性患者受け入れを表明した民間10病院のコロナ病棟開設および運用のコンサルティングを指揮する。
「BBB」(Build Back Better:よりよい社会の再建)をスローガンに掲げ2020年5月より開始した『新型コロナ トータルサポ―ト』サービスでは感染症対策ガイドライン監修責任者を務め、企業やスポーツ団体に向けに感染症対策に関する講習会などを通じて情報発信に力をいれている。

編集協力/コルクラボギルド(文・栗原京子、編集・頼母木俊輔)/イラスト・こしのりょう