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岡部えつ|エッセイ|Essay

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不定期ですが、週に1本を目指しています。
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#エッセイ

[essay]旅と死と音楽と

広島と久留米を、3泊4日かけて旅した。大好きなピアニスト、スガダイロー氏のライブツアーに乗じての旅であり、広島に住む旧友に会う旅でもあった。 一日目 広島 新幹線の改札前で友人と再会すると、さっそく彼女が最近購入した新居へ連れて行ってもらった。静かな住宅街の奥まった場所に建つ二階建て。羨ましいことに、二階の一室が書庫となっていた。ドキュメンタリー映像作家の彼女と大学教授の夫という夫婦なので、書物の量は半端ない。ドアを開けると古書店の匂いがぷんとして、思わず深呼吸した。

[essay]旅と新幹線と戦争と

ここ数日、旅の準備をしている。来月九州へ行くのだが、最近は滅多に旅行しない生活をしているので、要領よくぱぱっとできずに何日もかけてしまっているのだ。 何に時間を食われているかというと、新幹線である。航空会社のタイムセールチケットの倍に近い費用をかけて、わたしは久留米まで新幹線で行く。新幹線が好きなのである。 はじめて新幹線に乗ったのは生後7、8か月の夏、大阪で生まれたわたしを連れて、母が群馬の片品村へ里帰りしたときだ。新幹線はわたしの誕生より2か月早く、東京オリンピックに

[essay]ハロウィーンと銃事件

ハロウィーン・ヒステリー 渋谷のハロウィーンは、今や日本だけでなく世界的にも有名で、外国からも多くの人がやって来るらしい。 わたしは一度も参加したことはないし、その日に渋谷に行きたいと思ったこともないが、毎年報道されるニュースを通して、その暴力的とも言えるカオスの状況は知っている。主に地方からの若者や外国人観光客らが仮装して群れ歩き、路上で飲酒し、明確な目的もなく馬鹿騒ぎをする。あとには大量のゴミが散乱して残され、翌日の早朝に渋谷区民のボランティアが掃除するニュースも風物

¥100

妖怪"誤解"。口癖は「誤解させてすみません」

先日、小学校3年生の姪を連れて、『水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 』に行ってきた。幼い頃から鬼や閻魔大王が大好きな彼女は、最近妖怪にも興味を持ち始めているのだ。 わたし自身はその年の頃、アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の第2シリーズをリアルタイムで観ていた世代で、アッコちゃんやサリーちゃんと同列に捉えていた妖怪を、好きか嫌いかで考えたことはなかった。 妖怪にあらためて興味を持ったのは、おそらく1991年にNHKで放送されたドラマ『のんのんばあとオレ』だと思う。この年の誕生日、友人にね

アンビエントな夜

荻窪ベルベットサンの、火曜日BARへ行く。 あっついあっついと言いながら入ると、先に来ていた友人二人と店長H氏が迎え入れてくれる。 この日はベーシストO氏が月に一度催している企画の日で、ステージには難しそうな機材とエレキベースが置かれ、抑え気味に氏の音楽が流れていた。 心地よいその音楽はアンビエント・ミュージックというもので、わたしはまったく詳しくないのだが、辞書を引くとブライアン・イーノが始めた環境音楽とある。 音楽知識の浅いわたしがブライアン・イーノの名を知ったのは確か

新宿午後八時

新宿に、20年近いつき合いになる馴染みの店がある。 まん延防止とかのせいで、17時開店だというのでその時間に行ってみると、案の定、客はわたし一人だった。 「まったく、夜8時からウイルスが出てくるってわけじゃないのに、愚策だよねえ」 座るなり御上(おかみ)をくさすと、 「でもね、お客さんも歳をとってきたせいか、17時オープンのほうが嬉しいって人も結構いるから」 店主はにこにこしている。 しかし結局他に客は来ないまま、以前なら飲み始める頃に、そろそろ店じまいという時間になった。

Fire Waltz --- スガダイロートリオ+東保光 at アケタの店

 彼の演奏は、上澄みの清らかな水面を見せてしんとしているわたしの、底を叩いて水を濁らせる。その挑発に揺さぶられ、もがいて自ら溜まった泥を掘り返すうち、キラキラ舞い光る砂粒の中から、重要な宝物を見つけ出すことがある。  そんなスガダイローのライブは、わたしにとって、気軽に行って聴いて飲んで酔って陽気に楽しめばいい、というわけにはいかないものだ。へこたれて干涸らびた状態で底を叩かれたら、ひび割れて壊れてしまう。  だからここ最近、彼の演奏を聴けなかった。新型コロナウイルスも含めて

 いつの頃からか、季節とは、これまでの時間を五感から想起させるノスタルジアのことではないかと思うようになった。  きっかけは、以前から夏になると現れる、心が過去の夏に紛れ込んでいく感覚、その、何万本という花の重石に圧迫されているがごとき息苦しさと官能を、何と表現すればいいのかと考えたことだ。ふと、それこそが季節というものではないかと思いついた。一旦思ったらもう、そうとしか考えられなくなった。  以来、風の匂い、空気の肌触り、風景、音、気配、そうしたものから過去を思い起こし、掻

闇の中のジュリエット

 読み返すたびに違う味がじゅわっと滲み出てくるのが名作というものであるわけだが、先般、訳あって古典の名作シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』(平井正穂訳)を久し振りに読み、またあらたな味わいに酔いしれるとともに、400年の時を経てなお現在に重く問いかけてくる問題に思いを馳せる機会があったので、読書感想文的に書き残しておこうと思う。      * * *  ロミオとジュリエットの恋は、暗闇の中で進んでいく。夜の舞踏会で出会い、その深夜にバルコニーで愛を告白し合い、ロレン

コロナと友達と世界とピンチ

世界がコロナウイルスですったもんだしているこのとき、発熱してしまった。37.8℃。 まず、家族を含めて最近室内で長時間一緒に過ごした人たちに連絡をした。コロナ感染かどうかはわからないが、身近には高齢者もいるし、基礎疾患を患っている人もいる。感染を疑って行動するに越したことはないと、判断したのである。 幸い職業柄家にこもっていることが多い上に、ここのところ原稿の進みが悪く、ライブにも飲み屋にも出かけていなかったため、連絡すべき相手は数えるほどで済んだ。それにそもそも、友達も少

上を向いて歩こう、こんなときには。

新型コロナウイルスの英語表記は『novel coronavirus』だが、決して『小説・コロナウイルス』ではない。”novel” には、形容詞で ”新しい” ”奇抜な(original)” ”新種の” といった意味があるのである。 ところが気になることに、わたしの電子辞書にはその意味の前にカッコで ”(しばしばほめて)” とついている。”ほめて”とは、“いい意味で” ということであろう。つまりこのコロナは、いい意味で新しく独創的(original)なウイルスなのである。 ど

ピアノのこと

わたしがピアノを習い始めたのは、4歳のときである。 望んで習ったのではない。神戸から父の実家がある前橋に引っ越してきた丁度その頃、父の妹である叔母が、ピアノ教室を開いたのだ。 それでも父には、わたしにベートーベンの『エリーゼのために』を弾かせたい、という夢があったらしい。4年生か5年生でそれを暗譜したとき、感慨深げにそう言われた覚えがある。 一度暗譜した曲は、なかなか体から抜けていくものではない。わたしは『エリーゼのために』を、ずいぶん大人になるまで空で弾くことができた。

お弔い

父方の従妹が死んだ。死因は心不全ということだが、長年の持病の服薬と、少なくはなかったという飲酒習慣が祟ったのではないかと思う。 理学修士の学位を持つ才女で、最後まで子供に数学を教えていた。 年下が亡くなると心がざわついて落ち着かないものだが、親戚となるとさらに色々と考えてしまう。何しろ、彼女が生まれたときのことを知っている。子守りもした。よちよち歩きで宵の窓際に立ち、小さな指を天に向けて「のんのんさま!」と呼びかけた唇の、端に溜まったよだれのきらめきまで覚えている。 父方の

あきらめるな! あきらめろ!

嫌になって放り出そうとすると「簡単にあきらめるな」と叱咤され、手放すまいとしがみつくと「あきらめが肝心」と諭される。何故だか、そういうものである。 考えてみると、「まだあきらめるな」は若い人へ、「もうあきらめよ」はそうでない人へ向けて言われることが多い気がする。 つまり ”あきらめ” には、人生の残り時間が大きく関わっているということなのだろう。 確かに、まだやり直しがきくうちは簡単に切り替えようとし、もうやり直しがきかないとなれば執着するのが人の心理だ。ところが一歩引いた