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妖怪"誤解"。口癖は「誤解させてすみません」

先日、小学校3年生の姪を連れて、『水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 』に行ってきた。幼い頃から鬼や閻魔えんま大王が大好きな彼女は、最近妖怪にも興味を持ち始めているのだ。

わたし自身はその年の頃、アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の第2シリーズをリアルタイムで観ていた世代で、アッコちゃんやサリーちゃんと同列に捉えていた妖怪を、好きか嫌いかで考えたことはなかった。
妖怪にあらためて興味を持ったのは、おそらく1991年にNHKで放送されたドラマ『のんのんばあとオレ』だと思う。この年の誕生日、友人にねだって水木しげるの『日本妖怪大全』をプレゼントしてもらっているので、間違いない。
ドラマは、水木しげる少年が、お手伝いのお婆さんから妖怪の話を聞いて育っていく日常を描いたもので、"妖怪たちと共にあるこの世の中"をイメージできる、とても素敵なファンタジーだった。

展示室に入ると、お馴染みの妖怪たちが出迎えてくれた。
歩く人の前に立ちふさがる塗りかべ、空をゆらゆら飛ぶ一反もめん、ザルでショキショキ小豆を洗う小豆洗い……。

姪は、ドラマの水木少年のように目を輝かせてそれらを観ながら、説明を読んだり聞いたりするたびに、
「この妖怪は、どうしてそんなことするの?」
と訊ねてくる。
「どうしてなんだろうね。それがわからないから、怖いんじゃない?」
などと答えつつ、そもそも妖怪というものは、この世の理不尽をすっきりさせるために誕生させられたと言ってもいいわけだから、怖いの一言で説明してしまうのも親げないな、と思う。

海、川、山での遭難事故、天災、火災、誘拐、そういった不慮の災難に遭った人たちの、どこにもぶつけられない怒りを癒やす役目のひとつとして、あるいは同じ被害を予防する警告として、妖怪はいる。

もう一方で、人のうしろ暗い心が作り上げた妖怪もある。
『日本妖怪大全』には、『安珍あんちん清姫きよひめ』の清姫が、妖怪として紹介されているが、恋が高じて恐ろしい蛇に化身した女の妖怪など、今でいうインセルかミソジニストが作りだしたものであろうと、わたしなどは意地悪く考えてしまう。

こうした成り立ちを思えば、妖怪の世界には、常に時代に合わせた新キャラが登場していいということになる。

たとえば、妖怪『誤解』なんてどうだろう。
決して己の非を認めず、常に誰かに責任を押しつける妖怪だ。

口癖は「誤解させてすみません」

問題を指摘されると「誤解をされてつらい」と嘆き、非道を糾弾されると「そんな誤った解釈をするのは、あなたにやましい心があるからだ」と相手をなじり、永遠に他者を責めて己は被害者だとふんぞり返ったまま、一歩も引かない。
ビジュアルは、道の真ん中でドシンと座り込んでいっかな動かぬ巨岩、といったところが似合いだろう。

この妖怪に出会ってしまった者は、1ミリも誤解していないことを誤解と断じられ、問答無用に悪人のレッテルを貼られて、わけがわからぬままに罪悪感を背負わされて、はらわたが煮えるような苦しみを味わう。

回避の方法は、黙って背中を向けること。相手はしょせん妖怪と思い、人間として扱わない。会話もしない。それが配偶者だったなら別れる、友人だったなら連絡を断つ、政治家だったなら投票をしない。

ずいぶん前に、『生き直し』という、いじめをテーマにした小説を書いた。
主人公の真帆まほは、小学生の頃、学級委員としてクラスメイトの愛衣あいをいじめから救ったが、愛衣が教室の机に真帆の名を書いた紙を残して自殺したことから、その原因にされ、世間全体から凄絶ないじめに遭って転校する。

愛衣がなぜ、実際に自分をいじめていた児童ではなく、いじめから救った真帆を告発する形で自死をしたのか、真帆には理解できない。
小説の中でも、そこは解決しないまま物語を進めている。
しかし、鋭い人なら気がつくはずだ、他の誰よりも愛衣の尊厳を激しく傷つけていたのは、真帆だということに。

ルールを作り、罰則を設けて、クラスからいじめをなくし、いじめっ子と愛衣を握手させ、教師たちから絶賛された真帆には、はじめから終わりまで、愛衣への気遣いがなかった。愛衣が何に困っているのか、どうして欲しいのか、訊ねることさえしなかった。ただ、担任教師から命じられた「いじめ撲滅」を遂行するため、知恵を絞って働き、成果を出しただけだ。

いじめっ子たちにとっていじめのターゲットだった愛衣は、真帆によって、クラス全員にとっての「かわいそうないじめられっ子」になった。真帆が「いじめ撲滅」に尽力すればするほど、その振りかざされた"正義"が愛衣をなぶりものにした。
正義にもてあそばれる愛衣の目に、真帆はどんな人間に見えていただろう。絶望の果てに死を選んだとき、罰を与えてやりたいと願う相手は誰だったか。

真帆にはそれがわからない。だから被害者意識を持ったまま、いつまでも救われず、自分のことを誰も知らない土地へ逃げていく。
執筆中には考えていなかったが、もしかしたら、彼女は妖怪『誤解』だったのかもしれない。

妖怪『誤解』の厄介なところは、自分では自分が妖怪『誤解』だと気がつかないところだ。
「誤解させてすみません」と、謝罪のしぐさで攻撃を続けているうちは、関わる社会にとって、彼は道を塞ぐ巨岩のような存在でしかない。
打つ手のない巨岩は、避けて通られる。やがて誰も通らなくなり、道も忘れられるだろう。

気がつくためには、「自分は間違う、誤る」という、たったそれだけのことを認め、向き合うことだ。

展示室の出口が見えてくると、姪は「復習しよう!」と言って、来た通路を戻っていった。「釣瓶つるべ落とし」の大きな模型展示がいたく気に入ったらしく、最も長い時間をかけて、近くから遠くから鑑賞している。
「えっちゃん見て、この鼻の穴、大きい!」
由来よりも造形に興味を持ったようだが、それもまた妖怪の楽しみ方だろう。

世界中で、人は得体のしれない怖いものに名前をつけ、形を与えてきた。そうしておそれたり悟ったり癒やされたりして、不合理な世の中のしくみや現象に、折り合いをつけてきた。
これからも、時代を映した新しい妖怪が生まれ続けるだろう。そうして、わたしたちを時に怯えさせ、時に励まし、また、巨悪の根源に反省を促すのだろう。

そのとき、もっとも反省しなければならない者が、そうしなかったら、「出たな、妖怪『誤解』!」と、指差してやろう。

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