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アンビエントな夜

荻窪ベルベットサンの、火曜日BARへ行く。
あっついあっついと言いながら入ると、先に来ていた友人二人と店長H氏が迎え入れてくれる。
この日はベーシストO氏が月に一度催している企画の日で、ステージには難しそうな機材とエレキベースが置かれ、抑え気味に氏の音楽が流れていた。
心地よいその音楽はアンビエント・ミュージックというもので、わたしはまったく詳しくないのだが、辞書を引くとブライアン・イーノが始めた環境音楽とある。

音楽知識の浅いわたしがブライアン・イーノの名を知ったのは確か高校生の頃で、大ファンだったRCサクセションのインタビュー記事か何かに出てきたのだと思う。当時のわたしの音楽知識はすべてRC由来なので、間違いない。
RCの誰かが「いい」と言えば、黎紅堂れいこうどうに走ってなんでもかんでも聴いていたので、オーティス・レディングやサム・クックなどと一緒に借りて聴いたと思う。もちろんLP版だ。

そういえば、セロニアス・モンクをこの頃にはじめて聴いたのも同じ理由で、ギタリストの仲井戸麗市さんから彼の名前が出たので借りたのだった。
それまで知っていたJAZZはビッグバンドが奏でるスタンダードだったので、「へえ、これもJAZZなのか」と思った覚えがある。

その後、RCのライブによく出ていた梅津和時さんや片山広明さん、清志郎と絡んでいた山下洋輔さんなどのライブを観に行って、フリージャズというものを知ってはいくのだが、まったく咀嚼そしゃくしきれていなかった。
もう少し大人になってから、鈴木いづみを知った流れで阿部薫を知り、彼のCD(この頃にはCD!)を聴いたときにはじめて、食道辺りにつっかえていたものが一気に下りてきて、胃の中で弾けて燃えた。たぶん少しは消化して、血肉にしたと思う。
何がそうさせたのか、理屈はわからない。ただただ、聴いていると、自分の中にあるおりのようなものを吐き出したい欲求にいてもたってもいられなくなり、それが気持ちよくてたまらなかった。

ベルサンBARのアンビエント空間では、O氏と彼の大学のジャズ研の先輩という方が語らっていて、その隣でわたしと友人二人、店長H氏が談笑していたが、しばらくして今度ベルサンでライブをするというミュージシャンの女性が来て、さらに近所に住む映画監督の男性が来て、だんだん会話が交錯し、気がつけば車座になっていた。

酒場のこういうところがわたしはたまらなく好きなのだが、つい最近、大学教授だったか誰かが、サイゼリヤで注文に番号を書かされたことについて抵抗を覚える旨のツイートをして炎上した折り、ディスりの中に「人との会話がないことが心地いい人もいる」と言うのがあって、やけに心に残ったというできごとがあった。
わたしも、一人黙って考え事をしたり本を読んだりしたいとき、誤ってお喋り好きな店主がひっきりなしに話しかけてくる店のカウンターに座ってしまい、誰も悪くないのに恨めしい気持ちになったことがあるので、よくわかる。サイゼリヤなどのファミリーレストランが、「一人になりたいとき」入る店だというのは、確かにそうなのだ。

しかし、その大学教授の主旨はそういうことではなく、ではどういうことかというと、もう記憶が曖昧なのでうまく書けないが、メニューから料理の名前が消え、番号になることへの危惧みたいなことだったと思う。違う可能性もある。申し訳ない。
わたしがかつて喫煙者だった頃、できるだけ煙草屋の小窓から買っていた感覚と同じかな、と勝手に思ったりもしたが、それも違うだろう。
とにかく、人との接触云々という意味ではなかったかと思うが、炎上を焚きつけている人たちの一部が、そこを問題にしていたのは興味深かった。

人との接触といえば、昨日、Amazonでとある雑貨を購入したら、色が違うものが届いたので問い合わせをしたところ、しばらくAIの選択式のやりとりのあと、どれも該当しないので文面での問い合わせとなり、やっと人間と会話できると思ったら、AIなのか自動翻訳機なのか、まったく意味不明の日本語の文面が返されてきて、絶望的な気持ちになった。
最近、なんでもかでも、カスタマーサポートはこんな具合で、関わるたびに心がささくれだってしまう。
セルフレジもそうだ。これまで受けてきたサービスがなくなった分を、客の自分が労働させられているのに、料金が値引きされるわけでもないので、気持ちが荒む。
これからどんどんそういう社会になっていくのかと思うと、嫌な気分になってくる。

ひどい事件が起こると、人は犯人を指差して「あんなやつ人間じゃない!」と罵る。そのとき人が頭に描いている「人間」とは、自分と通じ合えるもののことだろう。
オートメーション化がさらに進み、AIと対話できなければ生活が成り立たない社会になったとき、果たしてわたしたちは、あの頃想定していた「人間」のままでいられるのか、と不安になる。

アンビエントな夜は更けて、話題は笑える軽口から専門的なものへと移り変わり、わたしはもうすっかり聴いているだけになってきた。
そういう時間に移っても、また心地いいのがこのような場所なのだ。

浮世の厄介事を拭うようにしてハイボール2杯を飲み終える頃に、ちょうど閉店時間となった。
またね、と手を振って表に出ると、湿度の高い闇の隙間から優しい風が一陣吹いて、拭った分だけ軽くなった足でスキップを踏みたいような気分になった。

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